第一章 猫王子

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リビングのテーブルに用意されていたのは、父と母が合作したハンバーガーだった。小さい頃から、特別な時しか作ってもらえないレアメニューだ。陽平の予想通り、量は食べきれないくらいある。 「じゃあ社長さんは三十代で企業?」 「あ、まゆずみです、黛。社長さんはちょっと」  玲音の雇い主である「黛サナエ」というこの女性は、陽平の両親と、妙に話が弾んでいる。 「うちのパン屋も三十代の頃に作った店だけど、黛さんの世代じゃもっと大変だったんじゃない?」 「でも今の三十代に比べたら全然まだあの頃はよかったですよ。後輩たち見てると、今は三十代でも新人扱いで出世も独立もできないし……」  陽平はこっそり隣の玲音をつついて「なんか盛り上がってるな」と小声で話しかける。「陽平のご両親若いから、ほとんど同世代じゃない?」 たしかに、両親は早婚で陽平は二十二~三歳の時の子だから、黛とは五歳くらいしか違わない。 「うへえ、そうは見えないなあ」 「美魔女なんだよあの人」 「そこ! 陰口はよしなさい!」  黛に指差されて、玲音は「先生ー、陰口じゃありません」とか口答えしている。玲音の部屋にいる時はちょっと子どもっぽいところもあるけれど、朝通勤前に会う時はいつもシャキッとしているので、なんだか意外だ。 「玲音とは、私がペーペーの雇われデザイナーでこいつが子役だった時から知り合いで、いまだにガキんちょに思えちゃうんですよね」  数分前の年齢発言と同様に、再びその場が固まった。それまで黙々と食べていた紗良が、 「……子役?」  玲音の顔をのぞき込んで問う。 「あれ? 言ってなかった?」  反応に戸惑う黛に、玲音が「ええ、まあ」と言葉を濁す。 「小さい頃、母の友達の紹介で、雑誌とか広告の子役モデルをしていたことがあって……」  そこまで聞いて紗良が口をはさむ。 「あ、でももしかして最近も、モデルしてないですか? アキラちゃんちの雑誌で見たことあるなってずっと思ってたんだ」 「えっうそ、もう七年前だよ!?」  言ってしまってから玲音は、はっと口に手をあてる。それにつられるように紗良も口に手をあてて息をのむ。 「……大学卒業までは、読者モデルやってたんだ」  あきらめたように話す玲音に、陽平は首をかしげる。 「でも、すげーじゃん、モデルなんて。なんで嫌そうな顔してんの?」 「こいつ向いてなかったのよ。下手なの、撮られるのが」 「え」 「これだけのルックスで、センスもあれば読者モデルで終わってないと思うけど、センスはなかったのよね。撮られるのも嫌いだし」  黛のはっきりした物言いに、心配になって玲音の顔を見ると、玲音は大丈夫という風に陽平に笑いかけた。 「本当にそうなんです。母の希望で学生のうちは続けてたんですけど、就職と同時にやめました」  陽平の母が、うんうんと頷く。 「好きじゃないことを続けるのは、難しいわよねえ」 「まあこれだけ顔のいい子が生まれたら、お母さんもその気になっちゃったんだろうなあ」  父も感慨深げに頷く。 「それで試しにうちに入ってもらったら、事務仕事だとかなり使えるんだもの。見た目じゃわかんないですよね」  黛がそう言ってニッコリ笑うのにつられて、皆も微笑んだ。  昼食が済むと、紗良が待っていたかのように、「猫さわってもいい?」と言い出した。リビングの大窓から内庭に出て、玲音がケージから出したマイを手のひらの上に乗せ、紗良の前に差し出す。 春を過ぎまだ梅雨には届かない今の時期、マイの外遊びデビューには絶好の機会だった。日差しはほどよく暖かく、緑の香りをふくんだ風が仔猫のひげをすり抜けていく。黒い模様に隠れて目がどこにあるかわからないような顔をしているマイだけれど、玲音の手の上で耳をぷるっと震わせるしぐさで、午後の陽をあびて気持ちよさそうにしているのが伝わってきた。洗い物をキッチンに運びながら、陽平はそれを眺めていた。 「こっちはいいからお客さんの相手しなさい」と親たちにキッチンから追い出されて、リビングのテーブルについたまま二人を見ている黛の前に、陽平も座る。 「いいんですか、猫は」 「いやー、好きなんだけど猫アレルギーなんだよね」 「えっそうなんですか?」 「まあでも今日は、陽平くんに会いたくて来たから」 「えっ」  どういう意味だろう。陽平はなぜか不安になる。 「いつもあいつが自慢してくる〝かわいいパン屋さん〟ってどんな子かなあって」  思わず頬が熱くなった。そんなこと本当に玲音が言うだろうか。 「あいつさ、父親はいないし、母親とはモデルやめてから気まずくなってるし、こういう家族団らんみたいなの、すごくうれしかったと思うよ」  そうなのか……と、陽平は、自分がまだ玲音のことを何も知らないと実感する。知り合ってまだ数週間だし当然といえば当然だけれど、なぜだろう、気が焦る。とにかく気が優しくて、少しナイーブで、時々さみしそうに見える背中が気になっていた。家族は、友達は、恋人は……一つ知ると、さらに知りたくなる。 「……でも、黛さんは、なんか玲音の家族みたいですよね」  陽平がそう言うと、黛は陽平の目をじっと見つめた。 「うらやましい?」 「えっ……」  言葉を失う陽平に、黛はふっと破顔する。 「ごめん、なんかそんな感じがしただけ」 「……」  意図を測りかねて黙り込む陽平に、黛は今度は声を出して「はは」と笑う。片づけがひと段落ついた父と母が、コーヒーを淹れて持ってきてくれる。 「……俺、玲音たち呼んでくる」  庭にいる二人の背中に近づくと、マイを手でじゃらしながら、紗良が玲音に話しかけているのが聞こえる。 「……玲音さん、中学の時友達いた?」  紗良は猫の方の見たまま、いつもの淡々とした話し方で尋ねている。 「うーん、あんまりいなかったなあ。仕事してたのもあったし、中学くらいから外人っぽい見た目でからかわれるようになって。学校あまり好きじゃなかったな」 「そうなんだ。私も友達いないけど、学校楽しい」 「そうなの?」 「図書館に変な本たくさんあるから。宇宙人とかの本」 「へえ、面白そうだな」  中学生の紗良への、玲音の対等な話しぶりが好きだな、と思った。それ以外の溢れてくる気持ちは、陽平の中でうまく言葉にならなかった。 「二人とも、コーヒーが入ったってさ」  その背中に声をかけると、振り返って二人いっしょに「はーい」と答える。マイまで「みやー」と返事をして、三人で顔を見合わせて笑った。
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