時計、買い取ります

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 今日は気分を変えて遠回りして家に帰ろうと思って道を歩いていると、横にそれた細い通路を見つけた。  こんな道あったっけ? と思いつつも、こういうのは普段から意識しなければ中々覚えていないものだ。  程なく歩いた先に少し古びたレンガ作りの小さなお店を見つけた。  店先には黒板の立て看板が立てかけてあり、そこには「時計、買い取ります」と丸みを帯びた可愛らしい大きな文字で書かれていた。しかも様々な色合いのチョークで草花のモチーフで彩られていて、店構えと比べてみるとまるでこの立て看板だけが現代に生きているようにも思える。  お店の窓はショーウィンドウになっていて、かの童謡に出てきそうな人の背丈ほどに大きな木製の時計がいくつも並んでおりとても目立つ。  時計は綺麗なものだけど、その逆に床は白く汚れていて埃が積もっている。  中をのぞいてみると、これまたたくさんの時計が壁や棚やとあちらこちらに飾られている。  どうやら時計屋さんのようだ。  女性らしい喫茶店にありそうな華やかな立て看板と、ぱっとみおじいさんが経営していそうな寂れた外観の時計屋という、なんともミスマッチな組み合わせに、私はどうしようもない好奇心に駆られ、出入り口の取っ手を掴み店内へと引き込まれるように入っていった。  カランカラン。  玄関に備え付けられたベルが小気味よく打ち鳴らして私を迎え入れてくれた。    少し埃っぽい空気、古い木材と金属の匂いが鼻腔をかすめ、カチカチと時を刻む音を奏でている。  出入り口の傍から店内を見回してみると、外からの覗いて見たとおり壁という壁に敷き詰められたかのように壁時計が飾ってあり、壁際に置かれた腰ぐらいの高さの棚にはびっしりと置き時計が置かれ、部屋の中心のショーケースには現代的な腕時計からアンティークな懐中時計まで揃っている。  そして、あることに気づく。  カチカチカチカチカチ……。  どの時計も秒針の動きが一致しておらず、常に音が鳴り続けているのだ。時計たちが息を合わせて輪唱をしているかのように奏でている。  少し気味が悪くて店の中に踏み込むのを躊躇していたら店の奥から「やあ、いらっしゃい」と声をかけられた。  それは若い女性の声色で少女らしさを感じさせたけど、口調に少し違和感がある。  声のする方へ視線を向けると、そこにはレジテーブルの向こう側でロッキングチェアに背中を預けて足を組み、ゆらゆらと揺れる少女がいた。  彼女の背が小さいのか、それとも椅子が大きいのか、椅子にもたれ掛かるというよりも収まっているという表現の方が正しそうだ。  彼女は、黒のブラウスとカーキ色のコルセットスカート、金色の懐中時計を首から下げて、頭にはカーキ色のベレー帽をかぶっている。そして驚くことに彼女は長いストレートな金髪な上に、少し釣り上がった綺麗な青い瞳をしている。  外見的には日本人ではないようだが、 「いらっしゃい、なにかお求めで? それとも買い取りかい?」  流暢な日本語でそう私に訪ねた。 「いや、ただ寄り道しただけだよ」 「そうかい。まあ、適当に見て回ると良い。気に入るものもあるだろう」  そういって彼女は手元にある新聞紙に視線を戻した。  同年代くらいだと思って少し気安く話しかけてしまっただろうか? けれど、彼女はそんなことは気にすら留めていないのか、新聞を読むことに夢中のようだ。  新聞紙にはアルファベットがびっしりと書かれているが、妙に違和感のある形をしていて、英語らしい単語も見当たらない。少なくとも英国圏の新聞ではないことは確かだ。  どこの国の言葉だろうか?  金髪碧眼の美少女、一風変わった服装、流暢な日本語、少女らしくない言葉遣い、どこか知らない国の新聞。  表の看板と同じように何もかもがミスマッチだ。  彼女のことは色んな意味で気になるが、せっかくなので店内の時計を見て回ることにした。  ここにある時計は様々で、一般的な雑貨屋で売っていそうな目覚まし時計、いつの時代から存在しているのか不明な懐中時計、現代的なデジタル式の壁時計にオモチャっぽい素材の腕時計と、時計と名が付けばなんでも取り扱っていそうな品揃えだった。  ショーケースの中にある高そうな時計に手を付ける勇気はないが、ケース外の置き時計は手にとって眺めたり、少しオモチャっぽい懐中時計を弄ったりと、買う気もない時計を物色した。 目についた腕時計を手に取って腕に合わせてはみるが、そもそも私には腕時計を着ける習慣はないし、友人とこういう場所に来て、時計を合わせたり、腕に着けてみたりとしてみるが、やっぱり腕に何か着けるというのは気持ち悪くて適わない。 あちらこちら見て回っていると、突然上着のポケットから聞き慣れた曲が流れた。  ポケットからスマートフォンを取り出して画面の通知を確認してみると、それは母からのお使いのお願いだった。  それに渋々了解の返答をしてから、画面に写っている時間を見てみると、このお店に入ってからそれほど時間が経過していないことに気づく。  思ったより時間を使ったような気はするが、意外とそうでもないのだろうか? 「ところで、お姉さん。あんたが身につけているその腕時計、ちょっと私に見せてくれないかい?」  私がスマートフォンを手を離した途端、今まで何も声をかけてこなかった彼女が当たり前な雰囲気で尋ねてきた。  しかし彼女が言うような腕時計なんて私はしていない。  前は仕方なく着けていた時期はあったけど、それもスマートフォンを持ち歩き初めてからは時計は必要となくなったので、持ち歩いてすらいない。 「え? 何を言ってるの。私は腕時計なんて……」  ふと左手首を見ると、あるはずのない腕時計がそこにあった。  しかも女性用のものではなく、成人男性用の高そうな金属製の時計だ。私にはぶかぶかで、しかも重い。こんなの着けた覚えはないし、店内で見かけたこともない。 「そう、それだよ、それ。なーに、盗ったりなんかしないから、ちょいと見せておくれ」 「あ、うん、わかった……」  私は言われるがままに、その腕時計を外して彼女に手渡す瞬間、お互いの指が触れた。  そのときの彼女の指はひどく冷たく、まるで金属のように無機質で人のぬくもりというものが感じられなかった。  極度の冷え性なのだろうか。 彼女は時計を手にすると、額に時計を当てて目を閉じた。 針の駆動音を聞き取っているのか、それとも微弱な振動を感じ取っているのか、原理はいまいちよくわからないが、本当にそんなことで何かわかるのだろうか?  一分くらい経っただろうか、彼女はそっと目を開くと額から時計を離してそのままレジテーブルに置くと、納得したような口ぶりで独り言を呟く。 「ふーむ、なるほどねぇ……」  そして頬杖をつきながら艶めかしさを感じる視線をこちらに向け、指先で時計をコンコンと叩くと、こう提案した。 「これ壊れているから直してあげるよ」 「え、そんな、いいですよ。お金の持ち合わせもありませんし」  急に敬語になる自分に戸惑いつつも、彼女の提案は言葉通りに呑めない。それでも彼女は引かなかった。 「いいって、いいって。お代はいらないよ。そのかわりにちょっとした手伝いと、この時計が要らなくなったらくれればいいから」  さっきの艶めかしい視線とは打って変わって、からからと少女らしい笑顔を見せながら、彼女は代替案を提示してきた。  すでにこの時計は要らないものだし、直してくれるということなら何かに使ってみてもいいだろう。腕時計はしたくないし、そもそもサイズが合わないから、自室の机の上に置いてみるとかね。  それに使わなくなったら彼女に譲り渡せばいいのだから。 「時計はいいとして、手伝いというのは?」 「簡単な人助けさ」  簡単な人助け。ボランティア活動的ななにかなのだろうか。人手が足りないから手伝ってほしいとか?  それであれば、せっかくだし直してもらおう。  といっても、まったく身に覚えがない代物だが、なにか引っかかるものを感じるのだ。 「えっと、じゃあ、そういうことなら……」 「ふふ……お買い上げありがとうございます」 「お買い上げって何、を……」  私の視界は暗転した。 ……… …… …  目が覚めると、私はうつ伏せに倒れていた。  起き上がって周囲を確認すると、変わらず時計屋の店内だった。  いつのまにか気絶していたようだ。彼女の声を聞きながら気が遠くなっていったところまでは覚えている。 「すみませーん!」  店内にいるであろう彼女に声をかけたが返事がない。客が店内で倒れているというのに介抱もせず放置して、しかも自分をどこかにいってしまうなんて、酷い上に不用心じゃないか。  カチ、カチ、カチ、カチ。  何か違和感がある。  しかし、何故かと問われると答えられない。  私は上着のポケットにしまったスマートフォンを取り出して時間を確認する。  気絶前と時間が変わっていない?  スマートフォンが壊れたのだろうか?  それとも本当に数秒の出来事?  そういえばここは時計屋だと私は思い出して、壁に飾られた時計に視線を向ける。  それでも時計が示す時間はスマートフォンと変わりなかった。  カチ、カチ、カチ、カチ。  秒針の音が聞こえる。  しかし、なにか違和感がある。    壁や棚、ショーケースの中にある時計を見比べてみると、すべての針が同じ時を差していた。  カチ、カチ、カチ、カチ。  さっきからの耳の違和感はなんだろうか。  そうか。  これは。  秒針の音だ。  さっきまで何一つ噛み合っていない店内の時計が、一つの時計のように音が噛み合っている。一秒の狂いもなく、カチカチと音を立てるその光景はまるで観衆の目を向けられているかのようなおぞましさを感じた。  なんだ、これは。  あんな短時間で、この尋常ではない時計の量を彼女が全て調節したとでも言うのか。  そもそも彼女はどこだろうか?  分からない。分からないが、いつまでもここにはいられない。カチカチうるさくて頭がおかしくなりそうだ。  私は頭痛に襲われながらもフラフラとよろけつつ、あちこちの物に捕まりながら出入り口に到達する。取っ手を引っ張ってなんとかお店から出ることに成功した。  外に出て深呼吸を一つ。  肺に空気が満たさられ、さっきまでぼやけていた視界は、くっきりと輪郭がはっきりしていく。  そして、完全に視界を取り戻すと、目の前には見慣れた道があった。  おかしい。店から出たのなら、あの細い通路があるはずだ。だけど、今私が立っているのは通い慣れた帰り道だ。  とりあえず、私は歩いて、記憶にあるあの時計屋の店に続く細い通路を探した。  何となくここらへんと思う場所に着くのだが、肝心の通路は見当たらない。記憶もすごい曖昧で通路に入るイメージが靄がかかったかのように思い出せない。  いや、思い出せないというか、そのイメージだけが滲んでいるのだ。脳が思い出すことを拒否しているかのようにモザイクがかかっている。  時計店の店内も、彼女の姿も、光景を頭に思い浮かべようとしてもモザイクが邪魔をする。  無理に思い出そうとするとチクチクとした痛みが頭を襲う。  だめだ、諦めよう。あれらを思い出すのをやめると酷い頭痛はピタリと止まった。  何とも言い得ない奇妙な出来事に不安を覚えながら帰路へとつく。    左手首にある腕時計で時間を確認すると、今日はいつもより自宅に着くのが早そうだ。  この時間なら母親が夕食を作っている最中だろうか。今晩は私が大好物の鶏の唐揚げらしいので、揚げたてをつまみ食いするためにも早く家に帰ろう。  私は家に着くのが楽しくなって足取りが軽くなった。  ……ん? なんでさっき腕時計を見た?    当然のように目が自然と腕時計を向いたが、私は日常的にそれを使う習慣はない。この時計もあの時計屋に直してもらった成人男性用の時計だ。身につけた覚えもない。  何かがおかしいとは思うが、それが何かは分からない。  それにいつもなら直ぐに外したくなる腕時計を外そうとすら思わないのも変だ。  この時計は何かおかしい。けれど不思議と優しい雰囲気に包み込まれているような気もする。  さっきから不思議なことばかりで頭を抱えていると、いつの間にか自宅の前に着いたようだ。 「ただいまー。お母さんお腹空いたー」  そういって玄関の扉を開けると、異臭が鼻を突き抜けた。 「うわ、焦げ臭い! もうお母さん何してるのー」  靴を脱ぎカバンを投げ捨てて、急ぎ足で台所に向かうと、そこにはバチバチと唐揚げを揚げる鍋と、その傍で倒れる人の足が見えた。 「お母さん!!」  叫ぶのと同時にまずは鍋にかけた火を止めてから、唐揚げをトレイにあげて事なきを得る。  そして直ぐに母の元へと駆け寄ると、母は気を失っていた。 「お母さん! お母さん!」  母に声をかけるが返事はない。 「えっと、えっと……きゅ、救急車っ!」  すぐにスマートフォンを取り出して救急に電話をかける。  その後は必死すぎてイマイチ覚えていないが、ちゃんと救急車は家にやってきて、母は病院へと運ばれていった。  医者の話では、母は過労で倒れたとのことだ。でも、一足遅ければ揚げ物が原因の火事になっていて全焼もおかしくないとのこと。  それを聞いてぞっとした。あの時、私が真っ直ぐ帰っていなければ、私は帰る家だけでなくたった一人の家族を失うことになっていた。  家族を失う代わりと言うと変だけど、着けていた腕時計はいつの間にかなくなっていた。  そもそも自分のではないからなんとも思わないが、母が入院している最中に不思議な夢を見たという。  何でも亡くなった父が愛用していた腕時計が無くなったと喚いていて、大人しくさせるのに手間がかかった夢だという。  父のことを語る母はなんとも嬉しそうだった。  私は気になって、その時計のことを聞いてみたら、なんと私が着けていた時計と全く一緒だった。ゴツゴツとしてて男性向けの時計だったので、私には合わなかったのを覚えている。  そのことを話すと母は笑ってこう言った。 「そうね。きっと、お父さんが助けてくれたのね」
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