雨の戦記

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卯月、蚯蚓(みみず)出づる候。(新暦の五月十日頃)  戦さえ無ければ、今年は豊作に違いなく、皆が歓ぶ顔が見れたろう、と長束和信は思っていた。  勿論、豊作になれば、姫も歓んでくれたろう。鏑川の治水もうまく行き、氾濫が起こることは、もうない。  和信は、戦が嫌いだった。だが、始まってしまった。最悪の形で。  大国に挟まれた小さな国、松尾田は東方の大国、喜多条氏に属していたが、西方の大国である大武氏に急に攻められた。  松尾田城主、松尾田正親は開明的な考えを持っていた。  和信の父、長束義信は城主の正親に見いだされ、浪人から召し抱えられ出世して兵糧奉行となり信頼が厚かったが、その分、同僚、上役に嫉妬され苦労した。  和信は、父の意向もあり、なるべく怜悧さを隠した。愚鈍を装うこともあった。父の苦労を見、又、自分の体験から、人の世の不条理さを感じていた。  兵糧を調達し続けるのは、戦で功を挙げるのと同じか、それ以上に難しい。それが、城主の正親以外は誰も解っていなかった。武を至上に置いて、兵糧、金銭等を軽視しており、和信の父、義信が居なければ、政(まつりごと)は滞り、戦を継続する事も出来ない理(ことわり)も解らず、義信を侮る風があることを否めない。  この年、大武氏は、城主の正親が日頃の大酒が災いして倒れたのを機に、石火に出兵して来てから既に二ヵ月が経っていた。味方の喜多条から援軍は来ていない。大武の調略がこれ以上にないほど時宜(じぎ)を得て嵌まり、喜多条は四面楚歌になっていた。只、やっと援軍が送られてくるという連絡が届いた。が、その数二千あまり。松尾田の兵、六百を足しても二千六百。対して大武は八千。絶望的だった。  結姫は、妾腹だった。その母は元々旅芸人であったが、庄屋の家で芸を披露した後、何日かそこに逗留した時に病を得た。彼女を気にいった庄屋はそのまま屋敷に留まらせ、病が治った後、縁あって城に女中として上がった。湯殿で城主の正親と知らず背を流したが、気に入られ、お手がついた。懐妊して生まれたのが結姫だった。正親は母子を可愛がること一入(ひとしお)だったが、彼女は結姫を生んだ後、産後の肥立ちが悪く一年と経たず亡くなってしまった。  正妻は名門の出だったので、結姫を快く思わず冷淡な態度だった。結姫の幼少時に人質同然の政略結婚を画策した事もあったが、正親は許さなかった。結姫は幼少時から利発で気が強い反面、母の性格を受け継ぐやさしい性格で周りの者に能く慕われた。ある盛夏、馬を世話している使用人の小屋を訪れた際、その暑さを感じた姫は、その場で大工を呼んで風通しの良い作りに直した。その後、使用人達は”ありがたい”と涙を流して喜んだ。しかし、姫にはそれは普通の事のようで、特に使用人のその声を聞いても誇ることは無かった。  そのような性格であったので、長束義信の子であり、諸事に明るい和信は結姫に気に入られ、時には無体と云うような事まで言いつけられている内に、姫付きの小姓のような立場となっていた。  姫が十六の時、敵方から城を攻められた際、城主の正親さえ槍を取って敵に突貫せざるを得ない危機的な状態となった。姫は座して自害するのはイヤだと正親に訴え、一緒に突貫した。この時、名のある武将三人を切り伏せ、討取った。  その後、武に篤い家中から尊重され、戦の度に出陣し戦功を立てた。その為、近隣では赤い甲冑を着けた結姫を先頭にした集団は、松尾田城最強の部隊と名が高かった。  和信は、結姫に説いていた。策としては、城を捨てて喜多条の援軍と合流、そのまま援軍の城に入り、情勢を見て再び松尾田に戻り、城を奪還する。  味方が二千六百、そして、敵方八千では話にならない。喜多条氏は今は劣勢であるが、将来必ず勝者となる。逆に大武は衰退する一方だろう。  しかし、家中には反対の声が多かった。城を失って何が武士か。この城こそが武士の命だと云うのだ。和信は馬鹿な、と思う。命ならば、おまえ等の一人一人が持っているだろう。そして、武士だけならば良いが、最後まで抵抗して、城で働く使用人や女子供、果てはこの国の民まで巻き込んで全滅してどうするのだ。  松尾田正親は男子に恵まれず、後継は甥にあたる長福丸だが、まだ十歳である。正親が床に臥せている今、実質の城主は結姫だった。  軍議で反対の怒声が飛び交う中、結姫は≪城を捨てて喜多条の援軍と合流、そのまま援軍の城に入り、雌伏する事≫を宣言した。  良く通る高音で「これ以上、何か云う者があれば」というと、片膝立ちになり刀を抜くと大きく振りかぶり、”城を枕に討ち死に”を説いていた家老の傍らに置いてある兜を、気迫で一刀両断にした。通常、鉄製の兜を切り割ることは出来ない。一同、声も無く、反対していた武士共は、狂気を孕んだ物すさまじい姫の目を避けて皆、目を伏せた。  城を捨てて喜多条の援軍の城に入るにしても、一度、眼前の敵を敗走させなければ、話にならない。  八千の敵は、喜多条の援軍に向けて、急遽、別働隊三千を差し向けたので眼前の敵は五千。それを六百の将兵で打ち破るとすれば、奇襲しかない。  地の利と天候を味方にする。和信は父、義信に代わって河川や田畑の測量を行いつつ、城を攻められた時に備えて兵の動かし方を研究した。又、農作物の被害をなくし、豊作となるようにする為、天候の予測も行っていた。今では、少なくとも三日先の天候の予測が出来る。雨の日に敵の本陣に向かって最短距離を走って奇襲する。  焙烙玉は器に火薬を詰め、導火線に火をつけ爆発させるものだ。主に船の戦で使っていたものだが、父、義信は諸国を巡り歩いたので、この製法を知っていた。和信は、これを雨中でも使えるように工夫した。殺傷範囲は元の物よりは数倍になるように工夫してある。これを敵の侍大将の本陣に投げ入れる。  敵の軍は三つの国の編成軍で、敵の侍大将、景山重虎の統率力で成り立っている。彼を討取ることができれば、ほぼ勝ちと決まる。侍大将の陣周りは当然、屈強な鎧武者で十重二十重に守られているが、景山重虎の頭上近くで焙烙玉を爆発させれば、彼を討取れる。どんなに屈強な鎧武者でも頭上で爆発し、鉄菱を飛散させる焙烙玉は防げない。  具体的な作戦を考えた。敵は姫の赤い甲冑を最も強敵と考えている。だから、赤い甲冑武者を二人作る。城を出て、敵陣の左翼を削り、そのまま隠し砦に向かい追撃の兵をその砦で防ぐ隊。この隊長は赤塚左近に、姫に似せた赤甲冑を着けて指揮して貰う。  敵陣の右翼を削った後、そのまま敵の援軍三千に向かい、その背後から強襲、同時に喜多条の二千と敵を挟み撃ちにする。これは、姫とその最強部隊にやって貰う。  最後に。敵が左右の赤い甲冑に気を取られている隙に、敵本陣に最短距離を走って突撃、敵の侍大将、景山重虎を焙烙玉で屠った後、死に狂いで戦う隊。荒木信重の隊と長束和信。敵の侍大将を討っても、敵陣の真っ只中である。全滅覚悟の部隊だった。  城主の正親が悪い。男子に恵まれなかった為、結姫に武の才があることが解ると、ほぼ男子のように養育した。父の長束義信も悪い。こちらは、幼少の結姫に懐かれて可愛くなり、父が若い頃の珍しい旅の見聞、自分や見聞した人々がどのように苦労し、それらをどのように解決したかを語って聞かせた。姫がその話を元に色々な騒動を起こす事を口では「困った姫じゃ」と言っておきながら、内心喜んでいた。そのしわ寄せを最も受けたのは、姫よりも五つ年上の和信である。  姫が十二の時、和信は姫にちょっとした弱みを握られた。それを質にして、小うるさい世話役を黙らせ、城下に遊びに行く方法を考えよ、と云う。  世話役の使用人の何人かに金を掴ませ、身辺を調査すると、先祖伝来の拝領した刀を質に入れて金を借りていることが分かった。姫と和信は二人で相談した後、世話役を恫喝し、一方で金を出して懐柔することにした。勿論、証文は証拠として取っておいた。二人で悪事に手を染めた瞬間だった。  姫は最初のうち、城下を歩いて物珍しがっていたが、次第に飽きてきたのか、和信が父を手伝って行っている仕事にも興味を示しすようになった。一緒に城下を食い歩き、河川を測量、治水工事を監督し、農家を回って作物の出来について竹筒に入った清水を飲みながら話し、焙烙玉に工夫を凝らして実験し、その効果的な用途を考える日々が過ぎた。  和信は、姫が父である城主正親の過度とも言える期待に圧し潰されはしないか、と考えるようになった。  姫は確かに聡明で果断なところがあるが、無理をして更に聡明で果断であろうとしているように見えた。城主の正親にして見れば、これからの時代、武辺一辺倒では生き残れない状況なのは判っていた。これからの戦は、諜報や新しい武器とその用法が大事になってくる。同盟を結んだ喜多条家では、調略(ちょうりゃく)や、鉄砲を使って国を広げているのだ。その為に浪人だった長束義信を召し抱え、生き残りを模索している。  そんな状況にあって、それが理解できるのは、身内はおろか家中であっても和信と義信を除いて、結姫、只一人だけだった。  父の義信は、時々、姫が城を抜け出して和信と行動を共にしていることを知っている筈だが、何も言わなかった。その代わり、和信に弥助という壮年の小物を連れ歩くように命じた。恐らく姫を守る為の影共で、父が使っている陰葦組(かげあしぐみ)という忍者集団の一人だろうと考えていた。  姫の武術は相当なものである。天賦の才に加えて厳しい修練もしており、時々、国を訪れる武芸者にも習うことがあるので、身辺の者で敵するものはいない。何度か、城下で無頼の徒を打ち伏せたことがある。  和信は体は頑強であるが、人を斬ったり打ったりすることが出来ない。体が竦(すく)んでしまうのだ。こんな時は弥助がいることが、とても心強かった。姫には、その度に日の本一の臆病者じゃ、と笑われた。  その年、松尾田城の先代国主、忠親の七回忌であり、国主正親、正妻、その子供等が揃って墓参した。その際、正妻が具合が悪くなったということで、一晩、寺に宿泊することになった。正妻の望みで子供達も一緒に宿泊することになり、姫も離れで宿泊していた。変事はその晩に起きた。離れで寝ていた姫が夜盗に襲われ連れ去られたのである。  和信はその時、初めて父から陰葦組(かげあしぐみ)を使って姫を探し出せと命じられた。離れには五人の夜盗の死体があった。恐らく姫に斬られたのだ。全員、鎖帷子(くさりかたびら)を着けており、着衣もそれなりの物で、夜盗では無く、最初から姫を殺害しようと準備したものに思えた。探索の結果、領内の山中の破れ寺に姫がいることが判った。 簡単だった。手負いの者がいて、途中まで血を流しながら逃げたのである。犬を使って追跡出来た。直ぐに陰葦組に現地に集まるよう命じ、更に決して直ぐに手を出すな、と伝えた。  破れ寺に着くと敵に感付かれないように距離を取った。忍びの達者が屋根裏に入り、状況を報告に来た。怒りがこみ上げ、吐いた。 「事が終わって姫から賊が十分離れたら、突入しろ。手負いの賊は恐らく頭目だ。活かしておけ。他は全て殺せ」  吐きながら、擦(かす)れた声で命じた。  姫を陰葦組を使って救出した後、捕らえた手負いの賊の拷問に立ち会った。あの晩、十一人で離れを襲い、姫に五人斬られ、頭目が左手首を落とされつつ、姫の脇腹を斬った。賊にしては思ってもない被害であり、雇い主から更に金を出させる為、姫を捕らえて引き上げた。姫を殺してしまっては、金を脅し取れないと踏んだからだ。もし、雇い主から取れなくても人質にして親等から金が取れるとも考えた、ということだ。雇い主については敵国の大武方の商人だった。それ以上は何も知らなかった。  女だったとはな、と下卑た笑いが響き、その笑いが終わらない内に、縛り上げられて無抵抗な賊の鳩尾(みぞおち)に脇差を突き入れた。初めて人を殺した。  姫の脇腹の傷は、命に差し障りが無かった。皮肉だが、賊は金目当てだったとは言え、医術の心得があり、手当ては見事だった。  しかし、少し時を経て最悪の事態が判明した。秘密裡に堕胎させなければならなかった。  和信は、正親の正妻の身辺を陰葦組を使って探っていた。正妻が急に具合が悪くなり、子供達が一緒に宿泊するとなれば、離れに泊まるのは嫌われている結姫になる。警護の網を掻い潜って離れに侵入したとなれば、身内に内応者がいた、と考えるのが自然である。  やがて、正妻と寺の僧、覚俊が割りない中だったのを探り当てた。覚俊は美僧だったという。その美僧は少し前に母が急病だと知らせがあったので、国へ里帰りしているという。最早、消されているかも知れない。恐らく、そちらからの証拠は掴めない。ならば、本人に、その口で喋って貰おう。  陰葦組は松尾田家の親類、縁者、関連寺社に人を潜り込ませている。そして、その潜り込ませた影葦が、その人物の声を覚えているのならば、その声音をそっくりに真似して話せる者がいる。  和信は正妻に面会を申し出た。 「内応者がいるのでは無いか疑っているので、御台様にも身辺にお気をつけて下さいませ」と意味ありげに言いおいてから、仕掛けを施した。  二日後、正妻に、美僧の覚俊から帰ったので会いたい、という言伝(ことづて)が届いた。正妻は、所要があると件の寺に向かった。寺にはある程度の事情を説明し、いつもの場所に通すように言っておいた。部屋に通された正妻は覚俊の声だけを聴く。  こちらの言葉少ない偽の覚俊の誘導尋問に掛かって不用意に言葉を漏らした。  「おのれ、しくじった上に事が露見したのか?申せ」  「私が悪いというのか?私は離れに結姫を泊まらせ、見回りの刻限も伝えたではないか?」  決定的だった。  襖(ふすま)を開け放って和信は姿を現した。 「長束...」 「御台様、やはり、あなた様が結姫様を...」 「何じゃ、これは!無礼であろう!!下がれ!!」  静かに座って平伏し、伝えた。 「この長束和信、しかと、先程のお言葉を聞きました。城を出て尼僧としてお暮し下さい。暮らし向きの不自由はさせませぬ。只、城に居て権勢を振るうのは、これ迄で御座います」  逆上した。 「お前のような下賤の出の者が何を何を申す!!お前こそ、我が城から追い出してくれる!!覚悟しや!!」 「曲げてご承知を...」 「成らぬ!!」 「そこを曲げて...」  蹴られた。 「曲げてお願い...」  更に蹴られた。 「お願いつかま...」  更に蹴られた。 「足が穢れたわ!!身分をわきまえよ。下がれ!!」  静かに立ち上がった。 「何じゃ!!今更、泣いておるのか!!良い気味じゃ!!早う、下がれ!!」  静かに一礼し、踵を返して部屋を出た。  廊下で茶菓を持った坊主とすれ違った時、目配せをした。坊主は正妻がいる部屋の前で声を掛けた。 「茶をお持ちいたしました」  その日、正妻は俄かに急病となり、還らぬ人となった。  それ以降、領内の事について陰葦組を使って調べるよう父から言われた。 主だった武将の身辺については、かなり詳細に調べられていた。父はこの国では未だ他所者である。当然と言えば当然だった。これからは、誰を調べるか、何を調べるか、自分で決めらなければならない。  荒木信重は家中でも忠義が抜きんでており、性格に裏表がない。こういう武将は味方につけておきたい。荒木の可愛がっている女児が病気になった後も健康が優れないという事が耳に入った。調べると診ている医者が藪医者のようだった。さり気なく、良い医者がいることを荒木に伝えて見ると、その医者に子供を診てもらいたい、という。紹介した医者は見事に子供を元気にした。根が単純なのか、こちらが辟易するほど感謝された。が、悪い気はしない。  弥助は領内の陰葦組を束ねる一人だった。寡黙な男で一番会っているにも関わらず、ほとんど自分の事を喋らない。  ある日、父から渡された探索費の一部が無くなった。騒がず、内偵させていたが、どうも弥助が取ったとしか思われない。彼の馴染みの女郎が病気になり、その治療費を弥助が用立てたということだが、そんな金を弥助が持っている訳はない。  ぐずぐずしていて、事が公となったら庇いきれない。弥助が和信のことを信用している事に賭けて単刀直入に本人に聞いて見るしか無いと思った。万が一、弥助が開き直って切りつけられたら、斬られるしかない。和信は自分でも信じられないくらい、武芸が出来ないのだ。完全な丸腰で弥助を座敷に呼んだ。  馴染みの女郎の治療費をどう工面したのか、単刀直入に問うた。素直に罪を認めると、この場で手討ちにして貰って構わないと両手をついて、首を差し伸べてきた。生憎、今は刃物を一振りも持っていない、と言ったら呆れた顔になった。  理由を話すように促した。弥助は貧しい農家の三男坊で、ある時、弥助の父が病み家計が困窮した。たまたま、その時この国に流れついた父、長束義信が金を出して弥助を雇い、家は困窮から救われた。だから、大恩ある義信様の金を盗った事については、死を持って詫びると言い出して、懐から短刀を出して和信に差し出した。  この時、和信はかんしゃく玉が破裂した。斬られるかも知れない、という緊張から解放されたからかも知れない。 「何が大恩ある義信様だ!!父は、お前に相応の金子を渡しただけだ!お前は私が見るところ、その金以上に働いているだろう!ならば、得をしたのは父の方で、命を差し出すほどの大恩などはない!!それよりも、その女郎とお前の関係は!?只の遊び相手に出すような金額ではないだろう!?」  しばし、黙り込んだ後、ぽつぽつと話し始めた。彼女は弥助の許嫁だった。しかし、こちらは親が騙されて家が困窮し、仕方なく女郎となったのだという。   事情は解った。数日考えるから、普段通りに働きながら沙汰を待て、と有無を言わせず下がらせた。  和信は今の法は、ざるだ、と常々考えていた。今の法を整備、補強した物を早急に書き上げ、重臣会議に掛け、執行しなければならない。当面の間、陰葦組を使って犯罪の実体を掴み、適宜、処罰することにした。  弥助を呼んだ。 「公平な法を作る。取り合えず、領内の女郎屋を取りしまる。金がどのように流れているか、灰汁どい(あくどい)事をしていないか、調べろ。必要な金子を出すし、役料も増やす。弥助、例の貸した金は、増した役料で返すように。それから、灰汁どい女郎屋は見せしめの為に潰すから報告しろ。潰した女郎屋の女共は、どうするか考えるから、相談に乗れ。何だ、その狐につままれたような顔は!」  おかしくなって笑った。 「私の処罰は...」 「聞いていなかったのか?貸した金に処罰などない。返してくれるんだろう?それから、許嫁だった女子についても何かあったら言ってくれ。力になるぞ。用は済んだ。早速、取り掛かってくれ」  弥助は、何も言わず、平伏したまま肩を震わせ動きそうも無いので、間が悪くなり、厠に行くか...と独り言を言って、和信が部屋を出た。  姫はこの事があってから、尚、一層武芸を習いだした。それは狂気じみた修練だった。  この後、隣国の長澤宣親に攻められ、劣勢になった時、姫が正親と共に城から赤い甲冑で突撃、名のある武将を三人討取った。その時、和信は試作していた焙烙玉を使って、眼前の敵をなぎ倒し、姫が三人の武将まで到達する道を開いた。  その前夜。  姫の部屋に呼ばれた和信は、いつもの侍姿と異なり、紅をさして色鮮やかな着物を着た姫を見て立ち竦んだ。姫は悲しい目で和信を見つめた後、私は子を産めぬ体じゃ、と言った。それでも...と言われた後、主従の垣根を越えて割りない仲になってしまった。  皐月、蛍光る候。(新暦の六月十五日頃)  空梅雨と思えたが、明日、夜明けに雨が降る。絶好の機会だった。緊急の重臣会議を開いて、かねてから練っていた作戦を皆に伝えた。直前の作戦通達は、城の中に敵方の忍びがいた場合を考えての事だった。城内の者には庭や城の壁は勿論、廊下に出るのさえ厳重に禁じた。陰葦組にもこの事を通達してある。城外に連絡を取ろうとした者を三人斬ったと報告が入った。  第一隊。城を出て、敵陣の左翼を削り、そのまま隠し砦に向かい追撃の兵をその砦で防ぐ隊。この隊長は赤塚左近、姫に似せた赤甲冑を着けて指揮。  第二隊。敵陣の右翼を削った後、そのまま敵の援軍三千に向かい、その背後から強襲、同時に喜多条の二千と敵を挟み撃ちにする。これは、姫とその最強部隊。  第三隊。敵が左右の赤い甲冑に気を取られている隙に、敵本陣に最短距離を走って突撃、敵の侍大将を新兵器の焙烙玉で討った後、そのまま出来るだけ敵を倒して玉砕。荒木信重の隊と長束和信。敵の侍大将を討っても、敵陣の真っ只中に取り残される。全滅覚悟の部隊。新兵器の焙烙玉があと二つあれば、荒木信重と自分も生きれたかも知れないと思うと残念だった。だが、これが現実だった。  夜明け前に降り出した雨の中、正門に勢揃いした第三隊と合流した時、可笑しいと感じた。姫がいる。良く見ればこれは姫の部隊ではないか。何故か弥助までいる。混乱した。  和信を見ると姫が言った。第二隊と第三隊を入れ替えたという。馬鹿な!!姫が死んだらこの国は立ち行かない!!何を考えているのか、と問いただそうとしたが、出撃の法螺貝と太鼓が鳴った。  止む無しと馬を走らせながら、姫ならば、もしかして敵の中央突破が出来るかも知れないと、忙しく頭を働かせていた。が、敵陣に突っ込んだところで、最も効果的に二つしかない焙烙玉を使う事しか考えられなくなった。  姫が先頭で敵を切り伏せていく。敵の侍大将、景山重虎の右腕、佐山右近の隊が見えた。この隊に一つ目の焙烙玉を投げ入れた。充分に雨の中で破裂するか試験をしていたが、実際に爆発するまで不安だった。敵、頭上で破裂、爆風が隊の後方にいた佐山右近も巻き込んで敵を薙ぎ倒す。阿鼻叫喚の中、卑怯であろう!!とあちこちで声が上がった。何が卑怯だ、六百の城に八千で攻めてきた奴等が云う事か!!毒づいた。構わず走り続ける。景山重虎の本陣、彼の家紋と牛の角を付けた特徴的な兜を視認。逃げずに向かって来た。流石に乱戦になれば焙烙玉を使えない事を見破ったのだろうが、和信は焙烙玉の殺傷範囲は完全に把握していた。何処で破裂すれば、味方に届かず、且つ、敵を屠れるかが判る。和信は武芸は出来ないが、焙烙玉を投擲する正確さには絶対の自信を持っていた。  投擲、爆発。敵の侍大将、景山重虎の最後。敵に紛れた陰葦が「景山重虎様、討ち死に!!」 「負け戦じゃ!!負け戦じゃ!!」と方々で叫んだ事もあって、敵は総崩れの様相を呈しだした。  そのまま、向きを変え、隠し砦の方角に走る。しかし、景山重虎の左腕、鳥越忠兵衛の隊に追撃された。己の役目を終えたと思った途端、後ろから追われ、殺される、という恐怖の感情に飲み込まれた。逃げた。最早、冷静な判断が出来ない。兎に角、姫と一緒に逃げた。怖くて後ろを振り向けなかったが、味方が一人、また、一人と殺られて敵が近づいてくるのが判る。恐怖の為、訳が分からない叫び声を上げて逃げた。  気が付くと、小さな祠がある木々が生えた林の中にいた。小さな丘の上だ。小雨が降りしきっている。遠雷が聞こえた。胸がふいごのように大きく動いており、息苦しい。どうやら、追い詰められたらしいが、林の中の乱戦となれば、敵の被害も大きくなるので、一旦、様子見をしているようだ。小さな丘は完全に囲まれている。  やっと冷静になりかけた頭で、こちらの人数を数えた。十三人。皆、泥だらけだった。向こうは恐らく二百人以上いるだろう。指揮官は鳥越忠兵衛だ。最早、逃げ切れない。姫を睨んだ。 「だから、何故!?この作戦は失敗です!姫がここで討たれては、もう、負けだ!!」 「負けではない!!お前がいる!!」 「はっ!?何を言っているのです?」 「お前が国を守るのだ!!弥助、和信を背負って逃げ切れるか?」 「はい、ここからなら、あの山まで行ければ、追撃を逃れることが出来ます」 「よし、私が囮となって敵に突っ込む。その隙に和信を背負って逃げよ!!」 「なっ何を...」 「この国を守っていくのには、どうしてもお前の知恵が必要じゃ!だから、生きて、この国を守れ!!これは主命じゃ!!」 「何を無茶苦茶な事を!!主人が犠牲になって助かる家臣など、聞いた事がない!!姫は国の、家臣共の希望じゃ!!それを失って国が立ち行く訳がない!!」 「そのくらいは、お前の知恵で何とかしろ!!」 姫は自分の兜を脱ぎ捨てると、和信の兜に手を伸ばし、緒を外して兜を取り上げ、捨てた。 「何を...」  口を吸われた。 「好きじゃ!!だから、お前は生きよ!!それだけじゃ!!」  足を払われた。 「弥助!」  姫が声を掛けた。  和信は木偶のように器用に縛り上げられ、傍らの男に背負われた形で、更に縄で身動きできないように縛られた。 「何をするっ!!離せ!!」 「皆、行くぞ!!これが最後じゃ!!」  背後で姫が言った。   和信を背負った男と弥助が、姫と反対方向に走り出した。 「弥助!!縄を解け!!弥助!!」 背中から、丘を駆け下りていく姫の声が聞こえた。 「我こそは、松尾田正親が一子、結じゃ。我が首取って手柄といたせ!!」 和信は暴れたが、全く身動きが取れなかった。 「弥助!!縄を解け!!引き返せっ!!弥助ー!!」 敵は完全に姫に引き付けられていた。 背後の戦の気配が、遠くなる。 「姫がっ!!姫ー!!引き返せっ!!戻せっ!!戻れっ!!」 半狂乱で身を揉んで泣き喚いた。  折しも、雷が鳴り始めて雨脚が強くなり、篠突く雨となった。叫び声は、冷たく残酷な天から落ちる驟雨と雷鳴に掻き消された。  その後、只、凍えるような冷たい雨が、雷鳴と共に延々と降り続いた。  この地方の伝記によると、その昔、松尾田城は一度、大武方に奪われたが、その家臣達は五年の間、喜多条の援軍の城で苦節を耐え、再度、喜多条の軍勢を借りて城を奪還した。  又、松尾田城主の姫君は武に優れ、この姫が敵軍八千を僅か六百の将兵で敗走させたが、その際、自らも討ち死にしたという。  伝説として、その姫が、敵に討たれる直前に傍らの祠に「我が国を守り給え」と祈願すると、摩利支天が現れ、その願いは姫の命と引き換えに、叶えられると予言した。  その願いの為、この姫は命を落としてしまったが、この国を守護する神格となって、神として祀られるようになった。  松尾田の家臣達が、城を大武方に奪われた後も一致団結し、城を取り返したのは、神格となったこの姫君を祀っていたからだ、と地元の人々は伝えている。  今でも、この姫が祈願した小さな祠があった場所には、神社が建っている。  その初代の宮司は、この国の家老だった長束和信という人だというが、この人の事績は他に特には記されてない。
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