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僕は、赤い服ばかり着ています。
生まれた時から、僕の親は有無を言わさず赤い服を着せました。だから、今も赤い服ばかり着ています。自分が好きなのか、最初から着ていたから好きだと思い込んでるのか、今ではもうわかりません。
周りの人達は、色んな服を着ています。
そんな服を羨ましいなって思うけど、僕は結局赤が1番に会うんだろうなって思って、他の色はなかなか着れません。
それに、幼心ながら、僕は世界で誰よりも赤が似合うだろうって、そんな自信が少しありました。だって、小さい頃は、沢山の人が赤い服の僕に寄ってきてくれたから。
僕は、人気者の方でした。活発だったと思います。みんなが僕の元に来てくれて、皆が色んな話を僕にしてくれました。
たまに、2人だけの秘密なんかも、僕にこっそり教えてくれる人がいるのです。
僕は張り切って、みんなの話を毎日毎日聞きました。10代の頃に、遠くに住んでいる恋人の相談に乗って、橋渡しをしたのは良い思い出です。みんなが僕のことを必要としてくれているのが嬉しかった。
でもだんだん、僕の周りに人は集まらなくなりました。僕とすれ違っても、みんな僕なんかいないみたいに歩いていってしまいました。
みんなが来ないから、僕も「必要ないんだな」と思うようになりました。身なりにも、あまり気を使わなくなりました。昔は綺麗にしてたはずなのに。
僕に身なりのことをとやかく言う人も、特にいませんでした。
それは、僕をより悲しくさせて、より身なりに気を使わなくさせました。
僕は段々、誰とも関わらなくなりました。
周りのみんなみたいに、スマートフォンなんか持ってたら、少しは気が紛れたのかもしれません。
でも、僕にスマートフォンを与えてくれるような人はいませんでした。
勿論、僕自身も買えません。
毎日毎日、僕は誰とも話しませんでした。スマートフォンを片手に持って楽しそうな皆を、遠巻きに見ていました。
だから君と会った時、僕は運命だと思い込んでしまったのです。そんなこと、有り得ないのだけど。運命なんて、信じたこともなかったのだけど。
その日は雨でした。
僕は、大学の木の下にポツンと立って、いつもみたいに、僕の前を通り過ぎるみんなを、ぼんやり眺めていました。
傘を持っていなかったので、どうにか僕の上の木の枝達が、頑張って雨を防いでくれないかなぁなんて思っていたのです。
彼女は、僕が眺めている「皆」のうちの1人に過ぎませんでした。
でも、彼女は僕と目が合った瞬間、パァッと顔を輝かせて僕に駆け寄ってきてくれたのです。
その瞬間、僕にとっての彼女は、「皆のうちの1人」から「彼女」に変わったのです。
「見つけたー! 」
彼女はそう言って、僕に近づいてきてくれました。
その声は、僕の上の枝達よりもずっと雨を防いでくれそうな、明るい声でした。
ふわふわと揺れるワンピースは赤のチェックで、少しドキッとしたのを覚えています。僕より赤が似合う人がいたんだなって、小さい頃に抱いた自分の慢心が恥ずかしくなりました。
赤い服の僕に、「探したんだよー! 」と言って、ニコニコと笑いながら声をかけてくれる彼女は、香奈という名前でした。友達がそう呼んでいたから、本名はわからないけど、僕も香奈さんと呼んでいます。
香奈さんは僕より年下だけど、こんなところで雨宿りしてる僕よりも、ずっと色んな世界を見ている人でした。だから僕は、敬意をこめて、「香奈さん」と呼んでいました。
実際は恥ずかしくて、本人に対して呼んだことは1度もなかったけど。心の中で、敬意を込めて呼んでました。
香奈さんは、毎週水曜の15時頃、決まって僕に会ってくれました。
香奈さんは、どうやら異国に恋人がいたそうです。皆が持ってるスマートフォンを香奈さんももっていたので、それを使って連絡を取ればいいのに、と思いました。でも、お金の関係で取れないのだと、香奈さんは少し寂しそうに友達と話してました。
僕は、香奈さんの話を沢山聞きました。
異国の彼氏は日本人で、留学しているということ。
その人は小学校の時の幼馴染で、大学で偶然再会した人だということ。
むこうのご飯は、日本人の口には合わないらしいということ。
彼氏の勉強が忙しそうだということ。
側にいた時間よりも、遠距離での時間の方が長いということ。
向こうにいる間に、2年半の記念日が来ること。
忙しそうな彼氏の力になりたいけど、遠すぎて何も出来ないこと。
彼氏の元に行きたいけど、学生のお金じゃ難しいこと。
本当は、早く帰ってきて欲しいこと。
3ヶ月前の水曜日。それは、彼女が僕の元に来た最後の日でした。
その日は初めて出会った日と同じで、雨が降っていました。違うところは、香奈さんが笑ってないことでした。
「バイバイ。」
そう小さく呟いて、香奈さんは僕に、彼氏に宛てた手紙を託しました。
異国の彼氏に、向こうで好きな人ができたこと。
もう、その彼氏は、日本に戻ってくる気はないということ。
僕は、くるりと背を向けて歩き出す香奈さんを、呼び止めたくなりました。
僕が代わりになれたらどんなにいいだろう。
でも、僕なんかが代わりにはなれないことは、十分知っていました。僕にとって香奈さんは運命の人でも、香奈さんにとっての僕は、ただの木陰の下で週1回、一瞬会う僕でしかないのです。
この手紙に、一筆添えようかとも思いました。
香奈さんは、貴方のことが本当に大好きだと、書いてしまいたかった。
でも、それがルール違反なことも、よくわかっていました。
だから結局、できませんでした。
僕は結局、好きな女の子を慰めることも、相手の男に何か言うことも、できなかったのです。
ごめんなさい。
せめて貴方と同じ立場なら良かったのに。
色んなものを見て、鮮彩な服を着て、こんな木陰から、出ていけるような、そんな人だったら良かったのに。
僕は、せめてもの罪滅ぼしのため、貴方から託されたこの手紙だけは、きちんと貴方の元彼氏に渡しました。
最後は郵便局のお兄さん頼りだけどね。でも、その直前まで、僕は雨に濡らさないように、ちゃんと持ってたんだよ。
今日、香奈さんは卒業するみたいです。
香奈さんと、いつも一緒にいたお友達と、香奈さんはいつもより晴れやかな顔で話していました。
その顔は、僕が大好きな、雨を防いでくれそうな明るい笑顔でした。
香奈さんが選んだであろう赤い袴は、香奈さんの明るい顔と明るい声によく似合っていました。そしてやっぱり、赤が1番似合うなんて思っていた小さい頃の自分が、また少し恥ずかしくなりました。
香奈さんが、僕のもとに来ることは、もうないでしょう。
香奈さんにとって、僕は、辛い思い出の1つになってしまいました。
香奈さんはもう、僕と沢山話した1年半を、僕のことを、忘れてしまったと思います。
でも、僕はずっと、覚えています。
香奈さんの、僕を見つけてくれた時の笑顔も。香奈さんの話も。全部。
だから、どうか。
どうか新しい場所で、お幸せに。
君の最寄りのポストより。
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