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002:魔王と妹の朝のひと時
俺が世良海斗として転生してから早17年。
この17年間は元の世界にいた時と比べ物にならないほど、穏やかで平和なひと時だった。
もっとも魔王として千年以上も生きてきた俺からすれば、17年など瞬きしてる間に経過していくに過ぎない……と思っていたのだが、人間に生まれ変わったせいだろうか、妙に時間の感覚が遅く感じるのだ。
この現象について様々な文献を漁り読みつくした結果わかったことが、人間と言う物は退屈を感じていればそれだけ時間の流れが遅く感じ、逆に充実していれば体感的に時の流れが速く感じるのだという。
……だが俺はこの説が間違いであると唱えたい。
だってそうだろう? 俺がこの世界に転生してからの17年間は魔王として生きた千年と同じくらい長く感じたんだぞ?
先ほども言った通りこの数年は本当に穏やかで平和だったのにだ?
どちらかと言えば俺は魔王時代の方が、様々なことに嫌気が差して退屈をしていたはずなのに、時間が飛ぶように過ぎて行ったのだからな。
今になって考えるに、あの頃の俺は本当の意味で打ち込めるものを見つけていなかったからだろうな。
なぜなら今の俺は……。
「どうしたのお兄ちゃん、ぼーっとして?」
目の前の少女……俺の妹である「世良日向」が少し心配そうな顔でこちらを覗き込んできた。
いかんいかん……日向との貴重な朝のひと時をつまらなかった魔王時代の思い出にふけって台無しにするなどもってのほかだ。
日向との朝食の時間はまた明日も来るが、今日この日の日向との朝食の時間は今しかないのだ。
日向との一日一日をきちんと魂に刻み込んで行かないといけない……それが魔王としての……兄として役目に他ならない。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと昨日夜更かししちゃってな」
「お兄ちゃんでも夜更かしすることあるんだね? いつも規則正しい生活してるのかと思ってたよ」
子供のころから日向にとって自慢の兄となれるように、様々な分野を手を抜かず全力に取りくんできたからか、俺は周りから完璧超人だと思われている。
それは日向も例外ではなく、俺のことを欠点のない完璧な兄だと思ってくれているのだ。
そうなるように努力を積み重ねてきたのは他ならない自分自身だから、この境遇に文句を言うつもりはないし、むしろ望むところである。
すべては妹の為を思えばこそだ。
「ちょっと面白い動画を見つけたんだ。シリーズ化してるみたいだったからそれを追いかけてたら寝る時間が犠牲になってたんだよ」
「へえ? どんなのどんなの?」
「今日の学校が終わったら日向にも教えてあげるよ」
今すぐに教えてもらえないことに若干の不満顔をした日向だったが、どうやら些細なことだったらしく、すぐに気を取り直して自身の渾身の作である厚焼き玉子へと箸を伸ばし始めた。
巧みな話術で日向の追及を逃れることが出来たな……まあ俺の話術というより日向が単純だからという説もあるが、そんな単純なところも可愛いのが日向の恐ろしいところだ。
「今日の厚焼き玉子本当に美味しくできたんだよ! 多分今年一かも!」
「先週もそんなこと言ってたじゃないか」
もっと言えば厚焼き玉子を作る度に同じことを言っているが、そこも日向の可愛いところだ。
まあこれに限らず日向の作る料理はなんだって美味しい。
俺もやってできないことはないが、どういうわけか日向よりもうまく作ることができないのだ。
密かに魔王としての力で、食材の旨味を100%引き出して料理して日向に振舞ったことがあったが、そこまでしても日向の作る料理にはまるで敵わなかった。
あらゆる面において魔物に劣る人間が、その長である魔王をも凌駕する力を発揮するなど、あってはならないことだが……まあ日向なら納得だ。
なにせ日向はこの世界で何もにも代えられない唯一無二の女神に等しい存在だからな。
「日向の作る料理なら、魔界を巡る争いすら止められるだろうな」
「……お兄ちゃんってたまによくわからない冗談を突発的に言い出すよね?」
冗談でなく本気でそう思っているんだが……どうやら上手く日向には伝わらないようだ。
少し悲しい気持ちに浸りながら、朝の貴重な朝食タイムが終わりを告げる。
うむ、今日も日向の作る料理は最高だな! これを毎日食べられる俺はきっとこの世界で最高に恵まれた存在に違いない。
「ごちそうさま。今日も美味しかったよ」
「お粗末様でしたー♪ それじゃ食器洗ってくるね!」
空になった食器を回収した日向が立ち上がり、洗い場へと向かっていくのを横目に、ふと隣の席へと目を向ける。
そこには念のためにと用意された空の茶碗と、まだ少し暖かさの残る小皿へと盛られた厚焼き玉子にポテトサラダ。
……今日も父は起きてこなかったのか。
「日向、父さんから何か聞いてる?」
「えっと……今週は先週以上にタイムスケジュールがぐちゃぐちゃだからーって」
「そっか」
父はSEの仕事をしており、それこそ文字通り昼も夜もない生活を送っている。
俺たちの前に姿を見せるのも稀であり、声を聴けることなどもってのほかだ。
一か月前はたしか家には一回も帰ってこれなかったくらいだったな……我が父親ながら心配になってしまう。
魔族でもあそこまで過酷な労働をしているのを見たことがない……人間とはかくも業の深い生き物だな。
とはいえ、別に俺たちと仲が悪いわけでもなく、どちらかと言うと俺たちを養うために身を粉にして働く父の事は、俺も日向も素直に尊敬している。
人間の中にも勇者でもないのに中々骨のある物がいるものだと、感心することしきりだ。
「お待たせお兄ちゃん」
「なんだ? 今日は洗い物済ませておかないのか?」
「今日日直だから急がないとだし、帰ってきてからやるよ」
そうか……なら俺もそれに合わせて早めに家を出ることにしよう。
日向はどこか抜けてるところがあるから、目を離すと何かしらのトラブルに巻き込まれていることが多々あるからな。
常に傍にいて目を光らせていないと、どんな不幸が降りかかるか分かったもんじゃない。
……元魔王である俺の妹として生まれたこと自体が不幸かもしれないという意見は、耳を貸すつもりはないからな?
「じゃあ私、先にお母さんに挨拶してくるね」
「いや、俺も一緒に行くから母さんのところにいくよ」
「そうなんだ? じゃあ一緒に行こ」
そうして俺たちは二人連れ立って「母の部屋」へと足を運んで行ったのだった。
「行って来まーす!」
「はい、行って来ます」
先に門を出た日向の背中を見守りながら玄関の鍵を閉めた。
うむ……今日もいい天気だ。
魔界は常に瘴気で溢れていて空気が濁っている関係で、空が真っ黒だったからなぁ……この世界の空気も聞けば結構汚れているらしいが、魔界に比べたら澄み切っているどころの話ではない。
「なんだかんだ言ってお兄ちゃんって、いつも私と一緒に登校してくれるよね?」
「日向は目を離すとすぐに変なことに首突っ込んでるからな……常に目を光らせてないと危なっかしいんだよ」
「ひっどーい! そんなことないもん!」
元気よく俺の隣へと駆け寄って来た日向が、頬を膨らませながら抗議の声を上げる。そんな顔も可愛いぞ日向よ。
「私この前友達から聞いたよ? お兄ちゃんみたいな妹離れ出来ない人の事を「シスコン」って言うんだって」
「誰だそんなことを言う奴は? ちょっとお兄ちゃんの前に連れてきなさい、とっちめてやるから」
シスコンだなんて心外だ……俺はただ日向をこの世界に満ちる悪意から守りたいだけだぞ?
現に日向が生まれて15年間、俺は元魔王の力を惜しむことなく日向を守る為にだな―――
「私もね、その友達に「お兄ちゃんはシスコンじゃないよ?」ってちゃんと言い返したんだけど……なんかため息吐かれて「あんたも大概よね」って言われちゃった」
「よくぞ言い返した日向! さすが俺の妹だ」
そう言いながら頭をわしわしと撫でてやると、「髪の毛が乱れるからやめてー」と言いながらも、どこから嬉しそうに日向が笑っていた。
大丈夫だぞ日向? 髪の毛が多少乱れたところで日向の可愛さは全く揺るがないし、もしそれをバカにする輩がいたら俺の魔王としての力を持ってして、生まれてきたことを後悔させてやるからな?
「私たちは普通に仲のいい兄妹だもんね」
「ああ、そうだよな」
すぐ横を通り過ぎた、俺たちの事を良く知る近所に住む鈴木さんちのばあちゃんが、日向との会話を聞いて「えっ!?」って感じでの顔で、仰天しつつこちらに勢いよく振り返った気がしたが、多分気のせいだろうな。
俺たちはどこに出しても恥ずかしくない仲良し兄妹だというのに……シスコンだなんて全くもって失礼な話だ。
「そうだお兄ちゃん、今週末に小テストがあるみたいなの」
「なんだそれ唐突だな?」
とは言うが、実はその話自体は日向の鞄についたストラップに擬態した俺の魔力で作り出した使い魔を通じて知ってはいるんだがな。
使い魔を通じて日向の周辺の事情を把握しておくのも、兄としての責務と言えよう。
……プライベートの侵害? ちょっと何を言ってるのかわからんな。人間の尺度で魔王である俺を図ってほしくない物だな。
「だから今日帰ったら勉強教えてほしいなって……」
「前にも言ったけど、そういう時に俺に頼りすぎると、いざって時に困るのは日向だぞ?」
「それはそうなんだけどさ……」
基本的に日向の望みは何が何でも叶える方針である俺だが、常に甘い面ばかり見せていたのでは、いつか日向が堕落してしまうかもしれないからな……時にこうして厳しく突き放すのも兄の役目だ。
俺も魔王時代は、出来るだけ部下の魔物たちにあまり俺に頼らずに自力で考えて動くように指導を――
「今度チーズケーキ作ってあげるから!」
「兄を買収するとはけしからん妹だな? 今回だけだぞ?」
「わーい、ありがとう! お兄ちゃんのそういうところ大好きだよ!」
やめろ日向、その言葉は俺に張られた様々な魔力で出来た防御壁を軽々と貫通して、魂に直接突き刺さるんだ。
勇者の剣すら通さなかった俺の防御壁を軽々と貫通してくるんだから、まったくもって俺の妹は恐ろしい存在だ。
「それじゃあ帰ったらよろしくね、お兄ちゃん!」
そんなことを思っていると、いつもの分かれ道に到着してしまい日向と別れることとなった。
まあこればっかりは仕方ない……なんせ俺は高校だし日向はまだ中学生だからな……通う場所からして違うのだ。
今日も一日しっかりと、日向に迫る危険分子から守ってやらねば……もしもの時は頼むぞ使い魔よ。
俺が心の中でそう言葉にすると、日向の鞄につけられたストラップに擬態した使い魔がきらりと光った。
「今日も一日しっかり勉強して来いよ」
「えへへ……それじゃあ行って来まーす!」
笑顔で告げた日向が、スカート丈を翻しながら俺とは別方向に駆けだして行った。
うむ……日に日に可愛さに磨きがかかっていくな、我が妹は。
こうして俺は今日も日向の可愛さを心に刻みながら、学校への道を踏み出すのであった。
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