お茶の歴史(戦国時代)

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お茶の歴史(戦国時代)

侘び茶を支持した裕福な町衆の中の一人が、堺の商人でもあった千利休(田中与四郎)(1520~1592)でした。 珠光の確立した『侘び茶』を突き詰め、茶室、茶道具、作法を一体とす『茶の湯』を作り上げて行きます。 ここでも「お茶」は政治利用されることになります。 織田信長は、日本の商業の中心地として栄えていた堺を、どうしても手中に収めたいと考えます。そこで目をつけたのが『茶の湯』でした。 求心を図るためのアイテムである「良いとされる茶道具」を多く所有する為に、目利きとして取りたてたのが千利休でした。 利休側も利用されると言う認識はなく、寧ろ『茶の湯』を広めてくれるわ、側近として地位も約束されるわ、茶人としての影響力を持たせてもらえるわ、万々歳だったと思われます。 もてなしを大切にした利休を、尤も表していると言われるのが利休七則(りきゅうしちそく)と呼ばれる七つの戒めです。 【利休七則】 茶は服のよきように点て    炭は湯の沸くように置き    花は野にあるように生け    夏は涼しく冬暖かに      刻限は早めに            降らずとも傘の用意      相客に心せよ         お茶は飲みやすい温度で出しなさい 炭の置き方一つにも心を配り 花は奇をてらわずあるがままに 夏は涼しく、冬は暖かく過ごして貰いなさい 慌てる事なくゆとりをもって 万が一をも考えて先を読み お客様同士の相性も考えること  どれも当たり前の事で、今更と思うような事なのですが、それでも感じ入ってしまいます。
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