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紅1
江戸の百科事典「和漢三才図会」(下巻1295頁)には、紅の花として紹介されています。
紅の産地は、最良なのは羽州最上、現在の山形県産のものとされ、次いで三重県伊賀、福岡県久留米、そして愛媛県今治、兵庫県摂津、播磨の順とあります。
今では山形県が産地として有名ですが、こうして見るとかつては、日本全国に産地があった事がうかがえます。下記にも触れますが、紅は大切な換金作物でした。それなのに何故その産地が激減したのか。
明治にかけ、日本は諸国からの遅れを取り戻そうと殖産興業に取り組みます。その中で他の産業(養蚕、製糸)に押され徐々に衰退していったようです。
喜多川歌麿 女織蚕手業草
(江戸時代の養蚕風景)
朝摘んだ紅花を水に浸し、布の袋に入れ黄色い水を絞り、日陰で打ち水をしながら発酵させます。発酵して小豆色になった花をまるめ、天日干しします。これを蒸すと、濃い紅の凝が出来ますので、刷毛で酒の猪口などの器に塗り入れ貯えます。(紅を塗りつけたものを紅猪口といいます)
たくさんの花を摘んでも、少量しか抽出できない紅は金と同価値と言われ、売価も金に匹敵するほどの高値でした。時代により変動がありますが、1駄(約120㎏)30両から70両(225万円から525万円)で取引されていました。
寒中(小寒から立春まで)に作られた食品や化粧品は長く保存が出来て変質が少ないとされいました。(前述の白粉をとく雪水、寒水もこの季節に貯めおかれたものです)
寒中の丑の日に売り出された紅は、薬になる、唇が荒れないと云われ、「寒中の丑紅」と、こぞって買い求めました。
この日は紅を買ってくれたお客さんに土製の臥牛の置物を景品として配りました。購入金額により大中小にするなど景品もランクわけしていたようです。
本町二丁目の角にある老舗紅問屋、玉屋では購入金額により、真鍮、黒漆塗りの土製の牛の置物をオマケでつけてくれました。
女性達はその人形を小座布団にのせ愛でていたといいます。
1貫目=3.75㎏
1両=75,000円
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