王都ルベルターザの斜陽

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       ―Ⅳ―    馬車に揺られながら、ナラカはセニに、オルレアノ国内の現状を聞いた。 それによれば、この国の最北に、突き出る形で領地を維持する王都、ルベルターザの南東で、王国北東部を所領とするバンラガ族が、周囲の移動住居や固定住居を襲い、土地から何から奪って回っているという。 このため、その近隣は戦闘区域と言ってよく、周辺部族も警戒を強めており、余所者(よそもの)が立ち入ることは難しい。 ほかにも争いはあるが、バンラガ族の攻撃は広範囲に(わた)り、また残虐だった。 真っ先に叩かれたのは、戦う力を持たない、固定住居を構える、小さな村の住民たち。 明確な文章にもなっていない不文律(ふぶんりつ)ではあるが、固定住居の住民に対しては、これを奪取しようとするとき、服従か追放か選ばせる使者を立てる手順がある。 どちらも拒否された場合、攻撃が始まるが、敷地を出て逃げる者たちを追うことはない。 大抵は立て()もり、時間稼ぎをしている間に、その土地の所有者である部族が到着して、そちらとの戦闘に移行する。 守護してくれる部族が敗れた場合、改めて服従か追放か選ぶことになるが、命を奪われることは、まずない。 ところがバンラガ族はこれを無視し、使者を立てることもなく、襲撃し、男たちと子供たちは殺し、女たちを奪い、逃げることも許さなかった。 土地の所有者であり守護者でもある部族の者たちが駆け付けたときには、持ち去れるものはすべて奪われ、残る家屋や畑の植物には火を付けられ、井戸には遺体が投げ込まれ、使えるものは残らない。 オルレアノ国中には、固定住居の集まりである、このような小さな村が点在するが、これは土地を行き来する際の休憩所としての役割も担っている。 バンラガ族は、それら村を潰すことで、土地を渡る手段をも奪っているのだ。 そこまでが目的なのかは判らない。 何にせよ、バンラガ族は、もはや遊牧民ではなく、盗賊だというのが、他部族の見解だ。 「国の北東はそういう状況だ。だから、西側を通ってルベルターザに向かっている。帰りもそちら寄りで進んでもらうが、ほかの部族間での抗争も、ないわけじゃない。充分気を付けてくれ」 ナラカは頷いて、ほかに大きな動きはあるかと聞いた。 「うーん、いや。大きな動きというのは、ないかな。周辺諸国は、チタ国には他国を攻撃するような組織はないし、あそこは作物の商売に関わらないことには無関心だ。リンシャ国は新たな為政者が配置されてから、国の造りを見直しているところで、他国に働き掛ける動きはない。ビルデバラン国も立て直しの最中(さいちゅう)だから、異国からの侵略の心配はない」 「では今、大きな問題は、バンラガ族ということ」 「問題の大小だけで国は動かせない。小さな動きも積み重なり、あるいは連鎖して、大きな崩壊に繋がらないとは言えない」 「………」 ナラカは黙り込み、それから顔を上げた。 「つまり、国のすべてを知っていなければならない?」 「そうだな。地形、地域別の植物と動物の分布、人や物の流れ、部族ごとの慣習、確執、そして誰が何を動かしているか知り、その者たちのひととなりを知る。だが、国を動かすには、それだけでは不充分だ」 「……。周辺の国の動き?」 「それも必要だが、そういうことじゃない。基本的なこと。人々がどうやって生活しているかということだ」 「それは…働いて」 「そうだな。それで?何をして働いている?なぜそれが生活に必要だ?」 「それは…」 ナラカは、自分もムラのなかで与えられて、こなしてきた、仕事の数々を思い起こした。 仕事のひとつひとつには、それをしなければならない理由がある。 それらは、例えば狩りをして獲物を捕らえ、その日の食事とする、などの単純なものもあるが、一方で、バラガの内幕(うちまく)の材料となる草、カェーニャの成長を助けるため、その根元近くにあるほかの植物を取り除くという、その行動自体は毎日の生活に必要とは言えないものもある。 「……。一言では言えないわ…」 「つまり、それだけ、人が生活するのに必要な事柄は、多岐に(わた)っているわけだ。今、君が知っているのは、せいぜい、マディーナ族のあのムラのなかだけのことだ。この国には、それ以外の人々が多くいて、それぞれが違う生活をしている」 「そうね…」 「さらに、どのような基準で現在の生活が成り立っているかなども知る必要がある。ヒュミがいくらで売買されているかとか、人1人を人足として雇うのにいくら必要かとか、そもそもヒュミはどの程度オルレアノ国内に出回っているのか、働き手はどの程度あるのかとか」 「ほかには?」 「物事の仕組みだな。国が国として成り立つためには、国として行動を起こす機関が必要だ。例えば王国なら、王を据え、大まかな建国の計画を立ててもらい、その計画を問題ごとに分けて担当者を決める。このそれぞれの担当者を大臣とし、大臣の下には、実際に問題について調べ、調査結果に基づいて詳細を定めた計画を立て、実行する者たちを付ける。官吏だな。そういった役目を負う者たちが集まって、それぞれ活動し、王国を造り、動かす」 「………」 ナラカは考えに沈み、セニは続けた。 「君がこれから、どんな選択をするのか判らないが、アルシュファイドは教育も充実している。それに、ほかの国の基本情報も豊富だ。留学をして、いずれオルレアノ国に戻るということもできる」 「りゅうがく?とは何?」 「一定期間、異国に滞在して、学ぶことだ。(とど)まり学ぶと書く」 「学ぶ…」 「何をするにしても、まず、知識を増やすことは、君自身の力になると思うぞ」 「知識を増やす…ここではできない?」 「ここで知ることのできる内容と、アルシュファイドで知ることのできる内容は違う。君の今後の身の振り方によって、必要なことも変わるだろう」 「………」 セニは考え込むナラカに言った。 「オルレアノ国で知ることのできる内容は、ここで生活する上で必要となるだろうが、その情報の多くは、アルシュファイドでも得ることができる。平和で危険がなく、それ以外のことも、広範囲に多くを学べる場所に行くのだから、身の振り方を決める前に、あるいはこれからのことを考える間だけでも、あちらに滞在してみてはどうだ」 ナラカが顔を上げて、セニを見た。 セニは続けた。 「君は、15歳だ。独り立ちしていい年齢でもあるが、この先の人生は長い。生きていくための準備をする期間を設けるなら、行動を起こす前の今がいい。学ぶことは、その準備のひとつとなる」 「……でも、行動を起こそうというとき、もう、この国はないかもしれない」 「国はなくとも、土地と人は残る。失われるものは多いだろうが、それを止めるための手段を、君は今、持っていると言えるか?」 セニは正しい。 今のナラカには、なんの力もない。 自分にできることなど、何があるだろう。 黙るナラカに、セニは続けた。 「それに、今は考えられないかもしれないが、オルレアノ国ではなく、アルシュファイドか、ほかの国、ほかの場所で、国ではなく、自分のため、または誰か、特定の人のために生きることもできる」 ナラカは、膝に落としていた視線を上げて、セニを見た。 オルレアノ王国ではないどこかで、生きる。 そんな生き方が、自分に許されるだろうか? そう考えて、気付いた。 誰も何も、自分に求めていない。 今、ここまで来たけれど。 それが必要だと思ったけれど。 何のために来たのだろう。 気持ちを整理するためか。 それもある。 でも、それだけ? その先に、この国の動向に関わろうとする意思があったのではないか。 答えは、その通りだ。 自分は、国の大事(だいじ)に関わろうとしていた。 けれど。 自分には、それをする、理由があるだろうか。 義務?権利? 己の欲求? それとも、この国の人々を思ったとでも。 ナラカは、再び、(ひざ)に視線を落とした。 少なくとも、自分には、()の者を(おもんぱか)る心の隙間などなかった。 いや、今もない。 ひどい、状況にある人々のことを、聞いたというのに。 国を動かすということは。 自分の感情だけで、都合だけで、していいことではない。 それは知っている。 では、そこには何があるべきなのか。 ナラカは、自分が持てない感情の必要を認めた。 この国の人々に対する、同情と、愛情。 そして、奉仕の心が必要だ。 それすらない自分には。 国の大事(だいじ)に関わる、資格がない。 ナラカは、両の手を強く握り締め、息を吸って、止めた。 今の自分には、()に関わる事柄に対して、働き掛ける資格がないのだ。 自分に足りないのは、力だけではない。 周りの者に心を向けること。 受け入れること。 人として、他者と心を交わして、生きること。 「私、は…、人として、未熟なのね…」 セニは、首を傾けて言った。 「ん?そんなことは言っていないが…まあ、何事に対しても経験が少ないのは、その年齢から明らかだし、たったひとつのムラという、限られた環境で、限られた者としか接したことがないのなら、育ちようのない部分も出てくるだろう。だがそれは今からでも、得ることはできる」 「今、から…」 「ああ。自分を未熟だと感じるのなら、ちょうどいい。これからの数年を、自分を育てるために使ってみてはどうだ。君の弟(ぎみ)には、今、養い親を選んでもらおうとしている。その方々(かたがた)は、もちろん君のことも迎え入れるつもりでいる」 「養い…親?」 「そうだ。アルシュファイドでは、満20歳で成年となる。それ以前の者を未成年、未成年者と呼び、何らかの形で、成年者の保護を付けるようにしているんだ。弟(ぎみ)の場合は、親として、家族を迎え入れる形で、保護してもらおうとしている」 「親として…保護」 「ああ。実際に、親子関係を築けるかは判らないが、少なくとも、何かあったとき、君らのことを守ってくれる。最も近くにいる大人として、話を聞いてくれる。そういう存在は、身近にいた方がいいと思う」 「よく…解らないけれど」 セニは笑顔を見せて頷いた。 「それはまた、弟(ぎみ)の選んだ方々と接して、同じときを過ごして、その存在の位置付けは自然と決まる。最初から何事かを、定める必要はない」 「自然と…決まる?」 「ああ。そういうものだ。人との関わりというものはな」 「…分かった。理解ではないけど…」 セニは頷いた。 「君があちらに着く頃には、弟(ぎみ)の心は決まっているだろう…いや、もしかして、まだかもしれないな。その時は2人で話し合えばいい。数組、候補がいるということだ」 「………。その、養い親の(もと)に行くことは、決定なの」 「君の弟(ぎみ)に関しては、決定だ。もし君が、そちらの家族を受け入れられないなら、養い親ではなく、保護責任者を付けることになるかな。まあたぶん、少なくとも1年ほどは」 セニは一旦、言葉を切って続けた。 「アルシュファイドでは、16歳になる年から、定職に就くことが多いから、その頃から、金銭面で独立できるんだ。だからその年が、ひとつの区切りとなる。君は来年、16歳になるわけだが、すぐ定職に就くなりして独立することは難しいだろうから、色々手助けしてくれる人が、いた方がいい」 ナラカはそれら聞いたことを考えてみて、納得した。 実際に世話になるかは、今はまだ決めかねるけれど、アルシュファイド王国という国は、そういう取り決めの(もと)で動いているのだろう。 ならば、そこに入り込み、利用することは、ナラカにとって、そして弟ボルドにとっても、都合が良いと思うことができる。 まだ、これからどうするか、身の振り方は決められないし、もっとよく考えなければならない。 叔父に会う必要があるとも、思う。 ナラカは、視線を上げてセニを見つめた。 「教えてくれて、ありがとう。弟のことは、決定だということだけれど、強制ということ?」 セニは少し、仕方なさそうな笑みを浮かべた。 「ああ。そこは、弟(ぎみ)納得(なっとく)()くだとしても、まだ10歳の子だし、本人の意思を確信できないよな。その点は、政王陛下は、独断専行として、あるいは強制したとして、君と話す準備がある」 「どういう意味?」 「君の弟(ぎみ)の身の振り方について、少なくとも今後数年は、例え君が異を唱えたとしても、政王陛下の信じる手段を()るということだ」 ナラカは、その強い言葉に目を大きくした。 「それは」 セニは続けた。 「そうだな。不安になると思う。だが、我々の政王陛下と会ってみてくれ。けして、悪いようにはしない。そう信じてもらえると思う」 ナラカは、突き付けられた異国の王の考えに、急に鼓動が高鳴った気がした。 けれど、それが過ぎると、これまでセニに聞いた事柄を思い出し、落ち着いて考えるようになった。 「……。そうね。あなたの国は、驚くほど、子供に手厚いものね。分かった。話してみるわ」 セニは微笑んで頷いた。 それから、大きく息を吐いてから、言った。 「さて、そうだ。今の弟(ぎみ)がどう過ごしているか、気にならないか?」 ナラカは、目を(しばたた)いて、それから、弟の現在の状況について、詳しいことを知らないのだと思い至った。 なんと迂闊なんだろうと思いながら、聞く。 「え、あ、そうね。聞きたいわ」 セニは微笑みながら頷く。 「実は今、アルシュファイドには、数国から公賓が来ていてな。そのうちの、サールーン王国の第6王子…、今のところ末子の9歳なんだが、その(かた)と仲良くしているということだ」 「サールーン…王国」 「ああ。これはまあ、一応言っておくが、政治的な思惑はない。年も近いし、たまたま知り合って、気が合ったようだということだ」 ナラカは、そんな思惑が生じることもあるのかと、胸に固いものが落ちるのを感じた。 「……。サールーン王国とは、どんな国なの」 固い声を出すナラカに気付いて、セニは小さく、仕方なさそうに笑った。 「サールーン王国とは、大陸の西側の端の、中ほどに位置する国だ。西海に面しているが、かなり高所にある国で、そのため、この国よりずっと気温が低い。また大きな地理的特徴として、火山の南側にある、火山地区だ」 「?か、ざん…?とは?」 「ん?火山だ…。ああ、そうか、この大陸にはひとつしかないからな。火を吹く山で、火の山と書く。絶え間なく噴煙を上げていて、灰などを落としている。ひと(たび)噴火すれば、周辺には、そこから流れ出る高温の流動体が襲いかかり、家屋や人、家畜を呑み込む。眼前も見えないほどの灰が降り注ぎ、なかには大きな岩石もあって、屋根を突き破り、また、人や獣の身を打ち、命を奪うだろう」 ナラカは、その凄まじさを思い描いて、目を大きくした。 息を乱しながら、口を開く。 「そんな…危険な土地があるの…」 セニは微笑んで言った。 「大丈夫だ。既に強力な結界を展開しているから、人の生活区域に影響はない。サールーン王国とは、その結界構築の(さい)に、アルシュファイドと国交が再開して、王子たちを招くような良好な関係を築いている。だから、弟(ぎみ)が悪意を向けられることはないし、今回、同行している兄殿下や姉殿下は、幼い子を悪いように利用するお人柄ではないよ」 ナラカは、ほっと息をつきながら、見ず知らずの者に対して、根拠のない疑いを掛ける考えを持っていたことに気付いた。 少し後ろめたい思いをして、それから、今後はそういう疑いを持つことも、しなければならないのだとも気付く。 そう。 弟を、守る必要があるのだから。 だがひとまず、セニの言葉だ。 信じよう。 「……。分かった。それで、サールーン王国は、アルシュファイドに近いの?」 「いいや、船で丸一日、王都まで更に2日という距離だ。現国王は穏やかで思慮深いと聞いている。跡を継ぐ王太子は第4王子で、兄王子や姉王女との関係は極めて良好、海賊一味を1人で退治するほどの風の力があり、国内の賊を一掃する手腕を持っている」 ナラカは、その内容に目を大きく見開いた。 世の中には、それほどに大きな力を行使できる力量の、風の異能を持つ者がいるのか。 「現在のサールーン王国は、民は貧しいものの、火山の影響がなくなったことで屋外での活動に不自由がなくなり、人々は気持ちを強く持つようになったようだ。様々な取り組みが進められるなかで、積極的に暮らしを立てるための仕事を求め、従事している」 「火山の影響?」 「以前は、屋外で息をするのも難しいほどだったし、屋内にいても、まず清涼な空気を取り込むことができないからな。病を得る者も多かった」 「そんな土地もあるのね…」 「ああ。だがもう、そんな心配はないからな。それだけでも、民の心を勇気付けた。サールーン王国は、これから、きっと住み良い国となる」 「そうなのね…」 ナラカは、国自体がなくなるかもしれない、このオルレアノ王国を思った。 なんという違いか。 大きな異能を有すると言う、王太子の存在が、このような違いを作るのだろうか。 「ああ。第6王子は、まだ幼いから、これからどんな役割を果たすか判らないが、いずれ兄王の(もと)で国のために働くのだろう。まあ、今のところは、幼い友情を見守っていて、いいんじゃないか」 「あ、ええ…、そうね、そうでしょうね」 「あともう1人、親しくなった子がいるということだ。その子は、特別な役目を持つ騎士の弟でね。身元のはっきりした、アルシュファイドのごく一般的な家庭に育った子だ。その子とは会うことができるだろう。そちらも政治的な背景はない」 「特別な役目とは?」 「まあ、仕事としてはそんなに特殊ではなくて、要人付きの護衛なんだが。その要人が特別な(かた)でね。そちらとは会うかな…、接する必要は、特にないだろう」 「そう。今は、王城に滞在していると言っていたわね」 「ああ。明日(あす)から、養い親の候補のひとつとなる家族の邸で滞在する。彼も今、自分のこれからのことを考えている」 ナラカは、その言葉を、ふと繰り返し胸に落とし、そして、熱い気持ちが宿るのを覚えた。 自分と同じ、状況にある子。 血の繋がった、弟。 世界でただ1人、共感できるだろう存在。 「早く、会いたい…」 呟きに、セニは笑みを浮かべる。 求められる者がいることは、きっと彼女の心の支えとなる。 「もうすぐだ」 そう言って、窓の外を見た。 陽は高くなりつつあり、目的地に近付いている。 セニは、必ず無事、彼女を弟の(もと)に送ろうと、胸に刻んだ。
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