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001:魔王転生 ☆
黒く濁った空を、羽を持った複数の異形の魔物が飛び交っていく。
だがそれらを撃ち落とすべく、地上から無数の矢と炎が飛んでいき異形の魔物たちへと襲い掛かる。
ある者は翼に矢を受けて墜落していき、またある者は炎に焼かれて消し炭になって消えていく。
地上より無数に放たれてる矢を命からがら躱しながら、ある一匹の魔物は考える……どうしてこうなったのだ?……と。
だが一本の矢がその魔物の心臓を的確に貫き、追い打ちをかけるかの如く無数の炎が飛んできてあっという間に焼き尽くしてしまった。
その光景を地上から見ていた者たちの間で歓声が沸き起こる。
「正義は我らにあり!」
「このまま奴らを根絶やしにするぞ!」
「長年にわたり虐げられた我らの尊厳を取り戻すのだ!!」
その叫びに呼応するかの如く、より一層魔物たちへの攻撃が激しさを増していく。
もはや勝敗は火を見るよりも明らかだった。
ここは魔界と呼ばれる大陸。
魔物と呼ばれる異形の者たちが暮らす暗黒の大地。
今この魔界で魔物と人間たちによる、歴史上最後となる戦いが繰り広げられていた。
「魔王様!!」
一人の人間でいうところの年寄りのような魔物が、息を切らしながら魔王城の魔王の玉座へと駆け込んできた。
その顔からはもう一切の余裕もなく、事態がかつてない混迷を迎えていることは明白だった。
「どうしたヨルム?」
玉座に座るこの城の主であり、魔界を統べる魔王カイムは、特に慌てた様子もなくヨルムへと問いかけた。
「人間たちがもうすぐそこまで迫っています! 地上部隊も空中部隊も全滅でございます!!」
「……そうか」
魔王カイムはその報告を受けてもなお、顔色一つ変えずにため息を一つついただけだった。
「どうやら今回の勇者は今までとは比較にならない強さを持っているみたいだな」
「はい……それに知恵も回るようでして、地の利で有利であるはずの我々も全く手が出ずこのありさまでございますです……」
魔界に人間たちが攻め入って来たのは、何も今回が初めての事ではない。
この世界に人間と魔物が産み落とされてからすでに幾千年……両者の戦いは鎮まるどころか激化する一方だった。
個々の力では魔物の方が圧倒的に優位であるが、数の優位は人間側にある。
いかに強い力を持つ魔物と言えど、数にものを言わせた物量で攻めてこられたら不利な状況に立たされる。
そして人間の中には、神から特別な力を授かった者が生まれてくる。
そう言った特別な力を持った者を、人間たちは「勇者」と呼び祀り上げ、こうして数年に一度勇者と共に魔界へと攻め入ってくるのだ。
だが神は人間だけはなく、魔物にも特別な力を持たせることもある。
人間でいうところの「勇者」と呼べる存在……それこそがこの魔界を統べる魔王カイムなのである。
「今までの勇者はこの部屋に辿り着く前に力尽き倒れて行ったのだがな」
「魔王様、ここはわたくしが時間を稼ぎます故、どうかお逃げください」
「いや、逃げるのはお前だけでいい」
玉座から立ち上がった魔王カイムは、今まで誰も見たことがなかったほどの慈愛の笑みを浮かべて、ヨルムの元へと近づいてきた。
「なっ何を仰いますか! 魔王様を一人残しわたくしが逃げるなど……!」
「お前は俺が物心ついた時からずっと俺に尽くしてくれた……もうその役目から解放されてもいいだろう? それに俺はお前が勇者の手に掛かるところを見たくはないのだ」
「勿体ないお言葉……ですが!」
「許せ、ヨルム」
魔王がヨルムへと手を掲げると、ヨルムの身体が光に包まれていき、瞬く間に消えてしまった。
転移の光に包まれて消えていくヨルムの最後の表情は、魔王の心にまるで棘のように突き刺さった。
「……せめてお前だけでも生き延びろ」
そう呟き目を閉じた魔王の耳へ、一人の足音が届いた。
何者にも邪魔されずここまで真っすぐに向かってくるその足音の主は、最早想像に難しくない。
「ついにこの時が来たのか」
目を開けた魔王はマントを翻し、ヨルムが開けっ放しにしていた扉へとまっすぐに向き直る。
耳に届く足音が段々とこちらへと近づいてくるにしたがって、魔王は自らの魔力を静かに解き放っていく。
この魔力に気圧されて一瞬でも足を止めたのなら、残念ながらこの玉座の間へ足を踏み入れる資格はないのだが……。
「恐れずに向かってくるか……面白い」
力の差もわからない愚か者か、はたまた自分と対等に戦えるほどの力を持った真の勇者か……。
結果だけ先に記すと、それは後者の方であった。
何もない真っ暗な空間の中で、魔王は意識を取り戻した。
「……そうだった……俺は負けたのだったな」
肉体を滅ぼされて、魂だけになった魔王カイムは、先程までの勇者との死闘を思い返す。
勇者の名に恥じぬ、中々の力の使い手だった……だが……。
「俺を倒すには、まだまだ力が足りなかったな」
ではなぜ今こうして魔王は魂だけの存在になり果てたのか?
一言でいえば、魔王は勇者に花を持たせてやったのだ。
「いい加減、魔物と人間との争いにも疲れていたからな……ここらが潮時だったろう」
そう……魔王カイムは何時まで経っても終わらない人間と魔物の戦争に疲れ果てていたのだ。
何度退けても馬鹿の一つ覚えのように魔界へと攻め入り、話し合いにすら応えず、こちらが魔物だからという理由で好き勝手に殺戮を繰り返す人間たち。
そんな浅はかで愚かな人間たちに怒りを覚え、魔王である自分の命令さえまともに聞かず、力には力で返しより一層人間たちへの憎悪を募らせていく魔物たち。
これではどちらが人間で魔物なのか分かった者ではない……言うなれば戦争という状況下では人間も魔物もただ殺戮を繰り返す魂の無い人形の様であった。
そんな意味のない争いを何千年も繰り返し見てきたカイムからすれば、精神が疲弊して当然とも言えよう。
「元々、俺は人間たちとの争いになんて興味がなかったんだがなぁ……」
むしろカイムは極力戦いを避けるように人間たちと交渉を続けようとしていたのだが、それを一方的に跳ね除けていたのは他ならぬ人間たちだった。
魔物側に完全に非がないとは言うつもりはないが、人間たちの中にももう少し話の分かる奴がいれば……。
「まあこんなことを思っても、後の祭りだがな」
死人に口なし。
戦いに負けた者は、戦いに勝った者に対し何も言う権利はないのだ。
「だがこれで俺はようやく自由の身になれるな」
終わらない戦争に疲れ果て、いい加減安らぎを得たいと思っていたカイムにとって、今回の勇者の登場は渡りに船であった。
強い力を持った勇者に負けたのであれば、一応の体裁は保てるだろう。……死んでしまった身の上で体裁も何もあったものではないが。
だが滅ぼされる理由としては十分すぎるほどだ……まさか魔王である自分が勇者相手に手加減して負けたなどと誰も思わないだろう。
あの場にヨウムがいれば、カイムが手を抜いて勇者と戦っていたことがバレていただろうが……その事態を避けるためにカイムはあの場からヨウムを逃がしたのだ。
そう……すべては……。
「計算通りだ! これで俺はかねてより準備していた魂の転生をすることが出来る!」
勇者と戦う前に放っていたあの魔力は、ただ威圧するための物ではなく、自身を転生させるための魔法の術式を発動させるための物でもあった。
本来なら勇者に負けた時点でカイムの魂は完全に浄化されて、存在そのものが綺麗さっぱりなくなっていただろうが、カイムはその事態を避けるために準備を進めていたのだ。
「俺の力の全てを使い切ってしまうから、転生先では碌な力を使えないだろうが……まあ10年もあれば半分くらいは回復するはずだ」
その為には安全に力を回復できる環境を手に入れなければならない。
別に力を回復させた後で世界征服に乗り出す気など毛頭ないが、魔王としての力は持っていても困るものではないのだ。
カイムは自身に残された魔力を総動員して、転生先としてふさわしい環境を探し始めた。
あらかじめ展開していた魔法で魂の消滅こそ免れているが、それだっていつまで持つかはわからないのだ……急がなくてはならない。
「……ほう? まるであつらえたかのような環境があるじゃないか!」
どれくらいそうしていただろうか……カイムはついに自分の求める環境を探し当てることに成功した。
そこは地球と呼ばれる世界で、今まさに人間の男の子として生まれてくる魂が存在していた。
「丁度いい、この魂に俺の存在そのものを転移させよう」
まだ何者にも穢されていない真っ白な光を放つその魂に、カイムは干渉していく。
触れてみてわかったのだが、まるでそうなることが当たり前かの如く、自分と相性がいいのだ。
「……何か臭うな……だが俺が転生する先としては十分すぎるほどの環境が手に入る……」
若干のきな臭さを禁じえなかったが、ぼやぼやしていたらいくら魔王と言えど魂がどんどん疲弊して、最終的には完全に消滅してしまうだろう……悩んでいる暇などなかった。
「喜べ、名もなき魂よ……魔界の王であるこの魔王カイムの宿り先として選ばれたことを光栄に思うがいい!」
穢れなきその真っ白な光輝く魂へ、魔王はその強大な力の全てを使い自身の存在を刻み込ませた。
これが勇者に敗れた「魔王カイム」が、地球に住む人間の子供「世良海斗」として生まれ変わることとなった一連の流れであった。
カーテンの隙間から漏れる光で目を覚ます。
「……朝か」
眠い目をこすりながら布団から這い出て、立ち上がり大きく伸びをする。
鼻をくすぐるのは香ばしいみそ汁の香りに、甘い卵焼きの匂い。
「今日も美味い朝食が食べられそうだな」
そう思うと、いてもたってもいられない。こんなところで眠気に負けている場合ではないとばかりに、その少年は部屋を出て階段を降りていく。
ダイニングを抜けてキッチンへと足を運ぶと、そこには制服の上からエプロンを付けた一人の少女が、朝食を用意すべく忙しなく動き回っていた。
完全に慣れていて習慣化しているのか、忙しいながらもその動きは洗練されているようだ。
どうやらその少女は朝ごはんの準備で忙しいらしく、背後に現れたその少年に気が付いてはいないようだった。
その様子が少しおかしくて、その少年……世良海斗は顔に笑みを浮かべたまま、その少女に明るく声を掛けた。
「おはよう、日向」
海斗の挨拶に驚いたその少女……世良日向が少し慌てた様子で海斗へと振り返った。
「おはようお兄ちゃん! 朝ごはんもうすぐ出来るから今のうちに顔洗って来てね!」
兄である海斗に向けて笑顔で挨拶を返す日向の笑顔は、窓か差し込む朝日に照らされて、まさに女神のように海斗の瞳に映っていた。
この眩しいばかりの笑顔を見るたびに海斗は常に思う……。
この最愛の妹を護ることこそが、俺の魔王としての力の使い道なのだと。
この最愛の妹を護るために、俺はこの世界に転生して来たのだと。
そう……転生した魔王カイムは、様々な経緯を経て立派な妹バカへと変貌していたのだった。
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