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003:妹との帰り道
本日の全ての授業の終了を知らせるチャイムが、スピーカーを通して校内全域に響き渡る。
今日も何事もなく、平穏無事に学校生活が終わりを告げた。
そこかしこから疲労を多分に含んだため息が聞こえて来たり、疲れのあまり机に突っ伏したまま動かなくなる奴まで現れる始末だ……気持ちはわからなくはないがそこまで疲れる物でもないだろうに?
「それじゃあこの続きはまた明日……じゃあ日直、号令」
教壇に立つ先生が広げていたノートや教科書を閉じて一纏めにして行く様を横目に、日直が号令をかけてその日最後の授業が無事に終了した。
「よお、お疲れ海斗」
「輝樹か、何か用か? もうすぐ帰りのHR始まるぞ?」
HR後にすぐに次の行動に移れるように準備を進めていると、少し疲れた顔をしながら一人の男子生徒が気安く俺に話しかけてきた。
こいつは猪原輝樹といって、幼稚園からの付き合いで……俗に言う腐れ縁と言う奴だ。
基本的に明るく前向きであり、物事をあまり深く考えない馬鹿だが、俺とは不思議と気が合うのかこうして高校に進学した今でも付き合いが続いている。
「なんでお前さんは俺を見るなり、いきなり馬鹿を見るような目で見てくるんだよ?」
「そんなもの、輝樹のことを頭いいなんて思ったことが一度もないからに決まってるだろ?」
「へいへい……まったくいつも俺に対しては辛辣だねぇ、魔王さんは」
付き合いが今でも続いているもう一つの要因が実はもう一つあって、今のこいつの発言通り唯一この世界で俺が元魔王だと知っているただ一人の人間だからというのがある。
そこに至る事情は思い出すとそれなりに長くなるので、そこまた追々……。
「まあいいや、そんで海斗は今日学校終わったらどうするんだ? たしか今日は委員会ないんだろ? どこか遊びにいかねーか?」
「残念だが、今日は日向に勉強を教える約束してるからな。生憎と輝樹と遊んでる時間はないな」
「……前から思ってたけど、お前さん少しは妹ちゃん以外の事にも興味持てよ」
この世界に日向のこと以外に興味の持てることなんて存在してるのか?
そんなことを思っていると、まるで俺の心を見透かしているかの如く、輝樹がなにやら憐れみを含んだ目で見てくる。失礼な奴だな。
「勉強ねぇ……近々中間控えてるし、今度俺にも頼むわ」
「面倒くさいな」
「そういうことは思ってても口に出すもんじゃねーよ魔王さま」
あんまり往来で俺のことを魔王呼ばわりしないでほしい。
確かに元魔王というプライドは持ち合わせているが、それと同時に俺はちゃんとTPOをわきまえた行動を日々心掛けている。
いくらなんでもこの世界で自分が元魔王だなんて日常的に豪語してたら、頭のおかしい奴だと思われるくらいわかっているのだ。
「……まあ非常に不本意だが、輝樹には色々と世話になっている部分もあるからな……来週で良ければ時間取ってやるぞ?」
「マジか!? いやぁマジで助かるわ! これ以上成績下がると親が小遣い減らすとか言うもんだからさ!」
下から数えた方が早いくらいの成績なんだしこれ以上下がる余地なんてないだろう……という言葉を仮にも友達である輝樹に言うわけにはいかないな。
「これ以上成績なんて下がるわけないだろうって目で見てくるなよ」
「よくわかったな?」
「俺は確かに打たれ強いのを自慢にしてっけど、打ちっぱなしにしてもいいわけじゃねえんだぞ?」
そんなことを言っているが、こいつが本気で凹んでいる場面なんて今まで見たことがないな。
「とりあえず今日は駄目なんだよな? んじゃHR始まるしまたなー」
「少しは自分でも勉強しとけよ」
「へいへーい」
頭の高さまで上げた右手をプラプラさせながら、輝樹が自分の席へと戻っていった。あいつ結局何をしに来たんだ?
そんなことを思いため息を吐くのと、担任の教師が教室の扉を開けて入ってくるのとはほぼ同時だった。
「世良先輩! さようなら!」
「先輩、さよならー!」
「ああ、二人も気を付けて帰れよ」
廊下ですれ違った下級生の女子二人組が、俺に挨拶をしてきたのでにこやかに返した。
こういったちょっとしたコミュニケーションの積み重ねも、日向が自慢できる兄でいるためには必須なのだ。決して怠るわけにはいかない。
まだ先の話だが、日向は俺と同じ高校に進学を希望しているし、実際に日向がこの高校に入学して来た時に「だらしない世良の妹」だなんてレッテルを貼らせるわけにはいかないのだ……日向の為なら俺はいくらでも外面を良くして見せる。
「……そういえば」
鞄を持っていない方の手に、魔力を集中させてみる。
世良海斗として転生し早17年が経過したわけだが、転生当時空っぽになっていた魔力も8割は戻って来たな。
人間に生まれ変わった弊害か……もしくはこの世界の大気に含まれる魔力の質が薄いせいなのかはわからないが、もう少し早く回復する物だと思っていたんだがなぁ。
とはいえ、この地球で魔力が必要になる事態など早々なかったし、無理に全回復を待つ必要もこれっぽっちもないのだ。
基本的に魔力を使う時は日向の為と決めているし、今まで何度か日向を守る為に魔力を使ったことがあったが、それだって微々たる量だったしな。
……常に殺伐としていた魔王時代に比べたら、環境に雲泥の差がありすぎるな……刺激が欲しいと思わなくもないが、万が一その刺激が日向へと向いてしまうと大変なことになってしまうから、このまま平和なままであってほしい物だ。
「あっ、やっときた! お兄ちゃーん!!」
そんなことを考えながら下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出て校門へ差し掛かると、街路樹に持たれかかって俺を待っていたらしい日向が、まるで女神の様な愛らしい笑顔を振りまきながら俺の元へと駆け寄って来た。
輝樹と話してたり考え事をしていたせいで、使い魔を通して日向の行動を把握してなかったな……一生の不覚だ。
「日向? どうしたんだ?」
「なんかいつもより早く学校終わったから、お兄ちゃんを驚かせようと思って待ち伏せしてたの」
本来待ち伏せをする際は、相手にわからないようにする必要があるはずだが、日向は自分から存在を明かしてきたな……相変わらずちょっと抜けたところがあるが、そこが日向の魅力の一つでもある。
それに俺を驚かせたかったなんて、我が妹ながら可愛いところがあるじゃないか……やはり日向は世界一愛らしい妹だな。全世界の人間たちが日向の様な愛らしさがあればくだらない争いなんてなくなるのになぁ……。
「そうか、それなら一緒に帰るか?」
「うん! 一緒に帰ろ!」
俺の隣に並んだ日向が、嬉しそうに破顔した。
日向はいつも楽しそうに笑うなぁ……その辺の純朴な男子なら一発で落とされるだろうな。
使い魔を通して把握してるが、実際に日向は同級生の男子たちにかなり人気があるみたいで、好意を持つ輩が後を絶たない。
俺は別に他の男に日向を渡さないとか、そこまで考えが凝り固まっているわけではなく、日向の事を真に愛し、また日向が見染めた男が現れるなら、日向の意志を尊重する心構えだ。
……とはいえ今の今までそんな奴が現れたことはないし、実際に日向に近づく男どもは下心丸出しの様な奴ばかりだ……そう言う気持ちで日向に近づいた奴には、もれなく地獄のような苦しみを味わう腹痛に襲われる特殊な魔法を掛けてあるから、一発でわかるのだ。
「どうする? どこか寄り道でもしていくか?」
「うーん……今日は……わっ!?」
そこまで言いかけた途端、急に日向がバランスを崩し転びそうになった。
悪いがそうはさせんぞ……!
「タイムストップ!!!」
俺は瞬時に反応し、体内の魔力を総動員して時の流れを強引に止めた。周囲が灰色の空間へと変貌し、この世界で動いている人間は俺一人だけとなる。
危なかった……後1秒でも遅れていたら日向の身体に傷がつくところだった……。
咄嗟に魔力を活性化させた反動で、一時的に姿が魔王時代へと戻ってしまった……すぐに戻さないと。
しかし日向はなぜ転びそうになったんだ?
そんなことを思いながら日向の足元を見ると、野球ボールが転がっていた。
「大方野球部の練習用のボールでも飛んできてたんだろう……明日にでも生徒会でこの件について野球部に注意しに行かないとな」
今みたいに日向が踏んづけて転んで怪我でもしたらどうしてくれるんだ?
拾い上げたボールを憎々し気に睨みつけながら魔力を流し込むと、軽快な音を立ててボールが破裂した。
もし日向が怪我してたら、野球部の連中を物理的に消さないといけないところだったな……俺がついてて本当に良かった。
転びそうになっている日向の目の前に移動し、肩をしっかりと捕まえながら時の流れを再開させると、そのまま勢いに任せて日向が俺の胸に飛び込んでくる形となった。
「わわっ! ……あれ?」
「大丈夫か日向?」
「えっと……うん、ありがとうお兄ちゃん……?」
目を白黒させながら、日向が俺からゆっくりと離れていく。
うーむ、日向が転びそうになったという事実で、心中穏やかではなかったせいで、少しだけ後処理が雑になってしまったな……おかげで日向がなんだか納得がいかない表情をしてしまっている。
まったくもって忌々しい……やはり野球部の連中には身をもって思い知らせてやろうか?
「なんだかこうやって転びそうになると、大体お兄ちゃんが助けてくれるよね……お兄ちゃんはいつも私の事守ってくれるね」
「朝も言ったけど、日向は常に目を光らせてないとすぐにこうやって転びそうになるからな」
「そんなことないもん! 別にいつも転んでるわけじゃないもん!」
「あははは」
なんだか湿っぽい雰囲気になりそうだったので、小粋な魔王ジョークで場を和ませると、日向がふくれっ面で俺に抗議してきた。
まったく恐怖を感じないどころか、逆に日向本来の可愛さにプラスされている状態だ。可愛いぞ日向よ。
「……でもいつも守ってくれてありがとね、お兄ちゃん」
「おっおう……」
はにかみながらお礼を言ってきた日向の姿に、感極まり胸がいっぱいになってしまった俺は、言葉に詰まってしまい、思わずぶっきらぼうに返事をしてしまった。
俺が常に纏っている兄と威厳など、妹のこの笑顔の前ではなんの意味をなさない。
そんなことは日向が生まれてからわかり切っていたことなのに、俺は未だにこの笑顔に勝てないでいる。
元魔王で、その気になれば時さえ止めることも出来るこの俺をここまで無力化してしまうのだから、日向は……妹の存在と言う物は計り知れないな。
やはり俺の魔王としての力の使い道は、日向を守る為に存在しているのだな。
それを強く実感した俺は、これからもあらゆる脅威から日向を守っていく意思を固め、それを伝えるかの如く日向の頭を軽くポンポンと叩いた。
「もーやめてよ! 髪の毛のセットが崩れちゃうでしょー!」
迷惑そうな声を上げる日向だったが、その表情はやはりどこか嬉しそうなのだった。
この笑顔に免じて野球部への制裁は現状注意だけに留めておいてやるか……命拾いしたな野球部よ。
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