少年日記帳

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少年日記帳

 骸骨は覗いている。  常に、お前を、見続けている。  絶望とはそういうものだ。だから、私も奴を見ているのだ。    どちらに転がるのか。それはやってみなければ分からない。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ                       ――ニーチェ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  そのとき、男はただただ辺りを徘徊していた。特別何かやることもないのに。 昨日何をしていたかもよく覚えていないが、ただただ歩く。 「にしてもやけに乾燥するな」  思っただけの、一縷の文学性さえ感じないような言葉を口にする。  ふと下に目を落とした。本当になんとなく。男が辺りを徘徊するのと同じように、ただただなんとなく目を落としていた。  男はそこに落ちていた一冊のノートを手に取る。何の変哲も無い普通のノート。 まだ何も書かれていない部分にも月日が書いてある。マメなものである。    『前川一哉』  表紙には名前が書いてある。  男は、ついに中身を、 読んでみることにした。 『五月十四日月曜日 今日も一日充実していた。いつも通りの素晴らしい一日だった。 朝食は摂っていなかったが、昼食は弁当でしっかり摂った。 授業は、 一時間目 数学 二時間目 国語 三時間目 家庭科 四時間目 理科 五時間目 道徳 六時間目 道徳         といった時間割だった。 休み時間中も友人と話していた。 今日の話題は、“ずばり誰がタイプか?”というもので、下らないが楽しかった。 帰路も、いつも通りに友人と肩を並べ、雑談でもしながら各々の帰り道に向かって、歩いて行く。 僕の日常は、いつも普通だが、これ以上の充実はないと思う。 毎日が本当に楽しい。 たしか、このノートで五十二冊目になる。記念として大事に使おう。』  見るにおおよそ中学生だろう。  一哉少年の日記はまだ続いていた。 『五月十五日火曜日 僕は本当に幸せ者だ。こんなに充実した日々を送る自分を本当に幸せに思う。 友人はいつも僕に話しかけてくれる。 いつもいつも違う話で盛り上がることができる。 おかげさまで、普通の毎日のはずなのに飽きがない。 我ながら素晴らしい友人を持ったと思う。 そういえば、今日は久々に朝食を摂った。至って普通のパンだ。 少し塩っぽかったのを覚えている。 僕の毎日は、様々な要素で構成され、 そして、秒速数メートルほどで、拡張されていく。 “TEoW” The Extend of World 今更ながら、これを、この日記帳のタイトルとする。 そして、僕の願いだ。 追記 育てていた植物が枯れていた。   りも早く枯れるなんて。』  一哉少年の毎日はとても普遍的だった。面白みのない、至って普通の学生の毎日。 少年にとっては、普通もまた刺激の一部なのだろう。  男は、「それにしても変な日記だ」 特に意味など無く、ただ普通の感想である。  男は気になった。  最後の追記の部分。何文字か抜け落ちている気がするのだ。よく見れば消しゴムで消したような跡もある。一体何だったのだろうか。 『五月十六日水曜日 今日書くべき事は少ない。 ただ、その分重大なことだ。 僕が思いを寄せる人への告白をしたからだ。 友からの助言でこれを決行するに至ったわけだが、勿論成功する可能性などはゼロに等しい。しかし、やってみることに意義はある。 まぁ。敢えて結果を先に言うならば、完敗だった。 思いっきりフラれた。いっそ気持ちいいぐらい。 これも良い経験だろうか。 これで、また僕の世界は拡張されていく。その糧になった。 追記 最近雨が降らない。やけに乾燥する。』  書いてある通り、確かに短かった。  内容としても、まるきり学生と言ったところか。好きな相手に気持ちを伝え、見事砕けたわけだ。  やはり、学生であると改めて認識した。  男は、やけにこのページに感情を移入していた。  人間らしい、子供らしいものを見ることができた気がしたから。  というより、追記の内容が男の現在と似ていたことが大きい。状況が似た人間を見ると、人間は意外に心許すものである。  この日も乾燥していたのか。 『五月十七日木曜日 今日も充実していた。朝食も摂り、昼食も摂った。 また友と話し、一緒に帰った。いつも通り、普通の日常だ。 今日も一日楽しかった。 また明日もこんな日でありますように。 追記 異常に乾燥する日だった。何かが起きているのだろうか。 追記 二 今日の僕はどうやら違ったらしい。全員対応が悪い。 今日は眠らないことにする。』  前回に引き続きとても短い。いや、前回よりも短いか?  男はまた率直な感想をこぼす。  もう少し読んでいたい。  そして、追記 二 の疑問を解消するために、男は次のページを開く。 『五月十八日金曜日 今日はノートを忘れた。 ふりをしてみた。昨日と同じだった。 TEoW これが僕の合い言葉だ。 あとは、明日の僕に委ねよう。 追記 水が出ない。金は親が払っているはずだ。』  男は一度ノートを閉じた。  また違和感。  本編と追記の間に、大きな空白がある。  そしてまた、消しゴムの跡。  続きを見なければ。  その瞬間悪寒がした。  また、なんとなく。 である。  この先は見てはいけない。そんな気がする。見れば、何かがおかしくなるような。何かが壊れるような。そんな感覚に陥ったのだ。  この選択が、自分を、自分の存在を左右するような。    迷いは、男の好奇心によってかき消された。  いやな予感。――とはいえ、直観的に判断しただけの勘――を跳ね返し、いよいよノートを開いた。ちょうど次のページだった。  その好奇心は、自分の身に何か及ぼしかねない、累卵の危うさに到達していた。  後悔とは、決して、先に立たないものである。 『五月十九日土曜日 昨日の僕は、他の僕と違って有能だったみたいだ。 もう縛られることはないだろう。これをばらまけばおしまいだ。 独白しようか。 学校の奴らは、僕の記憶障害をおもちゃにしていやがった。 眠れば記憶がリセットされてしまうこの記憶障害で遊んでいたんだ。 所謂いじめという奴だ。 この記憶ノートを書き換え、仲良しだと思い込んでいる僕を殴る、蹴る。絶望感にたたき落とし、それを嘲笑い、また都合の良いように書き換える。 もしも、あいつらの書いた内容を消そうものならそれこそ何をされるか分かったものではない。(追記は全て、僕にしか読めない字で形成されている。よってその点の心配はいらなかった) 水曜日の内容も恐らく、いじめの延長線だろうと思う。月曜日に聞き出していた好みを使って、強制的に告白させたのだろう。 なににせよ、僕はもう屈しない。 このページがある限り、僕は勝てる。 昨日の僕には感謝しかない。 いじめが続き、周りも飽きていたことから対応の悪さがあると感じ取ったのは、いっそ尊敬する。 そして、火曜日の僕。 TEoW  なんて素晴らしい言葉だろうか。 奴らへの恨み憎しみを込めて、そして出口なんて無いことを込めて、 TEoW NOT Extend NOTHING Exit これが僕の願いだ。 追記 あまりにも乾燥する。 ありえないほどだ。もしや、僕の願いが……。』  この先には何も書かれていなかった。  そういうことなのだ。  そして僕もまた、そういうことなのだ。  この世界が終わったのもそういうことなのだ。別に意味などない。    僕は乾燥しきった地面――もはや砂の上――にノートを落とした。  “五月十九日”から何日経過したのか分からない。  何も覚えていない。何も感じない。 僕が今までどう生きていたのか、なぜ現在に生き残っているのかさえも。  僕は、この先を絶望しながら、広大な砂漠をただただ歩いて行った。  骸骨を見つけた。  「僕よりも早く枯れるなんて………」  僕はそう言った。    そして、その骸骨と目が合った気がした。  あるいは、  その奥に光る“カメラ”に。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「検体№五十二の実験は失敗に“転がった”模様です」 「そうか」 「同じく九十も失敗です」 「そうか。深い絶望感は、脳の活性、ひいては力の発現と必ず繋がっているはずだ。別プログラムを用意しろ」 「しかし、五十二はこちらの存在に気づいた様子。これでは、記憶の改竄や転移がうまくいかない可能性があります」 「仕方ない。五十二は殺処分。九十はさらに深いプログラムにかけろ」 「はい」 「これから同プログラムで六十三の実験を行う」 「了解しました。プログラムコード:メモリーを開始します」 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  そのとき、男はただただ辺りを徘徊していた。特別何かやることもないのに。 昨日何をしていたかもよく覚えていないが、ただただ歩いていた。 「にしてもやけに乾燥するな」  思っただけの言葉を口にする。  ふと下に目を落とした。本当になんとなく。男が辺りを徘徊するのと同じように、ただただなんとなく目を落としていた。  男はそこに落ちていた一冊のノートを手に取る。何の変哲も無い普通のノート。 まだ何も書かれていない部分にも月日が書いてある。マメなものである。    『広川悠人』  表紙には名前が書いてある。  男は、ついに中身を、読んでみることにした。 『五月十四日月曜日 今日も一日充実していた。いつも通りの素晴らしい一日だった。 朝食は摂っていなかったが、昼食は弁当でしっかり摂った。 授業は、 一時間目 数学 二時間目 国語 三時間目 家庭科 四時間目 理科 五時間目 道徳 六時間目 道徳         といった時間割だった。 休み時間中も友人と話していた。 今日の話題は、“ずばり誰がタイプか?”というもので、下らないが楽しかった。 帰路も、いつも通りに友人と肩を並べ、雑談でもしながら各々の帰り道に向かって、歩いて行く。 僕の日常は、いつも普通だが、これ以上の充実はないと思う。 毎日が本当に楽しい。 また明日もこんな日でありますように。 たしか、このノートで六十三冊目になる。記念として大事に使おう。』 骸骨は覗いている。 常に、お前を、覗いている。
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