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8 探
三社目の『(株)S電気工務店』には約二週間後に出向く。小さいが自社ビルを構えた会社だ。工務店の中に入るまでもなく、あの男と同じ作業着姿を目撃する。それで、ここに間違いない、と確信する。男の姿は確認できない。早番で家に帰ったのならば、いくら待っても会えないだろう。
……と、そこで、ぼくはハタと気づく。この会社で男を確認したとして、その後、ぼくはどう動けば良いのだろうか、と……。
直接男に詰め寄り、妻とのことを糺せば良いのか。が、それは、ぼくには無理だ。まず、切り出し方がわからない。その前に怖い。ぼくは臆病な人間なのだ。
……とすれば、ぼくは、どうすれば良いのだろうか。
ぼくが逡巡を始めると、電信柱に貼られた広告が迷わず目に飛び込んで来る。『Y探偵社』と書かれている。なるほど、その手があったか。思わず安堵し、ぼくが首肯く。が、すぐに不安材料が頭に浮かぶ。そもそも、探偵社の良し悪しがわからない。ネットで評判を調べれば、ある程度の判断はできるだろうが、やはり数社を当たった方が確実だろうか。
時間がまだあったので、三社目の『(株)S電気工務店』から程近い、『Y探偵社』を、ぼくは訊ねる。決めれば速い。
「済みません。これから、そちらに伺い、ご相談をしたいのですが……」
店を閉めていたら無駄足だから、先に電話を入れておく。
「はい、わかりました。お客様の、お越しをお待ちしております」
乾いた声で探偵社の人間が言う。ぼくは簡易的な地図と所在地を頼りに夜の街を彷徨う。電話の際、探偵社の人間から、『探偵社といってもマンションの一室ですが……』と教えられる。見つけたマンションのエントランスで『Y探偵社』に電話をし、マンションのセキュリティーを外してもらう。奥のエレベーターで五階に上がり、角部屋を探すと玄関前で男がぼくを出迎える。
「済みません。こんな時間に……」
ぼくが男に言うと、
「会社帰りの方も多く見えられます」
感情なく男が説明する。
「早速ですが、中へ……」
男に促され、ぼくがマンションの一室に入る。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。応接室に案内されると、
「今、お茶を出しますから……」
「お気遣いなく」
そんな遣り取りから商談が始まる。
「お恥ずかしい話なのですが、妻が浮気をしている可能性がありまして……」
「それはお気の毒に……」
「まだ可能性というだけですが……」
「お気持ちはお察しします。それで私共のところへ足を運ばれたのでしょうか」
「偶々、御社の広告を目にいたしまして……」
「……ということは、この辺りの会社の方でいらっしゃいますか」
「わたしは違いますが、浮気相手と思しい人間は、この近くで働いています」
「ほう。では、ご自身でそこまで、お突き止めになられたと……」
「ですが、素人にできるのはここまでです」
そう言い、ぼくが相手の濁った目つめる。
「まあ、そうでなければ、この商売はありません」
男がゆっくりと、ぼくに答える。
「自己紹介がまだでしたね。私は依田といいます。依田正義(よだ・まさよし)。どういった冗談なのか、『まさよし』は『正義』と書きます」
少し間があり、依田探偵が軽く笑う。が、ぼくには相手の営業トークに合わせる余裕がない。それでも自分の顔に愛想笑いを浮かび上がらせる。ぼくが営業畑の人間だからできる技だ。
「わたしは木村良樹といいます。文字の説明は省略します」
「構いませんよ。仮名でも結構です」
「本題に入ります。まず費用について教えてください。」
ぼくの質問に依田探偵が詳しい説明を繰り返す。その中で、彼が示した金額は法外ではないらしい。それでも、ぼくには大金に思える。ぼくの普通口座から簡単に引き出せる額だとしても……。
「わかりました。では、試しに一週間の調査をお願いします」
ぼくは腹を括り、『Y探偵社』と契約を結ぶ。
「相手の会社がわかっていますから必要経費は少なくて済むでしょう」
「男のことだけでなく、妻のことも調べて欲しいのですが……」
「浮気の調査なので、当然そうなります。それで費用も一人の人間を調べるケースより割り高になるのです」
「写真とかも写すのですか」
「後の離婚調停を有利に進められる証拠品を集めます。まあ、できる限りですが……。音声も狙います。他に手紙とか、通話記録だとか……」
「妻と離婚するかどうかは、まだわかりませんよ」
「それでも証拠はあった方が良いでしょう」
「……」
「調査は前金をいただいてから開始となります」
「次に、わたしが此処を訪れたら会社がない、という事態はないでしょうね」
「それをお気になさるのであれば、木村さんと交わしたこれまでの会話を差し上げましょう」
「まさか、録音していたんですか」
「探偵の嗜みですよ。ヤクザが調査依頼に来て暴れることもありますから……」
「怖い商売だ」
「ええ、私も、まさか自分がこんなヤクザな商売に手を染めるとは思ってもみませんでした」
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