江戸の化粧(白粉)

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江戸の化粧(白粉)

享保の頃(1716-1736)の白粉(おしろい)で良しとされていたのは、原料に水銀を使いこれを釜で炒って作られたものでした。水銀白粉は上流階級が使用し、鉛を原料にしたものは庶民が使用していました。土から作られたものは劣悪とされていますが、今の時代でいえば、これが一番体に良いのでは?と思います。 時代は下って文化十年(1813年)に刊行された「都風俗化粧伝」には、白粉は鉛を酢で蒸して水に晒して固めたとあります。 極細粉の”生白粉”、舞台役者が使う”舞台香”、値段の安い”唐の土”の三タイプがあったようです。 ベースの白粉に色々と調合した白粉を「流し白粉」といい、自分でアレンジする事も流行っていました。 白粉に極上の軽粉(はらや)(水銀から作られた光沢のある白粉)と極上のくず粉を少量混ぜると高品質なものになると紹介されています。 また、良い香りにするのが流行ったようですが、「ちゃんとしたものを使わないと、いい匂いだからって質が良くなるってもんじゃないですよ、香りに惑わされないよにね」という注意書きもされています。 香り付きの最上の流し白粉は、生白粉に、同量の”ほだ”(伽羅)と、”しまり”(オシロイバナの種子の胚乳)を少量配合したもの、中級は、”ほだ”の代わりに、”じんくず”(伽羅を取った後の屑)と、しまりを少量入れたものと紹介されています。 白粉をとく水にも注意を促しています。 白粉をとく水は、雪水、寒水(寒中の水)、川の水が良いとされていました。 井戸水には塩分や金気が含まれているので、それを使うと白粉が黒く濁ってしまいました。それを防ぐための注意だったと思われます。 降った雪をぎゅうぎゅうに壺に入れ、きっちりと蓋をして保管した水の事を「雪水」といいます。 雪が解ければ清き水となり、夏にこれを使えば白粉に光沢を出して、肌は色白となり、汗疹をなおし、吹き出物も出ない、としていますが、気温が高い時は水瓶に入れた水も2日も経てばすぐに悪くなった時代です。 果たして夏まで”清き水”であったのかちょっと不安です。 ~水銀や鉛はご存じの通り有害物質です。長年使っていると、皮膚が黒ずむ他、粉を吸い込んで胃腸病、脳病、神経麻痺などの中毒を起こし、最悪命を落とす事もありました。また、母親のつけている白粉を吸い込んだ乳幼児をもその危険に晒す事にもなりました。こうした健康被害を受け、昭和10年(1935年)鉛を使った白粉の製造は禁止となっています~
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