12 混

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12 混

 数日後、親子鑑定の結果が届く。当然のように、ぼくと創、それに妻と創は親子、という鑑定結果が出る。だから話はこれで終わったのだ。  創と顔がそっくりな北原和則の存在は、正直いえば、ぼくは気にかかる。が、それに拘っても仕方がないだろう。ぼくたち親子は元の幸せな親子に戻ったのだ。あとは、これからの日々を重ねて行けば良い。  が、しかし……。  白い車のことを気にしていると多くの白い車を見かける、という。車種を限定しても、それは同じだ。『ああ、今日は〇〇が多いな』という結果となる。黄色い蝶を追いかけても同じ結果が得られる。絶対に存在しないはずの銀色の蝶でさえ、ふと入った喫茶店の絵に中に見つけてしまう。  が、世に魔法はない。白い車や黄色い蝶は最初からいたのだ。けれども普段は人の目に入らない。それらを気にかけなければ人はそれらに気づかない、というだけのことだ。  では、最後の銀の蝶のケースはどうだろう。こちらは小さな奇跡と思える。それとも、そうではないのだろうか。  想いとは意識の集中だ。数多くの自己啓発本に記載がある。だから一件目の喫茶店で銀色の蝶を見つけられなくても、そこに置いてあった本の中で、あるいは電車の広告の中で、それとも自宅でテレビを見ているとき、人は銀の蝶を見つけるのだ。  だから、ぼくは気にしなければ良かったことになる。そうすれば、ぼくは見つけることはなかっただろう。けれども、ぼくは心の奥底から創と北原和則の顔の類似を忘れることができなかったのだ。それで、ぼくは見つけてしまう。創と北原和則の顔の類似が可能かもしれない仮説を……。  Y探偵社による調査により、妻と北原が親戚関係でないことはわかっている。妻の親戚の(或いはぼくの親戚の)一人に北原がいれば、創の顔が北原に似る可能性はあるが、それは既に否定されている。  さて……。  テレゴニーを一言で説明することは難しい。が、あえて説明すれば、ある雌が以前ある雄と交わり、その後その雌とは別の雄との間に生まれた子の中に前の雄の特徴が遺伝する、という仮説だ。これまでヒトではタブー視されてきたが、噛み砕いて言えば、未亡人や再婚した女性の子は先の夫の性質を帯びる、ということだ。  テレゴニーは十九世紀後半まで広く信じられてきた概念だ。けれども当時、証拠はない。現在では類似の現象がハエで発見されている。日本語では先夫遺伝(せんぷいでん)、あるいは感応遺伝(かんのういでん)と呼ばれている。  一九世紀に『モートン卿の牝馬』という、もっとも広く信じられたテレゴニーの例が登場する。これは外科医、エヴェラード・ホーム卿によって報告され、チャールズ・ダーウィンも引用したらしい。モートン卿は白い牝馬と野生のクアッガの種牡馬を飼育しており、後に同じ牝馬と別の白い種牡馬を飼育したところ、奇妙なことに、その子の足にはクアッガのような縞模様が観察された、というのだ。  ニューサウスウェールズ大学のグループはテレゴニーに類似の現象を初めてハエで発見し、二〇一三年の第一四回ヨーロッパ進化生物学会で発表している。スタンフォード大学のレオナルド・ハーゼンバーグ教授は一九七九年に胎児のDNAが妊娠によって母親の胎内に残る現象を初めて証明している。フレッド・ハッチンソン癌研究センターは二〇一二年に胎児のDNAが脳関門を通過し、母親の脳内に残る現象が珍しくない事実を明らかにする。同じ年にレイデン大学医療センターが以前の妊娠で母親の体に入った胎児のDNAが年下の兄弟の中にも入る現象を指摘している。  それらの事実から一部の科学者はテレゴニーを説明できる分子生物学的メカニズムを提唱している。そのメカニズムとは精子による女性生殖器内の体細胞への侵入、妊娠による胎児の細胞を経由したDNAの結合、精子から放出されたDNAの母体体細胞への取り込み、母体血中に存在する胎児のDNAによる影響、体細胞への外来性DNAの編入、精子や胎児に含まれるRNAによるエピジェネティクスな非メンデル遺伝などだ。  遺伝子検査で調べられるのは現在のDNAについてだけだ。それ以前の性交の相手により改変される以前のDNAについてはわからない。当然のことだ。  テレゴニーの詳細はマイクロキメリズムという概念で説明される。妊娠中に胎盤を通じた細胞の移動が双方向に発生する。移動した細胞は相手の免疫系に排除されずに定着し、数十年という長い期間に渡り存続が認められる。すなわちマイクロキメリズムとは遺伝的に由来の異なる少数の細胞が体内に定着し、存続している現象なのだ。  自分の遺伝子の中に他人の遺伝子が混じっている。それが生殖に関連するものであれば、現在の夫とは異なる性質が子供に伝えられる。わかりやすく言えば顔の類似が発生する。  ある研究によれば粘膜接触でもマイクロキメリズムは起るという。妊娠に至らなくとも、極端な場合、キスだけでも相手の遺伝子が混じるのだ。  妻が過去の何処かの時点で北原和則と関係したのは間違いない。それが子供を孕み、気づかず流産するような深い関係だったのか、キス程度の浅い関係だったのか、最近のことだったのか、過去のことだったのか、ぼくにはわからない。依田探偵に依頼し、調査をすればわかるのだろう。が、ぼくは知りたくない。北原和則以外に妻が過去に関係した男たちが創に及ぼした影響についても……。 「木村さん、これは、お珍しい」  無意識とは恐ろしいもので、テレゴニーのことを知った数日後、ぼくは依田探偵に出逢ってしまう。 「また私に御用ですか」  気づけば、会社帰りに『Y探偵社』のある街を彷徨っている。北原和則が務める『(株)S電気工務店』もある街だ。 「きょうは暇なので一杯やりますか」  ついで依田探偵に誘われるまま、彼行き付けのショットバーまで行ってしまう。 「そのご様子では、遂に知ってしまったようですね」  最初、ぼくは彼に何を言われているのかわからない。が、不意に気づく。 「依田さんは、テレゴニーを知っていたんですね」 「商売柄、早い時期に耳に入りました」 「それならば、ぼくが調査を依頼したとき、真っ先に思い出したでしょう」 「あれは今でも仮説ですよ」 「しかし、あそこまで似ていれば……」 「子供の顔は変わります」 「未だに、ぼくの顔には似ていなというのに……」 「私の見る限り、木村さんと息子さんは頬の特徴が同じです。それ以外の似ている内面は外からは見えません」 「ぼくには妻を責める気はこれっぽっちもないんですよ」 「ならば、現在を大切になさればいい」 「できればそうしたいです」 「もちろん、できますよ。それに木村さんが落ち込むと、奥さまは過去のことをあなたに打ち明けるかもしれない」 「どういう意味です」 「秘密いうものは人に預ければ軽くなるものです。けれども今度は預かった人の負担が増す。奥さまは木村さんに、そんな負担を与えたくないんです。全部、自分の中に留めるお気持ちでしょう。しかし木村さんが何も言わず、自分の過去のことで悩んでいると思えば、いずれ言わざる得なくなる」 「ぼくに言わないことが、ぼくのためだ、と仰るんですか……」 「そうではないパートナー・シップもあるでしょう。ですが、木村さんの場合は……」 「遺伝子鑑定のことを言い出したのも、ぼくの気持ちの揺れからなのですね」 「私には、そう思えます」 「……」 「さて、木村さんの初めてのお相手が奥さまかどうかは詮索しませんが、キスしたお相手くらいは過去に何人かあったでしょう」 「それが何か……」 「仮にテレゴニーが粘膜接触でも起こるとすれば男も同じなんですよ。元カノの遺伝子を妻との子供に混ぜ込んでいる」(了)
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