第二章:ヤミテラ 2-5:デパート地階:囮1

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第二章:ヤミテラ 2-5:デパート地階:囮1

「俺の名前は高野だ」  中年男は、店舗を出ると、でっぷりとした腹を、パーン! と勢い良く叩いた。 「俺は、安達っす。安達一重。大学二年です……チクショー! なんだよ、やっぱり、いっぱいいるじゃん……」  俺は、引き攣った笑い顔で高野さんに並び、同じく腹をポンッと叩いた。  中央階段前の、少なく見ても十体以上のゾンビ達がこちらを見た。 「大学二年か。一番楽しい時だな。酒飲んで、ゲームして、酒飲んで」 「飲みまくりじゃないっすか」 「だから! このような! 腹になっておる!」  また、パーン! ゾンビがこちらに向かって動き出す。 「くそっ……マジで多いじゃねえか、チクショー!」  高野さんの甲高いチクショーに、俺は小さく吹き出した。  笑うと――不思議と心が落ち着いた。  俺達は、ゆっくりとゾンビに向かって歩き出す。  唸り声に、臭い――死臭? ともかく、胃がひっくり返りそうな臭いがじわじわと迫ってきた。 「うぐっ……すんません。ちょっと吐きそうです」 「おう、吐いても良いぞ安達君! 連中がゲロの臭いで寄ってくるかもしれんな!」  高野さんは額に汗を浮かべながら、やけに大きな声で喋った。語尾が若干震えている。  対して俺は、小声で、完全に震えた声だ。  俺達は皆が隠れてる店舗から十分距離をとると、ゆっくりと通路を左に曲がった。高野さんが、指の関節を鳴らしながら俺と並んで歩く。  狙い通り、ゾンビ達は俺達の後に続いた。 「よーし、よしよしよし! 来たな! これで良いんだよな、安達君!」 「はい、はいはい! 多分、いや、完璧ですね。わー、上手くいってる~……うっぷ」 「ははは! じゃ、じゃあ、いっちょやるか!   ……あー…………ぼ、ボケ! カス! この役立たず! ぐずぐず歩きやがって、この給料泥棒! クソ上司!」 「ふへ! た、ただのストレス解消じゃないっすか!」 「いーから、君もやれって! おらぁ! 近づいただけでセクハラって、なんじゃあ!」 「なんじゃって、知らんがな! お、おら、このクソ教授! 声が小さいうえに、板書が汚えんだよ! あと、学食のおばちゃん! 俺が飲もうとすると給水機掃除始めるのやめろや!」  わっはっはっはと泣き笑いしながら、高野さんも取引先の悪口を連呼する。  ゾンビ達の後ろを、二瓶たちが忍び足で通過していった。  ゾンビがどんどん増えていく。通り過ぎた店舗の影から、通路の奥から、ゆらゆらと連中は歩いてくる。 「こいつらって――言葉は判らんよな?」 「多分、きっと、判らないんじゃないかな、と」  高野さんは声を張り上げた。 「隠れててる皆さーん! こちらで引きつけますので、エレベーターまで行ってください! 店員さん達は誘導をよろしくお願いいたします! 移動の際は、なるべく音を立てないようにしてくださーい!」  俺は高野さんの肩を叩き、早足になると、通路が交差している場所を素早く通り抜けた。そして、すぐに角を曲がり、ちょっと立ち止まる。ゾンビとの距離が縮まったら、また角を曲がる――ようするに、三つほどの店舗の周りをぐるぐる周っているのである。  だから問題は、通路が交わるところでゾンビに挟まれることなのだ。 「……こいつらって、ほんとに、何も考えてないんですね……」  俺は後ろを伺いながら、溜息をついた。  ゾンビはぞろぞろと、カルガモ一家のように俺達の後を歩いている。 「多分、つい一時間前までは生きてたのに、な」  高野さんは、ハンカチで汗をぬぐいながら、低い声で呟いた。 「何とも、悲しい光景だな」  先頭のゾンビは、老人だった。その後ろには、俺と同い年ぐらいのガタイのいい男。その後ろに太ったおばさん、と続く。  この人達は――高野さんが言うように、きっと一時間前は、健康に気を使って、財布の中身を気にして、明日何をしようか、とか考えていたんだろうな……。  ふと、妙な興奮を感じた。  小学生の時に祖父が死んだが、その遺体は、不思議と怖くなかった。  だけど、今、後をついてくる連中は怖い。  人は死ぬ。  それは知っていたけども、『死ぬ』っていうのが、こんなにも虚しくて――寂しいものだとは露程も思わなかった。  俺の後ろを、その『死』が歩いてくる。  俺はだから歩き続けている。  今は、歩くことが『生きる』ことで、それが、とても――  気持ち良い……。 「――聞いたか!? 安達君、聞いたか?」 「……はい? え? な、なんすか?」 「ぼうっとしてるな! ……ほら!」   遠くから微かに、木霊するようなチャイムが聞こえた気がした。 「あ……エレベーター! 動いてます? 動いてますよね!?」  高野さんは、頷きながら、時計を確認する。 「一度に二十人乗れるとして、あと――十五分くらい囮をやれば――」  俺はバランスを崩し、床に倒れた。  ショーウィンドウの影、しかも床すれすれから、手が付き出て俺の足を掴んでいた。 「う、うわっ――いてててて!」  万力のような力、というのを俺は初めて体験した。足がもげそうな勢いで、ぎりぎりと足首を締め上げられる。  高野さんが、スーツを手に巻くと、その腕を殴った。締め付けが弱くなり、俺は足を抜こうと思い切り引っ張った。  ずるりと、店舗の影から、ゾンビが引きずられて出てきた。  高野さんが、拳を振り上げたまま固まる。  モデルみたいな顔をした、高そうな服を着た女性のゾンビ。何があったのかは想像もできないが、ともかく、そいつには下半身が無かった。  思ったよりも黒い血と、照明で、てらてら光る内臓をはみ出させ、半身ゾンビは唸り声をあげて、今度は高野さんの足を掴もうとした。  高野さんはその手ごとそいつの顔を蹴り上げ、半身ゾンビはごろりと裏返しになった。断面がねっとりとした音を立てて、床に血の糸を引く。  俺は慌てて立ち上がった。 「この――この、死人野郎め……」  高野さんが、泣きそうな声で、うねうねと蠢く半身ゾンビに向かって呟いた。   俺は高野さんの肩を叩くと、ありがとうございます、とお礼を言った。高野さんは荒い息を吐きながら、何度も小さく頷く。 「二人ともー! そろそろこっちに来てくださーい! あと一回で全員上に行けます!」  二瓶の声が遠くから聞こえた。  俺と高野さんは、お互いを見て、それから辺りを見回した。  今の場所は、さっき皆が隠れていた店舗の近く、つまりエスカレーターとは中央階段を挟んで反対側だ。ついてきているゾンビは――三十を越しているように思う。 「……行くか」  高野さんの言葉に、俺は頷くと、目の前の洋菓子店に走り込んだ。テーブルと椅子の間を縫うように通り、ショーケースの上を滑るように乗り越える。  ゾンビを引きつけるだけ引きつけたら、直線でエレベーターに向かう。  ゾンビは障害物を乗り越える事が出来ない――囮をしながら、連中を観察して考えたシンプルな作戦だったが、実に有効だった。  ……俺一人なら。
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