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お茶の歴史(奈良~鎌倉)
【奈良・平安時代】
我が国に最初に茶がもたらされたのは遣唐使によるものでした。
「日本後記 弘仁6年(815年)4月」の項に、嵯峨天皇が近江の国滋賀唐崎に行幸した際、梵澤寺で住持永忠が自ら煎じた茶を奉じたとあります。
日本後記 国会デジタル図書館所蔵
左から二行目に確認できる煎の字をそのままに捉えるならば、葉を湯に漬けておくか、煮だすタイプだったのかなと思います。
内裏に茶を植えていたようですが、主に接客や応用、仏教儀礼に使われ、上流階級でも極限られた人しか口に出来ないものだったようです。
源氏物語(11世紀初め)の常夏の章で、光源氏がお茶では無く、氷水を飲んでいる事からもお茶が普段の飲み物になっていない事がわかります。
遊びに来た若い人達にも夏のご馳走として、鮎やハゼ、氷水、ご飯の水漬け(水飯)を振る舞っています。
夏に氷を口に出来るのは特権階級である証拠ではあるんですけどね。
【鎌倉時代】喫茶養生記 国会デジタル図書館所蔵
鎌倉時代、再度中国から茶葉がもたらされます。
宋に留学していた栄西が薬として我が国にその種子を持ち帰ってきました。
栄西はその普及の為、茶の効能や栽培方法を「喫茶養生記」に纏めました。
お茶は養生する人の仙薬であり、延命の妙薬、茶が生える場所は神霊の地となり、茶を飲めば長命になりますよ。しかも、茶の苦みは心臓を強くするんですよ。ってこんな事聞いたら栽培するし、飲みますよね。
こうして禅宗寺院を中心として京都、伊勢、駿河、武蔵と広がっていきます。
やがて、産地も増え供給量も安定していくうちに薬としてではなく、嗜好品へと変わっていきました。
(∩´∀`)∩やっと特権階級の物じゃなくなったぞ!
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