23人が本棚に入れています
本棚に追加
四時前に家を出て、駅まで黛を送ってから、交代でマイのキャリーを持ちながら玲音のマンションに戻った。
陽平まで一緒に戻ったのは、本当は今日観るつもりで借りていたDVDがあったからだ。まだ時間があるし、一緒に帰って観ようということになった。そんなに一日中くっついていてなぜ飽きないのかと、家族にも黛にも呆れられたけれど、それは本人たちにもよくわからないことだ。
マンションの部屋に入るとき、ちょうど隣から、メガネをかけた女の子が出てきた。昨日話しかけてきたあの男性の家。そういえば子どもがいると言っていた。紗良と同じくらいの年頃に見える。
「あっこんにちは」
彼女はいかにもきまじめそうに、小さく会釈して挨拶した。
「こんにちは」
「こんにちは」
玄関に入って、玲音が言った。
「隣の子、会うといつもきちんと挨拶してくれるんだよ」
だから大丈夫、というように玲音が陽平に笑顔を向ける。マイをキャリーから出してやると、今日は一日遊んで疲れたのか、夕方の元気な時間帯なのに、リビングのカーペットの上で丸くなった。
借りたDVDをテレビ横の棚から取る玲音の後ろ姿を見ながら、陽平はさっき黛と話したことを思い出していた。
「なあ」
その背中に声をかける。振り返る玲音。
「俺、玲音のこともっと知りたい」
「え?」
「……本当はこういうの、少しずつ自然に知ってくことなのかもしれないけどさ、なんか玲音のことは、ダメなんだ俺。早く早くってすげえ思っちゃうんだ」
「え、待って、何何?」
玲音はDVDをセットしないまま陽平の隣にきて、一緒にソファに座らせた。
「どうしたの、陽平?」
陽平は改めて玲音の目を見つめる。この瞳のきれいな色の理由も知らない。
「玲音のこと、教えてほしい。生い立ちとか、仲いいやつとか、趣味とか、なんでも。俺まだそういうの、聞いちゃだめ?」
玲音はなぜか、眉が下がって困ったような表情をした後、口を手で押さえて顔をそらした。
「……ごめん、だめだよな、いきなりそんな」
「いや、違うんだ」
玲音が手を振って制した。
「すごいな、陽平。なんか、照れた。やばい俺」
「え……」
そう言われると、陽平も赤くなる。
「ごめん、そう言ってくれてうれしいよ。俺のことなんかで良ければ話すよ。それで、陽平のことも教えて」
陽平は赤い顔のまま「うん」と小さく答える。「……なんだっけ、まず生い立ち?」と、照れ隠しのように玲音は切り出した。
「そうだな……まあ、察してたとは思うけど、外国の血が入ってるよ。父親がベルギー人なんだけど、俺が小さい頃に両親が離婚して、俺の記憶してるうちでは、何回かしか会ったことない」
玲音がぽつぽつと言葉をつなぐ。離婚が関係しているかは定かではないけれど、玲音に対する母親の期待は大きかったそうだ。この子はスターになるはずと信じきっていた。
「……でも、俺は目立つのが苦手で、カメラを向けられると固まっちゃうし、お芝居やったらセリフは棒読み、ファッションモデルやるにも、服は着心地が良ければなんでもいいくらいに思ってる人間だし。子どもの頃は何をやってるかも分からなかったから逆によかったんだけど、中学生くらいにはもう限界が出てきて。その頃になると、学校で外人っぽい見た目をからかわれるようになったから、よけい人目につくことが嫌いになっちゃったんだよね」
それでも苦労して自分を育ててくれた母の希望に応えて、学生のうちまではモデルの仕事を続けていたけれど、就職と同時にやめることは心に決めていたそうだ。
「就活も母の手前あんまり大っぴらにできなかったから、モデルの仕事で関わってたいろんな人に相談してみたら、ちょうど黛さんが独立するのに事務の人手を探してて。周りの人たちみんな、俺がモデル向いてないってわかってたからすごく協力してくれたよ」
そう言って玲音は笑うけれど、モデルの仕事が芳しくなかったのに、仕事関係の人たちが親切にしてくれたのは、玲音の人柄じゃないかと陽平は思う。
「友達も、やっぱり仕事関係の人が多いかな。今もなんだかんだでつながりのある仕事ではあるし、芸能で頑張ってる友達を今も応援してたりするし。学校ではあまりなじめなかったけど、仕事つながりの人はハーフも見慣れてる人が多いからね」
「ふーん……」
玲音の信頼している人たちが、陽平の知らないところにいる。そこに、自分が入るスペースはあるのだろうか。
「陽平は? 陽平のこと教えて」
玲音が期待の目で陽平を見る。
「えー、俺は今日見たまんまだよ……。十歳から商店街で育って、やっぱりどこのパン食ってもうちの味が一番だと思うし、どこの店よりもうちがいい店だと思うから、ひたすらパン屋継ぐことだけ考えてきた。うまいもん作ることしか興味なかったから、高校の時とか同級生によくコドモっぽいってからかわれたな。女に興味ねーのか、とかって」
「……興味なかった?」
玲音の反応に、陽平は思わずその顔色を窺う。さほど驚いたわけでもなさそうな表情で、少し安心する。
「うーん……っていうか俺、まだ恋愛したことないの」
もう一度ちらっと玲音の顔を見ると、どう反応したらいいかわからないような表情をしていた。
「友達の好きはわかるんだけど、恋愛の好きってなんか違うだろ。それが何かよくわかんないし、すげえ彼女ほしいとかもあんまり思ったことないし。自分は別にいいんだけどさ、コドモって言われるとちょっと気にする。俺ってなんか足りないのかなって」
「……周りから何か言われたりする?」
「うーん、親は時々、いい嫁さんもらってどうのこうの、とか言ってくるけど。ほかでは学生の時よりは言われなくなったかな。小学校からの友達で、太一とユカとアキラっていうのがずっと仲いいんだけど、そいつらは俺のそういうことも全部知ってて、お前はそのままでちゃんと大人だって言ってくれる」
「……いい友達がいるんだ」
「アキラは玲音も会ったことあるよ。マイをもらう話になったとき、最初に『猫王子!』ってお前のこと指差したあいつ。商店街の喫茶店の娘なの」
「ああ、あの! ……っていうか『猫王子』って何?」
「えー教えない」
「なんで!」
玲音が「教えろよー」と言いながら陽平をくすぐり始める。陽平も反撃して二人でわやくちゃになる。
「なあ」
玲音が陽平に覆いかぶさるような姿勢のまま、陽平が話しかけて、二人の手が止まる。
「俺さ、今までの友達もすごいいいやつらだし大事に思ってるんだけど、玲音のことはなんか特別にしたい。俺も玲音のこと一番特別で、玲音も俺を一番特別だったらいいのにって考えちゃうんだ。……なんか変かな?」
その時、覆いかぶさっている玲音の顔が陽平に近づいて、その綺麗さに陽平は見とれた。「あれ?」と思ったのは、唇が重なってからだった。
最初のコメントを投稿しよう!