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11 鑑
その日、家に帰ると妻の表情がいつもと違う。それで、何かあったのか、と、ぼくが心配していると、創を寝かしつけてから妻が、相談がある、ぼくに切り出す。
「どうしたんだい」
「親子鑑定をしたいのですけど……」
「親子鑑定……。何故……。創は、ぼくときみの子供だろう」
「ですが、そう思わない人たちがいて……」
「まさか、幼稚園のママ友とか……」
「創に顔がそっくりな男の人がいて、それで遠まわしに言われて……」
「他人の空似だろう」
「それはそうですけど、あなただってすっきりするんじゃないかと思って……」
「ぼくが……」
「だって、わたしの浮気を調べていたでしょう」
「……」
「違いますか」
「ごめん、悪かったよ」
「じゃ、やっぱり……」
「えっ」
「鎌をかけたのよ」
「ああ……。でも浮気はなかった。きみは潔白だった」
「当たり前でしょ。でも、あなたは疑った」
「本当に済まない」
「でもそれって、創とあなたの顔が似ていないからでしょ」
「……」
「わたしを疑ったことは、もういいのよ。だけど、あなたがわたしに済まないと思うなら親子鑑定をさせてください」
「それは、きみのためになるんだね」
「もちろん、そうです。それに、あなたのためにもなります」
……といった経緯で、ぼくと妻と創が親子鑑定を受けることになる。
現在、親子鑑定の殆どは遺伝学的検査による。が、過去には、血液型が用いられていたこともあったようだ。
母子関係の有無は出産によりわかるので、通常、親子鑑定と言えば父子鑑定を意味する。が、今回のぼくたちのケースは母子鑑定も行う。他人からの疑いを晴らすためだ。
考えた末、親子鑑定は『検査キット』で行うことに決める。施設に申し込み、検査キットが届く。中には滅菌された、柔らかく、吸水性のある医療用綿棒が入っている。左右十回ずつ、口腔内をしっかりと擦り、DNAを採取する。その行為には痛みが伴わないから、生まれたばかりの赤ん坊にも使用できるらしい。
結果は『検査キット』が検査施設に届いてから約二週間で送られて来る予定だ。長いといえば長く、短いといえば短い期間かもしれない。すぐにでも結果が知りたい者には物凄く長い期間に感じられるだろう。けれども結果がわかっているぼくたち親子にとっては、まるで苦にならない期間だ。
だから、ぼくたち親子は検査をしたことなど忘れたように時を過ごす。その間、ぼくは考え続ける。妻が浮気を揶揄される原因となった男は、果たして、北原和則なのだろうか、と……。もしそうだとすれば、幼稚園の親の誰かの家に、北原がエアコン修理に行ったのかもしれない。それにしても妻は創の顔を見て北原和則を思い出さなかったのだろうか。中学以来付き合いがないなら、その可能性もあるが、北原和則はちょっとしたイケメンだ。一度見れば忘れない顔ではないか。更に、ぼくと結婚する前、妻が北原と付き合っていたとすれば益々、創の顔が北原に似ている、と感じたはずだ。
が、妻はその点に関し、何も言わない。ぼくには限りなく黒に近いグレーに感じられるが、これが、依田探偵言うところの『それを聞かないのが大人だ』ということなのかもしれない。ぼくは大人にならなければならないのだろう。これからも続く結婚生活に波風を立てないために……。
更に親子鑑定の結果を待つ間、ぼくは依田探偵に連絡を入れる。苦情を言うために……。
「妻は浮気調査に気づいていましたよ。探偵失格ではないですか」
「契約書には、その点も記してあります」
「それはそうかもしれませんが、文句を言っていけないとは記されていない」
「はい」
「いったい、どんなヘマをされたんです」
「こちらの認識では、ヘマをした覚えはありません」
「では何故、妻にバレたんです」
「ご経験者、だからではないでしょうか」
「ご経験者、とは……」
「ご結婚前ですから浮気調査ではなく身辺調査でしょうが、そのご経験おありになるのではないか、ということです」
「当時の恋人の親からですか」
「ケースは色々ありますが、まあ、そんなところでしょう」
「しかし、それにしても……」
「ヘマはしていませんが、若い者を使ったので、上手くなかったのかもしれません。その点は謝ります」
「しかし一度経験すれば身辺調査がわかるようになるのですか」
「場合に寄ります」
「どんな場合ですか」
「勘が鋭い人は当然ですが、調査回数の多い方も気づき易くなります」
「妻の勘が鋭いか、あるいは複数の調査を受けていると……」
「証拠がないので、これ以上はお話できません」
「……」
「若手は叱っておきますから、この辺りで赦してください」
「もう一点だけ伺います。北原和則の方には調査を気づかれませんでしたか」
「気づかれなかった、とは思いますが、証拠がありませんので、お答えのしようがございません」
「そうですか」
「不手際があり、申し訳ございませんでした」
「いや、妻の潔白が証明されて、すっきりしましたよ。その点は感謝します」
そう締め括り、ぼくの方からスマートフォンを切る。
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