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棟内の全室から一望できる、カリフォルニアの美しい海。しかし彼らには、刻々と迫り来る悪魔の影に覆われて、その青色もはっきりとは目に映らない。ビーチに沈む夕日のような朱い囚人服は、まもなくガス室に送られる者のみがまとう死装束だ。 1938年8月。強い日差しの照りつける真昼にその男はバスで移送されてきた。待ち受けていたのはアラン・ローレンスで、彼はこの連邦刑務所の看守になってから、それほど任期は長くないがすでに数え切れないほどの死刑囚を迎え入れ、面倒を見てきた。 手錠をかけられ、身体の自由を奪われているが、男はへらへらとしまりのない笑みを浮かべ、「きのうも君が警察官だったろ。ずるいや、きょうは僕がお巡りさんだよ」と同行する保安官に訴えていた。 男の名はチャールズ・ネヴィルといい、今年で23歳になる、善良そうな顔をした健康的な青年であった。 男は去年の5月8日、深夜0時を過ぎた頃に、メリアム・ストリートの住宅街に建つウィンウッド家を襲い、2階で眠っていたこの家の長女・ジョアンナをナイフでメッタ刺しにしたのだ。 そのあとで異音に気付いてやってきた妹のビアンカをも襲い、レイプをして逃走を図った。 男がバタバタと立ち去る音で目を覚ました両親によって、その凄惨な現場が発見されたが、ジョアンナはすでにベッドの上で血まみれで息絶えていた。ビアンカは搬送先で一命を取り留めたが、現在も精神的なショックにより引っ越した先での自宅療養を余儀なくされているという。 一夜にして州全土を震撼させた許されざる凶悪犯の正体が、このチャールズであるというのだ。「ハイ、僕はチャーリー」と目の前でニコニコと笑う彼を見て、ローレンスはやはり信じきれないと思った。 「やあチャーリー。僕はローレンス」 これまでの死刑囚たちとは異なるローレンスの対応に、同伴する保安官は一瞬驚いたようだ。だがこれまでのチャールズの振る舞いに付き合わされていたこともあり、仕方あるまいといった顔をするだけで特に意見はしなかった。「ローレンスのことは名前ではなくオフィサーと呼べ」と言っても、彼には理解などできないだろう。 「ピーターズ保安官、どうも」 「…彼は終始この調子だ。ずっと警官ごっこをやっていると思い込んでる」 「仕方ないでしょう。彼はまだ5歳の坊やほどの知能しかないんです」 「うむ…もはや演技などと疑う余地もない。彼は小さな子供のまんまだ」 乾いた熱気の中で、太陽のまぶしさに目を細めつつチャールズを見つめる。頭脳は幼いが、身長はローレンスより背の高いピーターズよりも更に高く、屈託のない顔でふたりを見下ろしていた。 「ローレンスもお巡りさんをやってるの?ピストルはある?」 「僕は警官じゃない。ピストルは持ってるがね」 「僕にも貸して」 「これは僕専用だ。他の人に使わせたらダメなんだ」 「意地悪」 「そのかわり、あとで違うおもちゃをあげよう」 「え、ほんとに?いいの?」 「ローレンスさん…」 「いいんです。…だって彼はもう」 「……」 命の終わりの日まで、朱い服の男たちはひとときの自由を得る。いずれ出所する囚人たちには「生き地獄」として悪名高い刑務所であるが、死刑を下された者には、死への恐怖以外の苦痛はさほど無い。…だがローレンスは思った。もしもチャールズに人並みの知能があったとしたなら、死への恐怖などではなく、もっと違う感情に支配されていたはずだ、と。
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