28「媒介」

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28「媒介」

   大学構内の医務室へ移動し、そこで様子を見ることにした。辺見先輩には意識があり、再び病院へ舞い戻ることを本人が拒んだためだ。ふらつきながらも自分の足で辿り着いた先輩は、硬く小さなベッドの上にうつ伏せに倒れ込んだ。  僕はすぐさま文乃さんに電話をかけ、可能ならば池脇さんを連れてきてほしいとお願いした。入院中の辺見先輩と池脇さんのやりとりを見ていた事もあり、霊障を受けてダメージを負った彼女を助けてもらえるような、勝手な思い込みがあったのだ。辺見先輩の容態を案じる文乃さんの深刻な声に、急を要するほどではないかもしれないと僕は答えたが、安請け合いは出来ないがなんとかお願いしてみる、と文乃さんは言ってくれた。 「……僕のせいですか?」  ベッドでうつ伏せのまま動かない辺見先輩の姿がとても無防備に見え、僕はベッド脇に腰を下ろしつつ目を伏せたまま尋ねた。また僕が、無意識に良からぬものを呼んでしまったのだろうか。  先輩は身動き一つせず、 「いや。そういうんじゃないよ、きっと君には関係のないことだよ」  と、くぐもった声で答えた。  先輩曰く、耳から泥水が入り込んだような感触の後、まるで怨念に支配された別世界と、携帯電話を通して繋がってしまったような感覚に陥り、それと同時に凶悪な頭痛に見舞われたのだという。 「別世界……?」  その別世界とは、途切れることのない叫び声が延々とこだまする、真っ暗な空間だったそうだ。僕は震える左手を自分の右手で押さえつけながら、こういう時こそ怯えず冷静でいる事が大事なのだと己に言い聞かせた。 「今は、どうなんですか?」  ようやく振り絞って出した僕の問いかけには、先輩は「うー」と唸ったのみで具体的な返答はなかった。 「三神さんとの電話はどうなったんですか。切れたんですか?」 「いや……」  先輩は右手を動かしてモゾモゾとスカートのポケットをあさり、 「ずっと着信が入ってる。切れたというか、多分君が切ったんだよ。バイブにしてるから気づかなかっただろうけど、ずっと鳴ってるんだ。……新開くん、出てよ」  僕は彼女の手から、静かな機械音を立てながら震える携帯電話を受け取った。 「……出るな!」  突然怒鳴り声を上げた先輩の声に驚き、僕は携帯電話をベッドの上に落っことした。 「大きい声出してごめん。やっぱり出ない方がいい。嫌な予感しかしないんだ。君の電話で三神さんに掛け直してくれないか」 「分かりました」  僕は自分の携帯電話を取り出して、アドレスから三神さんを呼び出し、通話ボタンを押した。  三神さんは、ツーコールで出た。 「どうした!どうなっとるんだ、辺見嬢の電話が全く通じないぞ!」  僕の耳に押し当てて尚、携帯から漏れ聞こえる三神さんの声に、 「あああ」  辺見先輩はうつ伏せのまま自分の両耳を塞いだ。ベッドの上ではまだ、彼女の携帯が震え続けていた。 「三神さん、やばいです。……何かが起きています」  震える携帯を凝視したままそう告げると、三神さんはそれだけで何かを察した様子で、「待てよ」と言った。その、次の瞬間だった。  どーーーーーん!  携帯電話から発せられたのが噓のように、大きくてクリアな声が僕たちのいる医務室に響き渡った。それは三神幻子の声に違いなく、彼女がただ一声叫んだだけで、ベッド上の携帯電話が振動を停止し、淀んでいた室内の空気が爽やかなまでに澄み渡った。 「あああッ」  先程とは明らかに違った感情で声を上げると、辺見先輩は突如体を起こして僕の携帯に取り付いた。 「もっかいやって、もっかいやって!」  辺見先輩の耳元で、幻子がケラケラと笑う声が聞こえた。 「はぁー」  風呂上りに炭酸水でも飲んだように辺見先輩は溜息を付き、その目からは涙まで流れた。 「んんんー……どーーーん!」  見よう見真似で叫ぶ辺見先輩の身体から、モヤのような黒い霧が飛び散った。僕は仰け反るようにして飛散するその『なにか』から逃れ、医務室の端に寄った。 「何度外へ弾き出そうとしてもずーっと耳にこびりついていやがったんだ、こんちくしょうめ! ありがとう三神さん、幻子さん!」  いつもの調子を取り戻した辺見先輩が意気揚々とそう告げた。だが、  ……喜んでるとこ悪いがね。 「あまり、ありがたくはないんだな」  途中から辺見先輩がスピーカーに切り替えた。三神さんは確かに、ありがたくはないと、そう言った。辺見先輩の目が僕を見やる。 「そこにおるのは、新開のと辺見嬢だけじゃないね」  三神さんがそう言うと、僕と先輩は同時にベッドの上の携帯電話を睨み付けた。先輩はスカートをひるがえし、勢いよくベッドから飛び退いた。 「おそらくは、先程ワシと話をしていた辺見嬢の電話が媒介になっている。幻子が一旦は繋がりを切ったようだが、また戻ってくると思う。繋がりさえしなければただの機械なんだ。だが周りに人がおらんのであれば、今の内に部屋の外へでも出してくれないかね。こっちがうるさくてかなわんよ」 「うるさい? 今はバイブも止んでますけど、何か聞こえるんですか?」  辺見先輩の問いに、三神さんはこう答えた。 「叫び声だ。それも……物凄い数のな」  僕は弾かれたようにベッドの上の携帯電話を引っ掴むと、医務室の扉を開けて外の廊下へ出た。そしてボウリングの球を転がす要領で、滑らせるように遠くへ投げ捨てた。室内に戻って辺見先輩に頷きかけると、 「捨てました」  と、彼女が三神さんに告げた。 「ふむ。……少しは和らいだか。幻子の強制干渉が相手さんを怒らせたようだな。流れが全部こっちに向かってきおったよ。いやぁ、酷いもんだな」 「三神さん、幻子さんには何も影響ないんですか? そっちは、平気なんですか?」  責任を感じた様子で先輩が尋ねると、三神さんからは思ってもみない返事が返ってきた。 「あの子は今ここにはおらん」 「え?」  思い出した。確かにそうだ。理屈や原理は分からないが、幻子は他人の電話に混線してこれるのだ。以前僕と文乃さんとの通話に割って入ったように、今もまた霊力を声に乗せて飛ばしてくれたのだろう。だが例えそうだとしても、彼女は一体どこにいるというのだろう。 「平気だとは思うよ。こういう、いわば一種の呪いに似た系統の力をご返杯する事に関しては、間違いなくあの子が日ノ本一だろうさ。あの子も東京にはいると思うんだが、ちいとばかし別行動をとっていてね」  先輩は安堵の表情で吐息をつき、 「急用があると仰ってお別れしたままですけど、今もまだ……?」  と、問うた。 「ああ、丁度さっき電話をくれた時に話をした内容なんだがね。……いや、こっちの電話もお釈迦になるかもしれんな、会って話そう。その内顔を出すよ」 「分かりました、ありがとうございました。あの、私の電話、どうしたらいいですか?」 「しばらくは使い物にならんだろうね。なあに、人の目に触れないよう保管しといてくれれば、会った時直接ワシが祓うてやろう」  使えないのかー!  辺見先輩は大袈裟に天を仰いで見せたが、それが空元気だということは僕には分かっていた。  ……これは、僕たちに対する明らかな敵意じゃないのか?  幻子は僕に、悪霊などいないと断言した。だが今こうして感じる、辺見先輩に向けられた悪意を見る限り、悪霊の存在を意識しないわけにはいかないじゃないか。
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