5 疑

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5 疑

 創はすくすくと育っている。彼自身には何の問題もない。が、気になる事態が発生する。創と同じ顔の男がいるらしいのだ。  男の顔を、ぼくが直接見たわけではない。創と同じ幼稚園に通う子供が目撃したのだ。 『そうくんと、そっくっりな、おとなのひとを、みたよ』  その子供が創に言う。 『あんまり、にてるんで、びっくりしちゃった』  『ふうん』  が、創は興味を示さない。それでも記憶の何処かに残っていたのか、ある夜、創がぼくに言う。 『ぼくと、おなじかおの、おとなのひとが、いたって、けんちゃんが、いってた』 『ふうん』  ぼくが答える。そのときには単なる偶然と感じたからだ。世の中には三人、似た顔の他人がいるという。そんな都市伝説を思い出しただけだ。  その後、創からは同じ話を聞かされない。だから創にその話をした、けんちゃんも、その後はその男を見ていないのだろう。だから、その事態は、それで終わって良かったのだ。  けれども……。  偶然というものは怖ろしい。ぼくが、その男を見かけてしまったのだ。綺麗な顔をした背の高い男だ。確かに創に似ている。だから、ぼくは混乱してしまう。  不思議と妻の顔には似ていない。創の顔は妻そっくりだというのに……。  誰が見比べても、それは事実だ。多くの人々が指摘する。けれども良く見てみれば創と妻の顔はまったく同じではない。当たり前のことだ。  第一に子供と大人の顔の違いがある。顔における目の位置に高低がある。第二にパーツの大きさに違いがある。ぼくの母が以前主張したように創の口許の形は妻と同じではない。妻は愛嬌のある大きな口だが創は小さい。ぼくも口は小さいので、創とは共通点があるのだろう。が、『似ている』というほどではない。次に、創と妻では鼻の大きさが違う。創の顔を大人の顔にマッピングすると鼻が妻より大きくなる。妻も眼鏡をかけるとずり落ちるほど低いわけではないが……。  細かく比較すれば創と妻の顔の相違点はまだあるだろう。  その一方で、ぼくが見かけたイケメン男の顔は全体的に創と似ている。それは妻の場合と同じだ。だから妻とは別の意味で創そっくり。更に男はパーツも創に似ている。特に妻と創が似ていないパーツが類似する。つまり口許や鼻だ。  ぼくはどうすれば良いのだろうか。どうすれば良いのかわからない。  常識的に考えれば、創は妻とあの男の子供に思える。他人の空似にしては似過ぎているからだ。それとも、これは単なるぼくの思い込みなのだろうか。ぼくの指摘は赤の他人から見れば、お笑い種の内容なのだろうか。  絶望感が、ぼくを襲う。が、男の姿を見失うわけにはいかない。ぼくは揺らぐ気持ちを無理矢理落ち着かせる。それしかない。恐らく、こんな偶然は二度とないだろう。男の姿を見失えば、もう二度と男と出会うことはないのだと思い込む。  仕事帰りにぼくが、この界隈を通りかかったのは偶々だ。相手の会社との交渉が終わり、時刻が午後五時を過ぎていたので、上司から直帰の許可を得、家路に向かう。その最中、ぼくが男と遭遇する。正確には、二車線の道路を挟んで反対側の歩道で見かけたので遭遇ではないかもしれないが……。  男を見かけた地域は、ぼくの家から徒歩で小一時間の名画座が多い街だ。有名な公園と病院もある。  男はスーツで姿ではなく、青い作業着を身に纏っている。だから何かの作業員だろう。手には大きな銀色のケースを下げている。車ではなく、徒歩で修理に来たのだろうか。あるいは近くに駐車するスペースがないため、駐車場から作業現場まで歩いているのか。それとも作業現場から駐車場に向かっているのか。  後者の場合、男が車に乗り、勤め先に向かえば絶望的だ。タクシーを拾い、追いかける手はあるが、そんな映画みたいなことが、ぼくにできるとも思えない。  そんなことを考えて、焦燥しながら、ぼくは横断歩道を渡り、男に近づく。最初は男の十メートル後方で、その後、次第に距離を詰める。そして更に距離を詰めると男の作業着に書かれた文字が読める。『(株)S電気工務店』という会社名が縫い込まれている。会社の所在地の記載もある。残念なことに、ぼくのいる位置からでは読めないが、電話番号まで記されている。  ぼくは尻ポケットからスマートフォンを取り出し、男の背中を写す。人通りがあったから通行人から怪しまれるだろうが構ってはいられない。ぼくは必死だ。  予想は後者となり、暫く進んだ先に駐車場が見える。男が乗って来たらしい業務車両が目に入る。ぼくは咄嗟に手を挙げ、タクシーを探す。が、こんなときに限ってタクシーが来ない。男が車に乗り込み、エンジンをスタートさせる。けれどもタクシーは来ない。男の車が発進する。それでもタクシーは来ない。  やがて男の車が、ぼくの視界から遠ざかる。そこで、やっとタクシーが近づいて来る。が、人が乗っている。ぼくは諦め、右手を下げる。すると冷たい厭な汗が、ぼくの全身から、わっと噴き出す。
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