王都ルベルターザの斜陽

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       ―Ⅹ―    気付くと、12時を過ぎていて、シィアたちは食事を摂ることにした。 宿の1階にある食堂に入ると、護衛をしてくれていた面々が食事を摂っており、セニを認めたリッテンが片手を挙げた。 セニはそれに応えて頷き、シィアたちと()いている席に着いた。 少しすると、リッテンが移動してきて、椅子に座り、人数が揃ったと言った。 「今回は、15人で当たろうと思うが、いいか?」 「ああ。それで頼む。いつまでに集まる?」 今、ここにいるのは、リッテンを含めて10人だった。 「特に腕の立つのに声を掛けたから、そいつがちょっと離れてて、すまんが急いでも明日(あす)の昼過ぎに着くだろうってことなんだが。問題あるか?」 「いや、明日(あす)一日は、準備に費やす方がいいだろうから、問題ない。翌日出発になっても対応できるか?」 「ああ、もちろん。今回、料金は割高になるが」 「覚悟してる。今回は前金と後金に分けて払う。俺に何かあったら、引き継ぎの者が来て、払ってくれる」 「了解だ。変更は?」 「これから決まる。もしかしたら、各部族のところに回るかもしれない」 リッテンは顔をしかめた。 「そりゃ、設定料金から変わるな…」 「こちらは用意がある。対応はできるか?」 「ああ、まあ、仕事はないよりあった方がいい。ほかには?」 「夜までに情報を集めて、行動を決めて、それから経路と予定を決める。夕食後に俺の部屋に」 「分かった。滞在費はそっち持ちだな?」 「ああ」 「じゃ、そう通達しとく」 そう言って、リッテンは席を立ち、仲間たちのところに戻って、少し話し、食堂を出ていった。 「…そういう費用も、私、甘えているわけにはいかないわね…」 呟くと、セニは笑って言った。 「まあ、君はまだ未成年だ。今のところは甘えておけ。俺たちはまだ、国の名を(おおやけ)にする気はない。使用しているのは、俺たち自身の活動資金であって、一国の要人への()()しではない」 「…ずいぶんと、余裕があるのね…」 「そうだな。その点、君たちは運が良かったと言えるだろう」 シィアは頷いた。 アルシュファイド王国が存在したこと、そして弟がそこで生き延びていたこと。 国王に、発見されたこと。 自分を見付けるだけの実行力があること。 「…どうして、私を見付けられたの?」 セニは視線を伏せて笑った。 「悪いがそれは、明かせない」 シィアは首を傾げた。 「何かまずいことが?」 「ああ、まあな。それより、これからのことだが、まず今、レティシアに服を用意させているから、今後はそちらに変えてくれ。同時に荷物も入れ換えることになる。シャランナから持ってきた服で余分なものは、この宿に置いていってくれ」 「分かった」 「それと、あとで部族の領地の配置図を渡す。参考になると思うから。夜までは、情報を集めるための待ち時間だから、出掛けてもいい。だがキエラたちの誰かを同行してくれ」 キエラが、談話室にいますと付け加え、セニはあとを続けた。 「さっきも言ったが、明日(あす)は一日、準備をする。出発は明後日(あさって)と思ってくれ。どうするかは今夜までに決めてもらうが、どのように族長たちと話すかとか、具体的な考えはまた明日(あす)、それに明後日(あさって)の移動時間にでも、まとめればいい。会って話してみないと、決められないこともあるだろう」 「ええ」 シィアは頷いて、各部族の領地を回ることを考えた。 一番に頭に浮かんだのは、アルグリッド盆地を囲む周辺部族との話し合いだったからだ。 先ほどセニが挙げた方法のなかで、最も平和的で、王が行うのに相応(ふさわ)しいと思えた。 それに、何より、()の者に頼らない、自分自身の力で行うことだった。 これができないのなら、自分には、王として立つ(さい)がないのだろうとも思えた。 「…族長たちのところを回るのに、どのくらい時間がかかるかしら」 「毎日1人とすれば、10日近い。その間にもまた、襲われるところが出てくるかもしれないな。君は、アルグリッド盆地だけ守られればいいと思っているか?」 シィアは、考えの(そと)にあったことを聞かれて、目を大きくした。 「…考えていなかったわ。アルグリッド盆地に接しない部族の領地…?」 「ああ。もっと言うなら、ことは周辺部族に(とど)まらない。この先、バンラガ族に倣う部族が出ないとは限らない。それは遠い先のことかもしれないが、とにかく君が考えるべきは、今、起きていることへの対処だけではない。この先、何が起こるか、周囲にどんな影響があるか、見据えた上で、今、その場をどのような形にすべきかを、考えなければならない」 「………」 それは、と呟いて、シィアは言葉をなくした。 「…とにかく今は、食べてください。考えるのはあとに」 キエラに促されて、来ていた食事を口に運ぶ。 物思いに沈みながら食べるシィアを見て、キエラは仕方なさそうな笑みを浮かべていた。 やがて昼食を終え、部族の領地の配置図と、オルレアノ王国周辺を含む経路地図の写しを受け取ったシィアは、ひとまず自分にあてがわれた部屋に入った。 まず、部族の領地の配置図を見ると、バンラガ族の領地の北は高い山脈で、北隣国リンシャ王国との境界になっている。 東もまた山脈が走り、チタ共和国との境界となっている。 南には、ふたつの部族の領地があって、うち、ひとつは、西側にあるアルグリッド盆地に接しているが、東側は、東の山脈と、ほかの部族の領地に囲まれている。 シィアは先ほどのセニの話を思い返し、この東側の部族も、バンラガ族による被害に遭っているのだろうかと考えた。 それから、数えて、現在、この国には、21の部族の領地があることを確認した。 配置図で見ると、アルグリッド盆地は思いの外広い土地で、オルレアノ王国のほぼ中央にあり、3分の1ほどを占めている。 ここがどの部族の領地にもなっていないのはどういうことだろうと思いながら、経路地図を見ると、アルグリッド盆地内の道は、いやに曲がりくねっている。 なぜかと言えば、数多くの湿地が記され、そこを()けているのだ。 これでは、騎馬の部族には動きにくい。 古戦場もいくつかあって、どうやらそこが、建国以前に、部族同士の合戦場となっていた土地らしい。 シィアは、2枚の図を横に置いて、考えた。 まず、何をしたらいいんだろう。 決めたのは、バンラガ族の族長と話すこと。 その前に、対価、いや、交渉の材料を集めた方がいいのだろう。 それが、そのほかの部族と話をすることだと思っていた。 だが、バンラガ族以外の部族の者には、なんと話せばいい。 アルグリッド盆地に点在する壁外村を守って欲しい? その見返りは、与えられないのに。 シィアは(あご)に手を当てる。 壁外村まで守って欲しいと言うのは、部族の者たちにしてみれば、図々しい願いとなるのではないか。 壁外村は確かに、部族間の交流を助けていたけれど、部族の者たちは、その存在をどの程度、役立てていたのだろう。 利用はしていても、なければないで、ほかの部族とは、平気で交流を断つのだろうか。 それこそ、聞いてみなければ判らないことだ。 シィアとヤトが身を寄せていたマディーナ族は、2ヵ所にある商い街と、領地の端にある固定住居の村のいくつかを利用して、隣接するみっつの部族と交流していた。 関係は(おおむ)ね良好で、それぞれと、食物や衣類、大小の家財、鉱物などを交換している。 マディーナ族領内には、数の少ないものもあるが、食物も、衣類の元となる植物も、家財の材料となる石や木も、剣や鍋などを作る鉱物もあるので、それらを売って、加工された品を買うことが多い。 マディーナ族には、加工する技術がないのだ。 そのように、部族内にないものを、他部族に求めて交換、あるいは奪うのが、彼ら遊牧民だ。 関係の良好な部族とは、族長同士の話し合いで、全面的な衝突は避けられてはいるが、ムラごとにいるムラ(おさ)が、ときに族長同士の取り決めを無視して、ほかの部族の土地で植物や鉱物の採取を行わせ、それが見付かって争いが起こる、という流れはなくならない。 部族も、一枚岩というわけではないのだ。 シィアは、ふと、襲撃を繰り返しているのは、バンラガ族全体だろうか、と疑問を(いだ)いた。 マディーナ族はオルレアノ王国南部に領地があるので、詳しいことは知らないが、北東部の部族は、その昔、部族間の争いに敗れ、山脈の(きわ)に追いやられた部族だと聞いた気がする。 そちらは、牧草地が少なく、貧しいのだとも。 だとしたら、もともとそんなに力のある部族ではないはずだ。 襲撃が多くなったのも最近の話のはずだし、族長が代わったのだろうか? シィアは、確かな情報が少なすぎると感じた。 立ち上がって部屋を出ると、すぐ外にヤトがいた。 「ずっとここに?」 「ああ。どうした?」 「ちょっとセニに確かめたいことがあって。ヤト、知ってた?バンラガ族の襲撃の話」 歩きながら聞くと、聞いたことはある、と答えた。 「北部が荒れているとな。マディーナ族ではその程度だったが」 「それって最近のこと?」 「ああ、そうだ」 「ふうん」 話しているうちに、すぐにセニの部屋に着き、扉を叩くと彼はすぐに出てきた。 「どうした?」 「私、バンラガ族の詳しいこと知らないと、何も決められないと思って。何か情報ある?」 「今、その情報待ちだ。早くても数時間かかる。そうだな、少し町の様子でも見てきたらどうだ?店に並んでいる品がどんなもので、どこから来て誰が買うのか知るだけでも、現在の状況を把握するには、役に立つと思うぞ」 「そう。分かった、それじゃ、出掛けることにするわ」 「この町を歩くなら、その格好でいいが、上等な服に見えることを覚えておけ。あまり暗い路地には入るなよ」 「それなら、私の元の服に着替えた方がよくない?」 「いや、あれでは部族の娘だとすぐ判る。この町もシャランナも、大きな町は、町民の方が多いから、部族の者は目立つんだ。特に今は、バンラガ族のことがあるから、部族に対する警戒が強くなっているだろう。異国の旅人の方が、まだ風当たりはいいはずだ」 シィアは納得して頷き、キエラたちを同行するよう念を押されて、談話室に向かった。 カグはいなかったが、キエラとホルターがいて、暇だからと、2人とも同行すると申し出た。 受付でホルターが道を聞いてくれ、4人は、店が多く並ぶと言う、ガリア通りに歩いて向かった。 「一番賑やかな通りは、壁の近くにあるらしくて、少し遠いんだそうだ。ガリア通りは、暮らし向きのいい者たちや、その使用人たちが多く利用するらしい」 そうホルターに聞き、シィアは歩きながら、彼の服を眺めた。 「その服は、異国って感じがしないわ。あなたたち、服はどこで手に入れたの?」 「この国に入る手前だ。私とカグは用心棒風、キエラはその雇い主って設定で、ちょっといい服にしている」 「なるほど。確かに、部族特有の獣臭さがなくて、軽装だし、街の者っぽいわ」 部族の者は、獣の毛皮を着用する者が多く、防寒や長距離移動の備えのため、上着や道具など、身に付けている物が多いのだ。 シィアはキエラを見て、育ちのいい商売人の娘?と首を傾げた。 キエラは笑って、ちょっと年が行き過ぎてますがと言った。 「えっと…、まあ、そうね。その年で夫がいない風なのは、ちょっと戸惑うかも」 「ホルターでも夫役にしようかと思ったんですが、こいつ嫌がったんです。失礼な」 ホルターはあらぬ方を向いて言い訳した。 「用心棒の数が少ないと目を付けられやすいと聞いただろう」 キエラは美しい目を細めて返した。 「シィアと合流するんだから、金持ちの女より既婚の男がいた方が、旅の一行としては軽く見られにくくて問題を回避しやすい」 「それならカグでも…」 「それは前に言った。あんな図体の夫がいてお前みたいな用心棒が必要になるか?」 カグは、どう見ても腕の立つ大男だ。 シィアは、どうして夫役が嫌なのとホルターを見つめて聞いた。 するとホルターは、そのまっすぐな瞳に耐えかねて、ああ、参ったと呟くと、白状した。 「演技でも、キエラを女と見たくなかったんだ。お前はちょっと、自分の容姿について顧みた方がいい」 「なんだ、容姿?姉妹(しまい)のなかでは男っぽいって言われて育ったけど。男同士の伉儷(こうれい)と見られたくないとか?」 「違う。そういう演技しててその気になる自分が怖いんだ!察せよ!」 ホルターにしては珍しく声を(あら)らげた。 キエラは目を大きくして、ホルターの顔を覗き込んだ。 「お前さん、そんな純情だったの」 「悪かったな!前にちょっとあって…とにかく、俺にとっては古傷(えぐ)るようなものなんだ!」 「はあ。まあ、そういうことなら許してやるが。しかし容姿の問題って、お前さん、そんなに顔の美醜に左右される奴だったのか」 「美醜じゃなくて。男っぽいと言うが、お前はむしろ(えん)がありすぎ。キャレインの方がまだ性別感じさせない」 キャレイン・ボルトは、同じ機警隊の仲間で、キエラ以外の女騎士たちをまとめる者だ。 女らしい柔らかな物腰が美しく、キエラはいつも感心する。 「は?お前の目、どうかしてるぞ」 「あのな。キャレインが女性として洗練されているのとは別なんだよ。彼女は自分が女性だって充分解っているから、男に対する目線ひとつ取っても、疑う余地がない。あれだけ美人なのに(ほう)ける男がいないのは、彼女が意識して(いろ)を感じさせないからなんだよ」 「はあ…」 キエラには、明らかに伝わらないようで、ホルターは、もういい!と投げ出した。 シィアは、よく解らない話ながら、ホルターの様子が、何だか笑いを誘った。 「意外だわ。ホルターは3人のなかでも、あまり感情を表に出したり高ぶらせたりしない(ほう)だと思ってた」 言われて、ホルターは息を吐き、少しばかり心を落ち着けたようだった。 「まあ、普段はそうなんだけど。今のは、ちょっと痛いとこ()かれたっていうか。生きてれば、触れられたくないことなんかができてくるんだ」 「そう」 やはり理解はできなかったけれど、シィアは、あまり接する機会のなかったホルターに親しみを感じた。 そのあと、4人で道を確かめながら、目に()まったものをあれこれと指差して話し、歩いていると、ガリア通りに入ったらしく、人がそこそこ行き交う道に立った。 少し、どちらに行こうと話し合い、南に向かうことにして、店に並ぶ品を眺め歩く。 時折(ときおり)立ち止まり、いくつか品を手に取って、これはどこから来たのと聞いてみる。 すると、様々な品の材料となる植物や石などは、周辺部族から手に入れたもので、既に加工されているものは、ルベルターザの壁内にある職人街で加工されたものということだった。 「金持ちや(えら)いさんは職人の工房とか行かないんだよね。まあ、あまり上品な街とは言えないからね」 「行ってはい…」 いけないかしらと口にする前に、キエラとホルターが首を横に振った。 シィアは残念に思いながら、ここに出入りする部族はどこの者、と聞いた。 鍋を売る店の女主(おんなあるじ)は、シィアたちは買わないようだと見切りを付けて、手に持った鍋を置いた。 「鍋を作る材料は、西のコロン族だって聞いたことがあるよ。畜産の品はカーンダーク族だね。ベジと野菜はこの町の北西で育ててるから、外から仕入れる必要ないんだ。あとは知らないよ」 「ベジと言うと、あのヒュミのようなものですか」 キエラに聞かれて、女主(おんなあるじ)は、ヒュミ?と、少し考えてから、手のひらを打ち合わせた。 「ヒュミね!チタで作ってる。あれはここには、あんまり来ないよ。ベジがあるからね。ヒュミよりちょっと青いけど、まあ、形は似てるね」 青いというのは、緑がかっているという意味だろう。 ベジは、このルベルターザの宿に来てから、ヒュミのように、主食として食卓に上がっていた食べ物だ。 ベジもヒュミも、植物の種子、あるいは()で、大きさは、小指の爪より短く、半分以下の幅だ。 両手で包み込む程度の器一杯に入れた量が、だいたい1人分となる。 キエラは頷いて、問いを重ねた。 「ベジはこの町に行き渡っていますか?」 「行き渡っている?って?」 「飢える者はいない?」 「え?飢える者…さて、いないと思うよ。貧しい者が住む地区はあるけど、それこそ職人街の裏手とか。でも、身なりが質素なだけで…まあ、ずぼらなのは、毎日風呂に(はい)れないことを理由に汚らしい格好でいるけども、南門前広場の(いち)に行けば、食料はたくさんある。そんなに高くもないと思うけど」 「そうですか。ありがとう。ところで、ここの鍋は、素材はなんですか?」 「え?買うの?オルリロっていう鉱物を、一旦崩して形を作っているんだよ。すごく塩分の濃い水に入れると、柔らかくなるから、そうやって加工するの」 キエラは、小さな飲み物用らしい、木の取っ手の付いた器を指差した。 「それもほかの鍋と同じ青みがかった銀色みたいですけど、オルリロ?」 「ああ、うん。そうだよ。これは旅で使う、直接火にかける1人用の汁の器さ。飲み口と取っ手が黒いだろ。この部分はカグロって言って、また別の鉱物を加工したもので、熱を伝えないんだ。カグロは、切ったり削ったりして形を作って、オルリロの(がわ)()めるための細工をして、取り付けてるんだ」 キエラはその器を手に取り、感心したように頷いた。 「これは、旅でなくても、1人分の飲み物を温めるのにいいですね」 「ああ、そうだよ。そういう目的で買う者も少なくない。お嬢さんもどうだね?」 「ええ。欲しいです。いくら?」 「3000ディナリだよ」 キエラは納得の表情で頷いた。 「買います」 女主(おんなあるじ)は喜んで、キエラから器を受け取った。 「ああ、2つ欲しいんです」 「本当!ありがとうね!」 女主(おんなあるじ)は、いそいそと、同じ器を2つ手に持って奥へ行くと、少しして、中身の入った袋を持ってきた。 「はい、6000ディナリ、ちょうど。ありがとう!」 キエラと、袋と(かね)を交換して、大きな笑顔で礼を言う。 シィアたちは、女主(おんなあるじ)に見送られつつその店を離れた。 そのあと、色とりどりの野菜を取り扱っている店先で、それぞれの特徴を聞き、(なま)で食べられるものを買って食べさせてもらった。 店の者たちと話しながら歩き、キエラは時にその品を求めた。 話をまとめると、どうやら、ルベルターザの西の北側が所領となっているコロン族の土地では、様々な種類の鉱物が採取できるらしい。 そのすぐ南東からアルグリッド盆地にかかる土地を所領とするカーンダーク族は、牧畜が盛んらしく、ルベルターザとシャランナの町を相手に商売をして、かなり羽振りが良さそうだということだ。 ルベルターザは、主に、この2部族と取引をして、あと、必要な食料は、異能で打ち建てられた壁のなかにある、北から北西にかけての広大な土地に自生しているベジと、元々あった豊かな水源と肥沃な大地を利用しての耕作により、食物となる充分な量の植物を得ているのだ。 あと、その水源から流れる川から湖にかけて棲む魚も、いくらか裕福な者たちの口に入るらしい。 糸や布などは、少し遠いのだが、南西の地に所領を有するレキシント族から入手している。 彼らは、血族ごとにそれぞれの商いをする商家に売り方を任せているので、ルベルターザまで商売をしに来るいくつかの商家から、糸や布などを買い取るのだ。 これは、いち商家との取引なので、レキシント族との部族としての取引ではない。 レキシント族だけは、どの部族も、シャランナの町も、そのような関係なのだ。 「…このルベルターザとしては、コロン族とカーンダーク族とだけ関係が良好なら、ほかはあまり関わりがないのね…」 呟くシィアに、ホルターが首を横に振った。 「いや、ここまで売りに来るレキシント族の商家は無視できない。彼らの道筋の安全を保つことは、重要だろう」 「それでも、アルグリッド盆地以東(いとう)のことを、気に掛ける必要はない…」 ホルターは、考えに沈むシィアの横顔を見ながら答えた。 「…そうだな。ルベルターザの民は、それでいいんだろう。だが、初代国王は、アルグリッド盆地を治めることで、オルレアノ地方全体の平定を成し遂げたんだ。それにより、オルレアノ王国内に点在する商い(まち)を成立させられたし、レキシント族のように、商家の力だけでオルレアノ王国全土で商いができる部族すらできた」 シィアは、初めて聞く話に、目を大きくした。 「商い街も、初代国王が作ったの?」 「まあ、初代国王が意図して設置したとは言えない。ただ、各商い街の成立は、その時代だ。アルグリッド盆地に作られた壁外村の存在が、商い街の成立を促したのは、まず間違いないと思う」 ホルターは続けた。 「オルレアノ建国以前の確執もあって、部族間の争いは、残念ながら収まることはなかった。だが、歩み寄って、小競り合い程度に縮小された。それなのに、今、バンラガ族を放っておけば、ほかの部族も触発されて、以前のような大規模な衝突が起こりかねない。オルレアノ王国は、難しい岐路にある。ここで、ルベルターザの門を閉じるのなら…それは、もはや王国の放棄と言えるだろう」 シィアは表情を歪めた。 こんな結末のために、母と父は殺されたのか。 弟は1人、異国の地に置かれたのか。 「…だが、問題は、王国が存続するかどうかじゃない」 シィアは、驚いて顔を上げ、ホルターを見た。 王国がなくなるなんて、大事(おおごと)じゃないのか。 そう口を開く前に、ホルターは言った。 「そんなことより重要なのは、命が奪われ、凌辱され、苦しみ悲しむ人々が増えることだ」 シィアは息を止め、足を動かすことができなくなった。 口を少し開けて、大きな目で自分を見るシィアに、ホルターは向き直って、言った。 「一国が滅ぶということは、そこに住む人々の環境が壊れるということだ。そんななかで、平穏には暮らせない。()してここには、奪い奪われる慣習がある。容易に他者を踏み(にじ)るだろう。そしてそれは、今後長くこの地を支配するのかもしれない」 シィアの心は固まり、苦しく浅くなる息のなかで、その言葉が通っていく。 衝撃を受けたらしく、俯き、立ち尽くすシィアを促して歩かせ、ホルターはキエラに言って、休める店を探させた。 キエラが風を放って探し当てたその店は、商人たちの話し合いの場でもあるらしく、食堂だったが、飲み物だけの提供もしていた。 やや騒がしい店のなかに入ると、適当な机を囲んで座り、飲み物を注文した。 上の空で返事をするシィアには、ヌッダの乳のなかで茶を煮出した白乳茶を与える。 差し出されるまま手で器を持ったシィアは、その温かさに我に返る。 「あ、私…」 キエラがやさしく微笑んで、飲んでみては?と勧め、シィアは白乳茶を口に含み、呑み込んだ。 体のなかが温まり、シィアは、自分の心を受け止めた。 自らの身の上に起きたことにばかり意識を傾け、今まさに、嘆き苦しんでいる人の存在を、頭から排除していた。 その事実に、シィアは、自らの心の小ささを自覚し、王として以前に、人として、あるべき思いやりを持てなかった自分の存在を、ひどく(みじ)めなものに感じた。 それはシィアを打ちのめしたが、ひとときのことだった。 自分が、小さき者だということは、変えられるものではない。 それでも、止められない意志がある。 どんなに自分本位だろうが。 あの夜の叔父の蛮行を、全力で否定する…! シィアは、その思いに立ち戻ると、唇を引き結んで顔を上げた。 「もっと教えて。ホルター。この国のこと」 ホルターは瞳を優しくして、口を開いた。 「私が事前に調べられたことは、そのくらいだ。携帯地図ならあるが、見るか?」 シィアは頷き、ホルターは腰に付けた物入れから、折り畳まれた地図を出した。 「オルレアノ王国はまず、周辺の国より高地にある。チタ国から入るときは、ここを通ったんだが、吊り下げ(かご)に乗って、空中を運ばれてきた」 「へえ?」 うまく思い描けなかったが、それはさほど重要ではなかったらしい。 ホルターは特に詳しい説明はせず、自分たちが見てきた光景を語った。 「吊り下げ(かご)から降りると、近くに商い街があって、ここはチタ国に近いからか、かなり人が多かったな。大きさは、もうひとつ見た商い街と変わらないようだったが、建物が全体的に高くて、住民が多そうだった」 「そうだな、シャランナをかなり小さくしたような感じじゃないか?」 キエラの言葉に、ホルターは、そうだな、と返した。 「そこから、私たちは少し東に寄って、レイントーン族の領地内に入った。安全だということで」 「ああ、ええ。私たちのムラでも、レイントーン族は穏和な部族として信頼されていたわ。私たちもここに来るとき、通ったの」 シィアが頷きながらそう言った。 「もしかして、ここから同じ道を辿ったかな。ホリー族の領地に入って、固定住居の村で泊めてもらったんだ」 「あ、そうね。確かホリー族領のなかの村だと言っていたわ」 ホルターは頷き、それからシャランナで合流したなと言った。 「聞いた話だと、シャランナの南辺りを所領とするオイワ族は、警戒心が強いから、領地に入る者は全員捕らえて、話を聞いた上でないと、解放してくれないそうだ。ほかの部族は、そこまで厳しくないらしいな」 「そうね。通り抜ける旅人を見ても、ちょっと声を掛けるぐらいだわ」 「今は、カーンダーク族も警戒を強めていて、いつもより見張りが厳重だそうだ。やはりバンラガ族の襲撃が気になるのだろう」 「ええ…。部族の領地の見張りをしなければならないのなら、壁外村にまで気を付けている余裕はなさそうね…」 「しかし確か、部族のなかには、雇われて用心棒のようなことをするところがあったはずだ。名は忘れたが…」 ヤトが口を開いた。 「それはたぶん、ガンビア族だ。だが、最近では荒くれ者が多くて、敬遠されている。バンラガ族の襲撃を手伝っているのではとの噂があったほどだ」 そうなの、とシィアは呟いて、そして続けた。 「どのみち、私には、仕事として誰かを雇うお金はないわ」 ホルターが応えた。 「つまり君は、金を使わず人を動かす方法を考えなければならないのだな」 シィアは机に視線を落とした。 「どうしたら、動いてくれるのかしら…」 「まずは、自分たちの安全のためだな。または利益を守るため」 「バンラガ族を警戒することは、各部族の安全を守ると思うけれど…」 「そうだな。しかし警戒は、ほかの部族に対しても同様に必要だ。結局のところ彼らは、自分たちの領地内のことで、手一杯だ」 「そうね…」 行き詰まってしまったシィアの様子を見て、ホルターは、高台に上がってみないかと言った。 「壁の外まで見られるか判らないが、ルベルターザ内は見渡せるだろう」 シィアは、ほかにしたいこともないので頷き、4人は店を出て、馬を4頭借りた。 街中(まちなか)では走らせることはできないが、目的地までいくらか遠いので、楽ができる。 4人は店のある通りから外れて、建物の隙間から、ちらりとだが確認できた、西側にある高台を目指した。 その高台の麓には、背の高い、黒い建物がひしめいていて、中腹には、緑の木々があるなかに、ぽつりぽつりと、大きな屋根を持つ邸が点在しているようだった。 4人は、麓を抜けて緑の深いなかに入ると、馬の足を早めて、道なりに(ゆる)い傾斜を上っていった。 時間半ばも緑の影の下を進んだろうか。 突然視界が開けて、道の途中からルベルターザの町を見下ろすことができた。 景観に感心しながら、4人はそのまま進んで、やがて頂上に着くと、開けた草原に馬を並べて、馬上から景色を見渡した。 東には王城、足元には街並み、ぐるりと回って北には湖のきらめきが見え、その西には整然とした緑の草が生えているようだった。 北のずっと遠くには山脈が連なり、その麓まで、ルベルターザの壁が延びていることを知って、シィアは目を大きくした。 この異能の壁は、思いの(ほか)、大規模だ。 壁の(ふち)を見ていくと、その向こうはだいたい、草原(そうげん)だった。 南に目を移すと、壁の向こうに、ぐっと低い土地が見え、どうやらそれが、アルグリッド盆地らしかった。 「すごい。盆地まで見渡せるわ。あそこ、あの山の辺り、雲?薄い雲がかかっているわ。全体に」 「あそこまで全体を覆うのは、珍しい現象かもしれないな。思った以上に、ここは見晴らしがいい」 ホルターが応えて言い、盆地をじっくりと見る。 「ああ、ここからでも、見える壁外村があるな。あれはどうやら、こちらに向かっているようだ。あの荷の多さは、もしかして壁外村を出る村民かもしれないな」 その言葉に、目を向けると、ホルターが腕を伸ばした先に、確かに動く荷馬車らしきものがあることが判った。 「村を…捨てるのね…」 この流れはもう、止められそうになかった。 「無人になる村は、どうなるのかしら」 「さあ。まあ、無人と判れば、何か役立つものを残していないか探して、荒らすのだろうな」 「なんとか、交渉の場としての壁外村を存続できないかしら。無人ででも」 「各壁外村には、村民が使っていた飲み水があるんじゃないのか?それなら、休憩所としては使える。普段は場所を隠していて、そこを利用する部族同士で示し合わせて、交流の日時を決めるという利用の仕方ではどうだ」 「場所を隠すって、そんなことができる?」 「固定するには彩石が必要になるが、水の力で、道を見えなくすることができる。空中に含まれる水を固定して、幻影を映すんだ。結界のように通れなくはできないが、それに加えて、風でそこを通る者を知るようにすれば、避けたい者と鉢合わせることはないだろう」 シィアは考えてみた。 その方法なら、村民は守れないかもしれないが、壁外村の役割を継続することができる。 いずれ自分が王となり、実権を持つとき、村民を戻す弊害が減じる。 シィアはさらに考えを進めてみた。 壁外村の役割を継続するために、周辺の部族には、壁外村に、その、幻影の術を作って、交流を続けてもらう。 これは、彼ら自身のためとなることだから、提案をするだけで、報酬を伴う依頼には、しなくていいだろう。 それなら、財力のないシィアにもできる。 もし、バンラガ族にその場所が見付かって、待ち伏せされたとしても、ホルターが言うように、同時に風の術を仕掛けていれば、壁外村は捨てることにはなるが、部族には被害が出ることはない。 そうなったときには、別の場所での交流を勧めて、繋がりを保つようにさせれば、(のち)にシィアがアルグリッド盆地の安全を整えたとき、壁外村を再開しやすいかもしれない。 シィアは、大きく息を吸った。 この方法は、有効かもしれない。 「ホルター、その、幻影を見せる術と、侵入を知る?術を、部族の者に教えてもらえる?」 ホルターはシィアを見て頷いた。 「ああ、望みとあれば、そうしよう。しかし、実際に作って回り、立ち入る方法だけ教えるという手もあるぞ。そちらの方が、手法を知る者が少ない分、安全を長めに保てるかもしれない」 シィアは、その方法について考えてみた。 ホルターが言葉を重ねた。 「ルベルターザに近い壁外村は、もうすでに動き始めているが、遠いところは、近くの部族に身を寄せるべきかとか、ルベルターザに戻る進路を決めかねていたりで、壁外村を出るのに時間がかかっているかもしれないから、そういうところを先に回って、幻影の術を構築してこようか?もしかして、今から役に立つかもしれない」 「え、1人で?」 「うん、まあ、その方が身軽だ」 キエラが、だめだと言った。 「忘れるなよ、アークの望みはなんだ?私たちは、自分の身を守る努力を放棄してはいけない。単独行動なんて許さないよ」 「ああ、そうか。そうだな。すまない、シィア。やはり1人で行くことはできない」 「ええ、もちろん。でもそれ、私も行けばできるということ?単独行動でなければいいのよね」 「ああ。しかし、各部族の族長のところへは?」 シィアは考えながら話した。 「提案するだけでなく、すでにその術があることを示す方が、説得力があるのではない?」 「うん、まあ、そうだろうな」 「アルグリッド盆地を荒らさないことが、この国の安定には必要ではないかと思うの。だから、あの場所をこれまで通り、部族同士の交流の場とすることは、すごく重要だと思う」 シィアは続けた。 「現状を維持はできなくても、近い状態に保てるなら、その方がいい。ホルター、力を貸して」 顔を上げて、見つめてくるシィアに、ホルターは穏やかな笑顔を向けた。 「それは、もちろん」 シィアは頷いた。 「よろしくお願い。どうするか、決めたわ。まず、壁外村を回って、幻影の術を設置する。彩石はあるの?」 「ああ、壁外村はせいぜい20未満だろう」 「それだけでも大した数だけれど…」 「大丈夫、その程度は、使えるだけ持ってきてる。カグも持ってるし、問題ない。問題があるとすれば、維持の仕方だな。まあ、それは政王陛下に相談するといい。取り敢えず半年保つ術を構築しよう」 シィアはそこで、ふと気付いた。 「これって、アルシュファイド国の力を借りているということよね…」 ホルターが笑って言った。 「気にするな。この程度は、俺たち個人の厚意の範囲。国は関係ない。ただ、維持するとなると、これは君ではなく、現国王との交渉となるだろう。だからその点は、俺たちの政王陛下と話さなければならない」 「すると、幻影の術は、期間限定の手段になる?」 「ああ、そうだな。族長と話すときは、そのように話すこともできるが、もし君が、今後、王として立つこと、もしくは、オルレアノ王国の国政に携わる者となることを前提に、政王陛下と話して、維持を継続してもらう算段があるのなら、その部分は、敢えて話さないこともできる」 「え…。それって…ああ、でも、そうか。私は、そういう覚悟を決めなければならないのね…」 シィアはアルグリッド盆地に目をやった。 幻影の術の保持期間は半年。 その点は、アルシュファイド王国の国王に対して、国として、交渉する必要がある。 シィアにはまだ、国政に携わる者としての力はないから、できることは、現国王である叔父と、術を維持し続ける方向で話し合ってくれるように、頼むということだけだ。 それがどれほど、効力を持つか判らないが、族長に対しては、そのような不安要素を示さない方がいいかもしれないし、示すべきなのかもしれない。 シィアはまた、大きく息を吸った。 「……。正直に、言う方が、きっと、私らしい」 「そうか」 そちらを見ると、ホルターが優しく笑っていた。 シィアは力を得て、続けた。 「それで、壁外村に幻影の術を設置する。そのあと、私、まず、バンラガ族のところへ行くわ」 「ほかの族長の元へは?」 「私、力を示すべきだと思う。私自身の力を。それには、バンラガ族のことは、私の手で何とかしなければならないわ。話して、決める。王になれなくてもいい。今ここで、決着を付けるわ。私、私の力を、使う」 ホルターが、そうか、と応えた。 静かに落とし込む声だった。 シィアは意識して彼を見なかった。 それよりも、アルグリッド盆地を見渡す。 「私、決めたわ。今、できることをする」 大きく息を吸って、言葉とともに吐き出した。 「それが、今の私の、すべきこと」 高台を過ぎる風は、冷たいが優しい。 シィアは馬を回して、進めた。 心は、決まった。
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