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眉剃り
男子の前髪を落とす元服と同じく、お歯黒(鉄漿付け)、眉剃りは、女子の元服に当たりますが、市中の場合は、身分・年齢・職業などにより、どちらか一方のみだったりします。
武家の妻女は、丸髷を結っても眉は剃らず、お歯黒だけという”半元服”と呼ばれるスタイルでした。
庶民は通常、嫁ぐ時に島田から丸髷に結い直し、お歯黒を塗るのがワンセット。眉を剃るのは懐妊若しくは、分娩後となります。
丸髷にお歯黒を施せば、ぐっと落ち着いた雰囲気になります。しかし、裏を返せば老け顔に見られがち。まだまだ娘気分でいたい15、6歳にとって、それはちょっとハードルが高かったようで、嫁しても暫くはお歯黒をしない事もあったと言います。
その一方、眉の剃り跡が青々している様は、嫁入り前の娘には、憧れの対象だったようです。鏡の前で手や手ぬぐいで眉を隠し、嫁いだ後の自分を想像したりしていたようです。
眉を剃らない吉原遊女も同じことをしていたようで、川柳も残っています。
眉かくし主の女房にゃ老けたかへ
あなたの奥さんにして貰うには、もう年取りすぎましたかね、と軽口のようですが、客に身請けして欲しいという願いが込められている川柳だそうです。
未婚の女性は白歯のままかといえば、そうではなく、大阪では20才、江戸では19歳になると、未婚であっても眉を剃り、お歯黒をしたといいます。
【浮世絵に描かれている女性には実際には眉が無かった?】
江戸時代の百科事典「守貞謾稿」(嘉永6年 1853年)の、女紛(上)ー眉造り或いは眉剃りの事ーを捲ると、そこに浮世絵について言及してありました。
浮世絵に描かれる女性の多くに眉がありますが、実は、作者による意匠(デザイン)によるところが大きいようです。
先にも書きましたが、丸髷、お歯黒、眉を落とすと、みな老けて見えてしまいます。そこで、20代から30代の若い人を描くときは、老けた顔にならないように意識的に眉を描き足していたようです。40代以降は、ま、そのままでいっか、という事らしく眉が無い状態で描かれています。
ちょいちょい40代以上に厳しいなあ・・・・・・(;'∀')
今でこそ、浮世絵は芸術であり、江戸時代を知る資料ともなっていますが、摺られた当時は、江戸の風を故郷に持ち帰るための江戸土産であり、お店の商品を紹介する広告であり、美しい女性や役者を紹介するプロマイドでした。
そう考えると、よりインパクトを与え、より綺麗に、より美しく描くのは当然といえば当然なのかもしれません。
作者である喜田川守貞は、後世の人が絵を見た時、この時代の女性には、みな眉があったと勘違いしないだろうかと危惧しています。
守貞は多分、後世で眉剃りの習慣が消えると思ってはいなくて、この時代が野暮っていわれたら嫌だなという危惧だったのでしょうが、眉を剃り落とすという習慣が消えた現代では逆に、時々目にする眉無しを奇異に感じてしまっています。
今後お化粧文化はどうなっていくんでしょうね。
ずぼらな私は、結構本気で、貼って剥がせるシートタイプのお化粧が出来るといいなと思っています。洗って使えると尚経済的。
喜多川歌麿 おふじとおきた
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