第一話 ライラックの咲く頃

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(素敵な人だなぁ。ハーフかクォーターかな)  面長の小さな顔に彫の深い端正な顔立ちを見て改めて思う。西洋風の王子の格好をしている。 「新入生の皆様、演劇部へようこそ! これから『春~プリマヴェーラ』を始めます」  張りのある女性の声が響く。拍手が起こる。彼女も遠慮がちに拍手をしながら、時計台の前、ライラックの前に立った。人だかりでほとんど見えないけれど、彼と他数名の男子の顔は見える。 「春、全てもの芽生えの季節」  先程の声質とは異なる澄んだ女性の声が響く。 「ふわー、良く寝た」 「おはよう、久しぶりだね、雪割草の精霊さん」 「あら、久しぶりね、モンシロチョウさん」  人だかりの壁で何を上演しているのかは不明だが、声から察するに春の花々と蝶々が挨拶をしあっているのだと思われる。観客の女子たちの黄色い声がこだまする。彼の登場場面のようだ。肩から上しか見えないが、パッと花が咲いたように場が一際華やかになる。 「今年もつつがなく咲いているようだな。希望に満ちたそのエネルギーを地上の生物全てにお裾分けしておくれ」 (声も素敵。ヴィオラみたいに落ちついて澄んだ声質。天は二物を与えず、ていうけど、あれって嘘だよね)  とつくづく思いながら。あっという間に惹き付けられた。舞台は春風役が登場し、彼女によって花々のエネルギーが地上へと運ばれていく。希望を持って生きよう! というような内容だった。役者たちのエネルギーに圧倒された。役者たちの情熱で、その場が太陽のように輝き、眩しく感じた。いつもの自分なら、 (あんなキラキラした群れに入ったらひとたまりもない。日陰の私は溶けてしまうに違いないわ)と敬遠するだろう。だが、今回は違った。鳩尾の奥底から湧き出でる衝動と言う名の情熱だった。久々に感じるその衝動に戸惑う。 (そうか。全く違う自分を演じられるのって凄いなぁ)  拍手喝采の中、彼女はもう一度パンフレットを見る。 ※全くの初心者大歓迎。最初から一つ一つ丁寧に教えますの一文の下に、※変わりたいあなた! 演劇を通して自己を見つめ、受け入れ、そして解放してみませんか? 演劇を通して、自分を好きになれるかもしれません。  その言葉に強く惹かれた。まるで自分へのメッセージのように感じた。パンフレットを鞄にしまうと、再びライラックに向き合う。そして遠慮がちにゆるゆると右手をあげ、花に手を伸ばした。  先程見つけた五枚の花びらを持つ花に触れる。(ごめんね)と声をかけ、優しく人差し指と親指で撫でていると、ぽろりと花が手の平に零れた。そっと目の前に持って来て見る。確かに五枚の花びらのものだ。周囲を見渡し、誰にも見られていない事を確認する。甘い香りが鼻をついた。軽く目を閉じ、彼の姿を思い浮かべながらその花を口に含んだ。そしてゆっくりと飲み込む。それは思いの外ひんやりとしてビロードのような舌触りだった。わずかに異物感覚えたが、さほど労せず飲み込めた。  彼女が花を飲み込んだのは、『ハッピーライラック』という御呪いだ。普通は四枚の花びらのライラックだが、稀に五枚の花びらを持つ事がある。それを見つけた事を誰にも言わずに飲み込むと、愛する人と永遠幸せになれるというものだ。  (別に、私なんかと付き合って貰おうだなんて大それた事は考えていないけど、少しでも近づけたら良いな。緊張いないで普通にお話出来たらな。なーんて、そもそもこの御呪いが効くか? て話だけど)  自嘲とも苦笑とも取れる曖昧な笑みを浮かべた。決意を固めたように、しっかりとした足取りで歩き始めた。
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