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ソーンデル村
ウラルは井戸から汲んだ水を慎重に家に運ぶ。
水の力は持っていたけれど、弱い方で、器一杯の水を出せればいい方なのだ。
この村の者たちは、総じて水の力が弱い。
13歳の少女の非力なウラルでも、こうして肩に棒を渡して、その両端に水がたっぷり入ったヌッダの皮をぶら下げて歩くことは日常だ。
力がないから、一日に何往復もしなければならないけれど、飲み水があるだけこの村はいい。
ウラルは、つい最近、両親とともに暮らしていた村が、よその部族に蹂躙されたとき、たまたま母方の叔母のところに、弟と使いに来ていて、難を逃れたのだった。
そのまま、叔母の嫁ぎ先に厄介になることになり、家族のなかで立場の弱い叔母を助けるために、こうして自分にできる範囲の仕事を、誰も起きない早朝から、進んでしている。
懸命に前を向いて、重い水を運んでいたウラルは、馬の鼻息を聞いた気がして、足を止めた。
振り返って、空気を読む。
周囲に満ちる悪意。
ウラルは、その場に水を放って駆け出した。
その顔は真っ青だ。
文句を言いつつも、自分と弟を受け入れてくれた家族の住む母屋に駆け込んで、大声を上げようとした。
けれど、口がやけに乾いて、小さな声しか出ない。
悩んでいる時間はない。
ウラルは、靴を脱ぎ捨てて母屋に上がり込み、廊下を騒がしく駆け抜けると、叔母とその夫の寝室に入って、叔母の体を揺さぶった。
驚いた叔母は飛び起きて、どうしたのと聞く。
「はっ、はっ、誰かっ、来たっ」
真っ青な顔で、荒い息を吐きながら、それだけ言う姪から、異常なことが起こったと感じ、急いで周囲を探る風を飛ばす。
範囲は狭いながら、ウラルよりも風の力の使い方を心得ている叔母は、事態を把握して青ざめた。
隣で未だに寝ている夫を揺さぶって起こす。
「起きて!バンラガ族が来た!」
バンラガ族とは、この村を守護してくれているラディーズィ族の所領の北方に在る部族で、好戦的だ。
先日、ウラルたちの村を襲ったのも、彼らだった。
夫はなかなか起きてくれず、叔母は寝台から出ながらウラルに言った。
「コーダと納屋で隠れていなさい!」
弟の名を出されて、ウラルは混乱する頭が、すっと整理されるのを感じた。
そうだ、コーダ。
弟を、守らなければ。
深く頷いて、身を翻したそのとき、母屋のなかに人が入ってきた気配がした。
叔母が小声で、隠れなさいと寝台の下を示す。
ウラルが寝台の下に滑り込んだ瞬間、部屋の戸口に人が現れた。
ウラルがその足を見たすぐあとに、呻き声が聞こえ、足の主は床に倒れた。
大声で仲間を呼ぶ声が聞こえ、複数の足が部屋になだれ込んできて、叔母の夫の叫び声のなかに、叔母の呻き声を聞いた気がした。
叔母が倒れたのが見え、寝台の上で重いものが落ちる気配があり、部屋に入ってきた足は、次に行くぞ、などという声を発して、出ていった。
じっとしていると、遠くで悲鳴が聞こえて、やがて、賊のものと思われる足音だけになり、それらは母屋を出ていったようだった。
ウラルは風を放って様子を窺い、動くものが近くにないことを確認して、寝台の下から這い出た。
倒れた叔母の許に急いで行ったが、絶命している。
叔母の夫も目を見開き、命がないことが分かった。
ウラルには、耳に残る叔母の最期の言葉が、自分を保つ唯一のものだった。
立ち上がり、再度風を放って周囲を探りながら、母屋を出た。
この村は、小さな山中にあって、敷地の周りは林となっている。
母屋と納屋、馬小屋などの、いくつかの家屋がひとまとまりとなり、それぞれに3、4世代の家族が生活していて、そのような家屋のある敷地が、ぽつりぽつりと点在しているのだ。
ウラルは、弟コーダと寝起きする納屋に飛び込み、寝ていた弟を起こすと、一緒に外に出た。
大きな音などは聞こえないが、村の者たちはきっと、為す術もなく殺されていっている。
逃げなければならないが、山を下りたら、どこまでも続く平原だ。
隠れるところなどない。
それでも逃げなければ、きっと命はないのだ。
ウラルは、コーダと母屋に入って、この国で食料や水を入れる一般的な袋である、ヌッダの胃のひとつから作られた袋をふたつ取り、そのなかに、入るだけの食料を詰め込んだ。
その最中、人の気配に振り向くと、叔母の末の息子が立っていた。
大きな目を見開いて、現状を理解できないまま、ウラルたちを見る。
ウラルは素早く、もうひとつヌッダの袋を取ると、そのなかにも食料を詰め込んだ。
そうして、準備ができると、脱ぎ捨てたままだった靴を履いて、幼い、いとこの肩に、袋のひとつを掛け、靴を履かせた。
風で周囲を探り、人がいないことを確かめてから、3人で母屋を出ると、ウラルは、林のなかへと2人を導いた。
先のことは、判らないけれど。
今はこの場から逃げることが、ウラルにできる唯一のことだった。
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