お茶の歴史(南北朝から戦国)

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お茶の歴史(南北朝から戦国)

【南北朝時代(14世紀半ばから末にかけて)】 天皇が、南北それぞれに立たれ、京都と奈良で睨みあう。 そんな時代背景もあったのでしょうか、その名も『闘茶(とうちゃ)』と呼ばれる各地のお茶を飲み当てる事が流行しました。 煌びやかに飾り建てられた唐風の部屋での、茶を中心にした大宴会。 娯楽性が全面に押し出された、賑やかな茶会が主流だったようです。 【室町・戦国時代】 室町時代前期、政治頑張るぜ!と意気込んでみたものの、見事なまでの四面楚歌、全く思うようにいかず、ついに空を見上げ……たかどうかはわかりませんが、文化活動に邁進してしまった足利義政は、芸術や芸事で側に仕える同朋衆(能阿弥、芸阿弥、相阿弥の三阿弥)に命じ、唐物の小物を書院に飾り付ける「書院飾り』や、仏事、武家作法、能の足さばきなどを取り入れた茶の作法『書院茶』を完成させます。 室町時代後期になると、煌びやかな茶会『書院茶』の反動のように『禅』の思想を反映し、世俗を離れた『侘び茶』の形式が整えられていきます。 大徳寺の一休宗純(あの一休さんです)に禅を学んだ村田珠光(むらたじゅこう)(1422~1502)は、それまで主流であった煌びやかな唐物から、釉薬をかけず高温で焼き上げた「焼き締め」と言われる技法を使った、信楽、伊賀、丹波、備前など和物のやきものに目を向けます。 その素朴で飾らない様に「幽玄閑寂」(奥深く物深さ)を感じ、『侘び茶』をつくりあげていきました。 侘び茶は地方に住む大名などに広がり、更に京や堺の裕福な町人達にも支持され、全国に広がりを見せていきました。
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