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傘も差さずば
ビルの一室に男と女がいる。男は細く開いた窓からライフル銃で別のビルの一室を狙い、女は双眼鏡で周囲を観測している。
「傘も差さずば撃たれまい」
「キジも鳴かずば、でしょ」
「知ってる。もじりだよ」
「急に何」
「どういう意味か知ってるか」
「……余計なことをしなければ災いに遭わずに済んだのに、とかだっけ」
「正解。教養があるじゃないか」
「褒められても嬉しくないわ」
「いや、傘でも同じことが言えるわけよ。急に思い出した」
「何の話よ」
「昔な、おれがまだ警察にいた頃の話だ」
「あんたの過去には興味ないけど」
「まあ、そう言うな。俺が話したいんだ。暇だしな」
「勝手にしろ」
「あるとき、外国の要人だかが来たんで、その警護として配置されてな」
「……」
「雨も降っていないのに、黒くて長い棒を両手に持っている男がいたわけよ」
「……」
「棒の先が群衆に向かおうとしてた。周りの警官どもは気づいていなかったし、俺もその男からだいぶ離れていたからな」
「……」
「抜いて、構えて、狙って、撃ったよ」
「……」
「みごと命中。駆け寄って、まだ手に持ってた銃を蹴り飛ばしたらな」
「……」
「傘だったよ」
「……」
「俺も泡食ったけど、周りはそれどころじゃない。銃声がして死人が出てるから、たちまちパニックになってな」
「……」
「襲撃によって民間人の犠牲者一名、とか報道されてたが、ありゃ俺だ」
「……」
「ああいうときの警察上層部の判断っていうのは迷いがないね。警察官が犯人なんて、出しちゃいかんで一致団結」
「……」
「運よく誰にも見られていなかったから、そういう思い切った隠蔽もできたわけだ」
「……」
「さすがに警察は辞めることになったけどな。流れ流れてお前とここにいる、これもまた運命だな」
「その事件は覚えてる。うん、忘れられないよ」
「お、そうか」
「死んだ男の娘が私だからな」
驚いて振り向いた男の額に、女は銃口をそっと押し付けた。
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