始まりは突然に

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始まりは突然に

「明日ありと思う心の徒桜、夜半に嵐の吹かぬものかは。」 彼女は透き通るように青い晴天の下、咲き狂う満開の桜を眩しそうに眺めて不意に古風な詩を詠んだ。 「なんやそれ。」 綺麗に並ぶ桜を眺めるや否や、突然詩人に変貌した彼女に、彼は疑問を呈した。 「今時わからない事があったら、聞くよりはスマホで調べられるでしょ?」 「桜は意地悪やな。」 確かに、右ポケットにいつの常備している高度な技術の集合体である、スマホこと、スマートフォンは恐らく何でも調べる事は出来る。 だが、それにしても、彼女、桜のあまりにも寂しい回答に彼は、少し機嫌を損ねた。 「まぁね。」 言いながら、空席だった右手に、左手を滑り込ませてきた。 「ずるいな、チミは。」 謝罪の言葉を掛けるでもなく、手を重ねてきた。心を弄ばれているようで、そんな彼女の思惑通りになりたくなくて、軽口を叩いた。 「ぷ...ぷぷっ....チミって....あははっ!」 整った顔立ちに、いつもどこか憂いを帯びていた彼女の表情だが、最近では笑顔をよく見せる。 「はぁ、ほんまにーー。」 弾けるような、春のように麗らかな笑みに、さっきまでのどうでも良い、本当にどうでも良い不機嫌は何処かへ消えていった。 そんな笑顔が素敵な、男心を弄ぶのが得意な小悪魔の桜は、今年に早春に東京からここへ帰って来たらしい。これといって何もない、この土地に。 そしてその時はまだわかっていなかった。その詩の意味も、詠んだ意図も。 ーーそんな彼女との出会い、それは、まだ冬の名残を残す肌寒い春先の事だった。 なんて事はない、例年通りの春先の事。去年と同じような気温、景色、空の色。毎年違うのは学年や通っている学校くらいだろうか。人によっては、住む場所も違うかもしれない。 そんな、出逢い、別れの季節を意識し始める、高校三年の春先。梅の花はポツポツと花を実らせ、爽やかな香りを漂わせる。 俺達、高校三年生のこの時期は、一部にとって受験本番の季節であり、そして、ほぼ全員にとって卒業前の季節だ。ある者は、新たな道に向かって必死に歩みを進める。ある者は、道が決まって、名残惜しき残り少ない青春を謳歌する。もう一年高校三年生をやり直す奴も数人。 ほぼ例外なく、誰しもが経験する一過性の哀愁に満ちた時期。若しくはそんな短い学生生活に幕を閉じ、新たな希望を抱き、夢を追う時期。 ただ、俺は違った。必死に受験勉強をする訳でもなく、かと言って就職を決めた訳でもない。推薦で手早く進学の内定を貰い、惰性で流れに身を任せるままに、だらだらと唯、今日まで日々を食い潰してきた。 今までも、なんら結果を残す訳でもなく、勉強もそこそこに、部活もなあなあに、友人も親友と呼べる人間が一人。他は友達と呼ぶには烏滸がましい。会えば挨拶を交わし、偶に少し世間話をする知り合いが何人か。目標もなく、恋人もいやしない。 そんな、十人に一人はいる、怠惰で取り柄のない人間。そんな日々を食い潰している俺に、ある日、惰性を取り払うような劇的な出会いが訪れたのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「おい、ろくでなし!まーたこんなとこで時間潰してからに!」 休み時間、いつも本を読んだり、ぼーっとしたりして時間を潰しているお気に入りの場所である中庭の花壇。 そこに邪魔者が入ってきた。 「あ?.....おー、海斗かいとか。ええやんけ別に。放っとけや。」 彼の静かな時間を遮った邪魔者は、彼の唯一の親友である佐々木海斗だった。 「雅樹まさき、お前そんなんやから友達もコレも出来へんねん。」 彼はそう言って、ドカっと雅樹の隣に腰を落とし、肩に手を掛け、小指を立てた。 「大きなお世話や。第一、友達多いからって偉いんか?」 「そんな事言うとるから偏屈な考え方になって行くんやぞ。もっと世間を知らな苦労すんのはお前やねんからな。」 海斗は、尤もらしい説教をくどくどと垂れて来た。 「お前俺とタメな癖してごちゃごちゃ抜かすな。説教しに来たんやったら去いねや。」 言いながら、肩に置かれた手を身の動きで落とした。 「雅樹はほんま口悪いなぁ〜。俺は悲しいぞ〜メソメソ。」 馬鹿な事を言って、大袈裟な泣き真似をしていた。 「やかましい。大体な、メソメソ言うて泣くドアホがどこにおんねん。恥ずかしい。」 「.....」 海斗は突然押し黙った。 「なんやこいつ....おい、おい。」 「.....」 肩を揺らすが、項垂れて黙ったままだ。 「ッ....めんどくさいなぁこいつ。うんともすんとも言わ...」 「すん!」 待っていましたと言わんばかりに、言葉を遮り、即座に反応した。 「はぁ....アホや。お前とはやっとれんわ。」 そう言って、彼に背を向け、その場から立ち去ろうとした。 「おい!待てや雅樹!話は終わってへんぞ!」 引き留める声が聞こえたが、「始まってもないわ。」と軽くあしらい、そのまま校内へ戻った。 「アホらし。何しにきよってん。」 小さく息を吐くように愚痴を言い、教室まで戻った。今は昼休憩。残りは10分程だ。 席に着き、いつものようにスマホで漫画を読んだり、ニュースに目を通して時間を潰そうとする。しかし。 「おい、雅樹。酷いやんけあんなとこに一人で置いていくっちゅうのは。話がある言うたやろ。」 「海斗、お前な。なんか要件があるんやったら、最初っからさっさと言わんかい。」 本懐がある癖に、余計な事ばかりする海斗に少し苛ついたが、いつも一度止めろと言えば止める聞き分けのある奴なだけに、事情があると見て仕方なく聞く事にした。 「ほんでなんやねん。話って。時間そんなないぞ。」 もうすぐ始業5分前の鐘が鳴る。次の授業は5分前に自分の席に着いておかなければ煩いタイプの先生が担当だ。 「放課後話すわ。だから先帰んなよ、じゃあまた放課後な!」 「あ?おー。」 海斗はそう言い残し、自分のクラスへ戻っていった。 「よーし、授業始めるぞ〜。」 丁度入れ替わりで先生が入って来た。しかし、授業と言ってもほぼほぼ自習だ。大学受験を間際に控えた生徒が多数いるためだ。形式上の期末試験を行うため、極めて短い範囲の授業を少しして、残りは自習。 雅樹は、特に何をするでもなくただ座っているだけ。家で怠惰に過ごしていると、親がうるさいから仕方なく学校へ来ているだけだった。 眠くなれば寝る。授業中にスマホを触るのは流石に禁止されているので、漫画にカバーを付けて読んだり、小説を読んだりして時間を潰している。 六限までの約二時間、寝るなり、読書をするなりし、時間を潰し、あっという間に下校の時間だ。 全ての終業を示す鐘が鳴り、聞きなれたその音を耳にした雅樹は、下駄箱で靴を履き替え、約束通り海斗を待った。 クラスに依って解散するのに少し時間差があり、海斗のクラスは終わるのが少し遅いので、5分程待たなければならない。 「待たせたな、帰ろや。」 スマホを弄って時間を潰していると、海斗は小走りでやってきた。 「おう」 自転車に跨り、まだ肌寒い日が続くので、マフラーと手袋を付けて漕ぎ出した。 「んで、話って?」 片田舎のこの地では、車も殆ど通らないのに広めな道がそこそこ存在する。いつもの帰り道より少し遠回りになるが、話ながら帰るなら別に苦ではない。 「あぁ、俺さ、好きな人出来てん。それで誰に相談しよかな〜って考えてたら、雅樹かな〜ってな。」 「へー。ちょっと遅いけど青春謳歌しようってか。羨ましいなぁ。んで、年齢=彼女いない歴の俺に一体何を相談するんや。」 「いや、唯聞いてほしいだけ。なんとなくわかるやろ?誰かに秘密を打ち明けたい気持ち的な?」 「自己開示の返報性が働きそうで嫌やな。俺に聞きたいことでもあるんか?」 「アホ。深読みしすぎや。しかも、俺やったら素直に聞くやろ。」 「冗談やがな。んで、誰が好きなん?」 雅樹は、人の色恋話を聞いて恋愛経験のカケラもないのにアドバイスをしたり、からかったりするのが好きだった。 「お前のクラスの...明美あけみや。」 「あー、あの子な。顔は可愛かったから覚えとるわ。んで、なんで好きなったん?」 「なんやお前えらい元気なってきたな。まぁええけど。1週間前くらいに学校ん中に財布が落ちとってな。まぁしゃーないから届け出たんや。 んでそんな事忘れとった3日前にお礼に来てな。それでちょっと喋るようになって、もう好きになってもうた。」 「へぇ...早いな好きになんの。しかも思ったより普通。」 「そらな。好きになるんに時間なんか関係ないやろ?」 「くっさ〜お前。聞いてるこっちが恥ずかしいわっ!」 言いながら、海斗の自転車のカゴを蹴り飛ばしてやった。 「うわっ!!危な〜。ドブに落ちたらどないするんや!」 「ドブより海斗のが臭いから大丈夫や。」 「こいつ腹たつわ....おーい!!だれかー!!こいつクソ漏らしてるぞ〜!!」 海斗は、突然大声で訳の分からない事を叫び出した。 「お前アホちゃうん?恥ずかしないんか!?」 「初めて人に恋愛相談する方が恥ずかしいっちゅうねん。」 「さいでっか。」 18歳にもなる2人が自転車に乗りながら戯れている。 「ま、こんな事できんの、今だけやな〜。俺らももう高校生じゃなくなるし、言うてる間に成人や。」 「今でも十二分に恥ずかしいわダホ、しばくぞ!!」 「やかましいっ!」 お返しとばかりに、カゴを蹴り付けてきた。ハンドルが取られ、危機一髪。海斗側はドブ。こちら側には畑がある。 「ぷっ...わっはっはっは!!」 「ぷっ...何が....はっ!....おもろいねん雅樹?ぷぷっ....ワハハ!!」 意味もなく、楽しかった。限りなく無意味で、他愛ないやり取り。でもそんな時間ももうすぐ終わる。そう思うと、なんとも名残惜しい。 早く終わってくれと願い続けた3年間。億劫だった学校の授業。惰性で生きてきた人生。3年間見続けた茜色の夕暮れに照らされて、ガキの頃からの付き合いの親友と馬鹿をやる。 そんな時間の終わりが一刻、また一刻と近づいている。 「.....はぁ、楽しかったな、高校生活。」 少し過去に、今に想いを馳せ、感傷に浸り、そんな言葉が口からついて出た。 「な...何を柄にない事抜かしとんねん。そんで、まだ終わっとらへんぞ。」 普段の言動からは予想もつかない言葉に、海斗はたじろいだ。 「俺はもう正直学校なんざ行かんでええからな。推薦で大学決まってるし、出席も点数も卒業案件に達しとる。」 「なら、高校生活最後によ、なんかしてみたらどうや?雅樹って地味に車の免許とかバイクの免許持っとるやろ。それでしばらく一人旅とかさ。」 「まー、なんかしたいな〜とは思うけどな。そのなんかが難しいんや。」 「まーな。ほいじゃ、またな。俺はここで右に曲がる。」 「おー、お疲れ〜。」 真っ直ぐな道の突き当たりにある丁字路で別れる。ここまでが彼と一緒に帰る道だ。 「なんかな〜、なんかないかな〜、なんか。」 ぶつくさと独り言を呟きながら、少し回り道をした。何故か、真っ直ぐ帰るのが勿体ないような気がしたのだ。 「なんか〜なんか〜ってそう簡単になんも見つからんよなぁ〜」 言いながら、暮れゆく街並みを眺めていた。街という程でもないが、山に囲まれ、畑と田んぼだらけ。そんな風景に思わず目を瞑ってしまうくらいに眩しい、煌々とした西日が差し、ノスタルジックな気分に浸る。 「ねぇ、君。何を見てるの?」 柄にもなくちょっと格好をつけて黄昏ていた所に、突然後ろから思わぬ来訪者に声が掛けられた。 「え、ま、まぁ....言うなら....夕暮れに沈む風景っすかね。」 確かな困惑の中、答えながら声の主の方へ体を翻した。 「へぇ、キザな事を言うんだね。」 そう言って薄く笑って見せたのは、黒い髪が似合う美しい女性だった。 「そ...そりゃ言葉の綾というかなんというか....ゴニョゴニョ....いや、それより貴方誰なんすか?」 反射的に会話に答えていたが、どうも見覚えが全くない。 「私は桜。東京から来たんだよ。さっきね。」 少し儚げな雰囲気をまとった女性は、桜と名乗った。 「へぇ、桜さんすか。僕は雅樹です。なんでわざわざ東京からこんな田舎に来たんすか?てかなんでいきなり見ず知らずの俺に声を?」 素直に名乗られたので、こちらも名乗り返す。反射的にそうしてしまったので、仕方なく色々聞いてみた。 それに、この惰性で流れてきた自分の人生を変える、「なにか」が見つかったような気がしたからーー。 「ま、色々あってね。実家があるのんだよここに。君、雅樹君に声を掛けたのは...なんでだろ?なんとなくかな?」 「実家ね...て、なんとなくって...まぁ桜さんみたいな綺麗な人に声掛けられて悪い気はしてないっすけどね。」 「そうでしょ?高校生なんてそんなもんだろうと思った。」 「からかわんで下さいよ。」 大人びた雰囲気を感じるが、恐らく年は然程変わらない。 「ね、雅樹君は今から暇?驚かせたお詫びに、ご飯奢ってあげるよ。焼肉、ラーメンなんでもいいよ。」 「いきなり胡散臭いっすね。ま、行くにしてもとりあえず制服着替えて良いっすか?」 美人局的な何かではないかと言う懸念もあったが、ただでさえ自由なお金が少ない高校生を騙す奴はいないだろうと、ついていく事にした。 「家は近いの?」 「すぐそこですよ。ちょー待っといて下さいね。」 我が家までもう既に歩いて2分くらいの場所まで帰ってきていた。荷物を持ち、走って家へ飛び入る。 「ただいまー!」 「「おかえり〜」」 妹と、母が声を揃えて迎えてくれた。 階段を駆け上がり、二階にある自分の部屋へ入る。そして、ものの1分程で着替え、再び階段を降りる。 「おかん、今日飯いらん!」 靴を履きながらそう叫んだ。 「はいはい〜。あんま遅なったらあかんで〜。」 「あーい。いってきまー。」 滞在時間僅か2分。時間を掛けると、彼女が消えてしまいそうな気がしたから急いだ。凡庸な日々を変えるような「なにか」をようやく見つけたんだ。逃す訳にはいかない。 「はぁっ...はぁっ....!!お待たせしましたっ....!!」 彼女は消える事なくその場に立っていた。先程まで抱いていた懸念も杞憂に終わった。 「息切らすほど急がなくて良かったのに。そんなに私とご飯食べたかったのかな?」 激しく息を切らす雅樹に、彼女は悪戯に揶揄してきた。 「えぇ....まぁ。そんなとこですね....。」 「じゃ、行こっか。早く前乗って?」 「チャリで行くんすか。いいっすけど。」 なにか...なにかが変わる。そんなワクワクとした予感を胸に、遊園地へ向かう子供のような心持ちで自転車を漕ぎだした。
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