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―Ⅸ―
オリシアとヤトだけが戻り、セニの姿が見えないことに、キエラたちは異常を察した。
「ナラカ様、セニ様はいかがされました」
聞くキエラに、オリシアは言った。
「私は、宿に戻るわ。歩いてでも」
「お待ちください。セニはどうしたのです」
キエラが声を小さくして囁くと、オリシアは自らが落ち着くように、息を吐いた。
「知らないわ。あとを見ずに来てしまったから、もしかして、捕らわれているのかも…」
今更気付き、オリシアは出てきた建物を振り返った。
「ごめんなさい。彼のことまで頭が回らなかったわ」
「何があったのです」
「名を明かした」
キエラは一瞬目を細めて、それから言った。
「どうぞ、馬車にお乗りください。ヤト、乗って」
2人にそう言うと、キエラはカグとホルターと、ほかの護衛たちのまとめ役と話し合うようだった。
護衛の1人を馭者台に据え、円になる。
「シィア。乗ろう」
そのとき、ホルターが何かに気付いて、片手を上げた。
振り返って見ると、セニと荷持ちのミディだった。
「さあ、用事は済んだ、宿に戻ろう」
「大丈夫だったか」
聞くキエラに、セニは頷いて返した。
「ああ。少なくとも、あの方は我らに何かをする気はない」
「まあ、そうだね、未だに動きがないし…」
「ああ。だから今のうちとも言える。急ごう」
急かされて、馬車に乗る者たちは乗り、一行は城の敷地を出た。
「何があったんだ?」
馬車内でキエラに聞かれて、セニは、あとでなと言った。
「ナラカ、ヤト。宿の場所は、まだ知られていないだろう。時間はある。ひとまず、話し合いたい。いいか」
「……。私は、行くわ」
「どこに、どうやって?少し落ち着け。ここで君らの手を離させるな」
「…どういう意味」
「政王陛下の命とは別に、俺の意思を尊重しろ。こんなところで小娘1人放り出せるか」
オリシアは目を大きくして、セニが自分を小娘呼ばわりしたことに驚いた。
これまで示していた態度から外れて、やや乱暴な印象だ。
とにかく、宿に戻って、一旦、セニの部屋に集まることになった。
セニは、宿の前で馬車を降りると、まずミディに礼を言って、役目が終わったことを告げ、別れた。
それから、護衛たちのまとめ役にも自分の部屋に来るように頼み、宿のなかに入って、女主にも来るように言った。
そうして、オリシアとヤトと、セニ、キエラ、カグ、ホルターと、護衛のまとめ役と、宿の女主がセニの部屋に入った。
この宿では、セニの部屋も二間あり、手前の部屋の応接用らしい低い椅子に、オリシアとセニとキエラと護衛たちのまとめ役…リッテン・レークィットと、宿の女主レティシア・レイディアが適当に座り、ほかの者たちは近くに立った。
「…さて、少し変更がある。なぜなら、ナラカが先方に本名を明かして、バンラガ族と交渉しに行くと公言したからだ」
リッテンが、目を大きく見開いて、やや大きな声を上げた。
「そりゃまた、思い切ったことを。自分が何を言ったか、解っているのか」
オリシアは眉を上げて言った。
「承知しているわ。無謀だと。あなたたちについて来いなんて言わない」
「まあまあ。それは早計ってものだ。俺は、リッテンたちに同行してもらいたい。受けることはできるか」
リッテンは大きな息を吐いて、両膝の上に腕を置き、前屈みになった。
「うーん、そうだなあ…。まあ、受けることはできる」
リッテンたちは、主にこのオルレアノ王国で活躍する、金で動く護衛集団だ。
今回、セニが頼んだほどの人数をまとめて雇う者は珍しく、普段は、1人から5人程度で仕事をする。
すでに報酬は受け取っていて、その額には、かなり色が付けてあり、リッテンたちからすれば、セニは今後も、長く頻繁に付き合いたい上客だった。
「頼めるか」
「まず、これからどうする気だ」
安易には答えられない。
それほど、バンラガ族は危険だった。
「まず、バンラガ族の族長に会いに行く。そこでどんな話し合いになるにせよ、ならないにせよ、ナラカたちを無事、この宿に戻すまでを、次の仕事としたい」
「ううん…」
「レティシアには、戻ったとき、速やかに次の手を打ってもらいたい。頼めるか」
「ええ。務めましょう」
「ナラカ、ヤト。そういう流れとしたい。了承できるか」
オリシアは、セニを見つめて、その思惑を尋ねた。
「どういうつもり」
「ん?どういうつもり、とは?」
「もう、あなたたちには関係ないことじゃない。私は、この国に残る」
「それもまた、早計というものだ」
「私は、無事に帰れるなんて甘いことは考えてない」
「それこそ、甘い考えだ。ヤト1人で、俺たちを阻むことはできない」
オリシアは、目を大きくした。
一瞬、息が止まる。
「…試してみるか」
ヤトが低く呟いた。
セニは、ヤトを見て言った。
「浅はかだな。考えろ。ナラカにある武器は、お前という存在だけだ。守る者の先のことを常に考えるのが、お前の立場じゃないのか」
ヤトは黙り、セニはオリシアに目を戻した。
「俺たちには、君たちを気絶させてアルシュファイドまで送ることもできる。意見は、聞いておいた方がいい」
オリシアは、口を開けて、少しの間、思考を停止したが、我に返って聞いた。
「つまり…。あなたたちは、あなたたちの王の命令に従って動くということ。私を攫ってでも、国に呼び寄せると…」
「それもひとつの手段だと思っている。送ったあとのことは、政王陛下のお考え次第だ。だが、そろそろ察してくれてもいいんじゃないか。俺たちが君たちを放っておけるわけがないことぐらい」
オリシアは、息が詰まって、うまく呼吸ができなかった。
心を掛けられていることが、こんなにも苦しさを与えるなんて知らなかった。
「私…私は…」
「無償でなんでもできるとは言わない。今も、使っているのは、国の金だからな。だがそういう、力を使って、俺たちにもできることはあるし、したいと思うことをする自由もある。君たちの力になりたいという、意思もな」
「………」
「だから、少し落ち着いて聞け。俺たちはやはり、君たちをアルシュファイドに連れて行きたい。まず何よりも、あちらには君を待つ、弟君がいる。彼を1人で放っておいてはいけない。これは、姉として、君が一番に気に掛けるべきことだと思うが。違うか」
「それは…」
そうだ。
自分には、弟の無事を確かめる役目がある。
親の務めとは違うけれど、姉である以上、それは自分の仕事だと思う。
放り出すことももちろん、できるけれど、弟の幼さを考えれば、人として、その結論を選んではいけないだろう。
「君たちをアルシュファイドに連れて行く。これは、君たちと会ったときにはすでに、俺のなかでは決定事項だ。進めさせてもらう。了承するか?」
オリシアは、じっと考えた。
今、聞かれたことは、なんだろう。
この先に、何が待つことを意味するだろう。
キエラが、柔らかな口調で言葉を掛けた。
「ナラカ様。たぶん、そんなに深刻になる必要は、ありません。距離はそれなりに離れていますが、一度離れたからといって、この国に戻れないほどではありません。それとも何か、この国に留まり続けなければならない理由が、おありですか?」
その言葉は、オリシアの頭を整理してくれた。
そうだ。
セニは、まず、バンラガ族のところに行くことも認めてくれたし、そのあとでアルシュファイド王国に行くことは、きっとできる。
王として立つと、言ったけれど、自分には、準備すべきことが山ほどある。
それなのに、そのひとつひとつを、具体的に思い描くことはできない。
自分には、王位に就くための準備が必要で、それはきっと、アルシュファイド王国での学びも含まれる。
この先、具体的に、どうすればよいのかは、判らないけれど。
それを考えるためにも、今、自分には、時間が必要だ。
例えば、せめて何から始めるか、決めるために、何日か旅をする程度の、ほかの問題に向き合わない、空白の時間が。
「……。分かった。一度、アルシュファイド国に行くことを、了承するわ。連れていって」
セニは頷いた。
「それはよかった。さて、話を戻そう。リッテン、この仕事、頼めるか」
「もう少し、具体的な話が欲しいね」
「ああ。バンラガ族の族長の居場所は、今日中に判ると思う。俺たちは、国王代理として上等の馬車を用意して、ナラカをそこまで運ぶ。だから用心すべきは、途中で襲われることと、到着したあとのこと、そして帰る時だ」
リッテンは大きく息を吐いた。
「まったく気を抜けないってことだな。それで、護衛対象者は引き続きナラカとヤトか」
「俺は」
ヤトが口を挟むのを止めて、セニは頷いた。
「そうだ。2人をできるだけ離さず、離れたら合流した上で、安全に留まる場所に送り届けることが、君らの仕事だ」
「ふん…、この宿で、2人が合流するまでな。分かった。ちょいと希望者を確かめてくる」
「頼む。そういうことだから、レティシア、仕立ててくれないか」
レティシアは頷いて、了承し、部屋を出た。
「さて、バンラガ族の族長のところに行く手筈はこれからとして、ナラカ。話し合いで納得のいく答えを引き出せる勝算はあるのか」
オリシアは、現実を突き付けられて、唇を噛んで下を向いた。
「そもそも、君にとって、納得のいく答えとはなんだ」
「私、は…」
頭に、被害に遭った者たちが過る。
「まず、命のある者たちを、救いたい」
「対価を求められる」
オリシアは、一瞬で激情に呑み込まれた。
「そんな権利はないわ!」
「だが、ナラカ。元々君らはそういう民だ。バンラガ族に限ったことじゃない。今回は対象が部族ではないが、同じことだ。彼らは時に、女たちを奪う。女たちはその部族の者となり、子を生す」
オリシアは唇を噛んだ。
そうだ。
きっともう、女たちは諦めている。
戻ろうと思っても、彼女たちにはもう、夫も、子もいない。
戻る村すらないのだ。
再建はできないし、維持もできない。
行き場がないのだ。
「でも、このままでいいわけないわ。せめて村への襲撃を止めなければ」
「その村は、解体されるんだろう。王が言っていた。村を捨てても仕方がないと」
オリシアは、でも、と呟いて、黙った。
納得できない。
けれど、何を話し合えばいいのか。
オリシアは、考えて、そして顔を上げた。
「まずは、話すわ。その上で、族長がどういうつもりなのか、知る。アルグリッド盆地の重要性は、理解できていると思う。村をなくして、周辺部族の交流を断たせるわけにはいかない」
「分かった。現状を維持できる確約を求めるということだな。対価はどう用意する」
オリシアは唇を強く引き結んだ。
「判らない…」
その答えを聞いて、セニは頷いた。
「まず、方法のひとつとしては、これまで通り、金か、それに類するもので言うことを聞かせることだが、これは君にはないな」
「ええ」
個人ではなく、集団である部族に要求を呑ませるのだから、その額は相当なものになる。
それ以前に、オリシアが持つ金は多くなかった。
「ほかの方法としては、バンラガ族を追い込むことだ。生活することを難しくさせる。具体的には、武力の行使。兵を以て囲い込み、行動の自由を奪う、ほかとの交流を制限する、もっと踏み込んで、兵による活動の取り締まりを行い、実行力を奪うなどだ。だが、これも今の君にできることじゃない」
「ええ、そうね…」
国王の代理と言うことはできるが、だからといって、国の何かを動かすことは、今のオリシアにはできない。
「武力以外では、周辺の部族を利用するという手がある。各部族と話をして、バンラガ族との交流を断つ、自領への侵入を完全に拒否し、阻止して、通り抜けもさせないようにする」
オリシアは頷いた。
それこそが、今の自分にできることだと思えた。
「…でも、既に周辺からは忌避されているのではないの?未だに交流のある部族とか、あるのかしら」
「判らない。その辺りも、夜までに調べておく」
セニがそう答えて、続けた。
「あとほかに、君にできるとしたら、異能の行使だ。場合によっては、部族まるごと殲滅するか、またはそうすると脅し、言うことを聞かせる。君の異能は、どの程度のものだ?」
オリシアは、固まる心を意識しながら、答えた。
「見えるすべてを焼き尽くすことができるわ」
「そこが限界か?」
「いいえ。その程度では、力半分も使わない」
セニは頷いて承知した。
「分かった。それで、君には、その力を使う覚悟はあるか」
オリシアは唇を引き結んだ。
異能を使うことはできる。
それは唯一、今の自分が、自分1人の力でできること。
必要なら、自分はきっと、実行する。
けれどその行為は、命の重みを負ったものではない。
自分には、人の生を絶ち、その者がしてきたこと、今抱えるもの、これから為すだろうことをすべて、負うことはできないし、何より、命を奪うことに対して、確固たる信念を持って、向き合うことはできない。
それでも。
オリシアは顔を上げる。
「……。覚悟は、正直、ない。でも、その時が来たら、私は、躊躇わない」
セニはオリシアの目を見て、分かったと答えた。
「だが、この方法は、反発を招く恐れがある。君が王として立とうというとき、危険な衝動を止められない者だという印象を与えるだろうし、また、その方法を選ぶという思考を危険視されるかもしれない。強い王を求める場合もあるが、多くの部族が、ひとつの部族を殲滅する王という存在に、不安を抱くことだろう」
オリシアは理解して頷いた。
恐怖による支配は、闇を生む。
そこに、王権に必要な信頼関係は築けまい。
できることなら、自分はそのような王には、なりたくない。
「…あと、もうひとつ、できることがある。アルシュファイド国の力を使うことだ。武力にせよ、財力にせよ、君が求めるのなら、政王陛下は、できるだけのことをしてくださるだろう。ただこれは、アルシュファイド国の事情に大きく依存し、そして君は他国に操られる者、国を売った者と捉えられるかもしれない」
そのような王は、認められようもない。
オリシアは頷いて、強い瞳でセニを見た。
「分かった。ほかには?」
「俺に思い付くのはそのくらいだ。夜まで、考えて、どの方法を選ぶか決めてくれ。別の方法でもいいし、いくつか同時に使ってもいい。例えば殲滅ではなく、部族の解体を命じるなど、必ずしも命を奪う必要はないし、そのように結果が違えば、今後の君の進む道を阻害しないかもしれない」
オリシアは、もう一度、深く頷いた。
「分かったわ。考えてみる」
セニも頷いて、息をついた。
「さて、これで偽名は必要なくなったと言えるだろう。今後は本名で通していいと思うんだが。君はなんと呼ばれたい?」
オリシアは、セニを見て、キエラ、カグ、ホルターを見た。
王命に従うだけでなく、自分のことを思ってくれる人たち。
ゆっくり口を開く。
「シィアと呼んで欲しい」
遠い昔に置いてきた呼び名。
オリシア…シィアは、瞬間、なくした母と父、そして幼かった弟の顔を思い起こした。
「分かった。シィア。俺たちは必ず、君を無事に、弟君の許へ送る」
セニの強い瞳を見て、シィアは覚った。
もし、今回、シィアにとって納得のできる結果とならなくても、彼らの考え次第で、自分はこの地を去ることになる。
そうなったとしても、そこが引き際なのだろうと、シィアには思えた。
彼らに寄せつつある信頼が、そう思わせた。
「ええ。頼みます」
しっかりと答えて、シィアは、心が定まるのを感じた。
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