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<この傘で顔を隠していて下さいね>
暗い夜の街に冷たい雨が降っていた。
少年がふらつきながら陰気な路地裏に現れた。歩くというよりは、這う動きに近い。傷を負っていた。
優れた聴覚が路地に面した表通りからの声を拾う度、体を強張らせた。少年は今、追われているのだ。この状態で見つかれば戦うことは愚か、逃げることさえままならないだろう。
予断を許さない状況と、氷雨が体力を奪う。止血の応急処置はしたものの、貧血症状に堪らず片膝を付いた。そこから立ち上がることはできなかった。壁に背をもたれしゃがみ込むと、静かに目を瞑る。
包囲網は刻一刻と広がっており、休んでいる暇など無かった。しかしこの街を脱出する可能性を高めるために、少しでも体力を回復させる必要があった。
しとしとと降りしきる雨が肩を濡らす。髪から雨滴が落ちる。店舗の裏口の小さなひさしは雨宿りをするのに十分ではなかった。体温が下がるにつれて、気分は滅入る一方だった。
少年はいわゆる”便利屋”だった。種族は人間とエルフのハイブリッド。その容姿を”少年”と表すものの、エルフは長寿で名高い種族であり、少年も人間の時間で言えばそこそこ長いと言える時を生きてきた。これまで幾度となく修羅場を乗り越えてきたが、今の状況は自分史上最大の危機と言って間違いないだろう。
(この依頼は受けるべきでは無かったか)
今更のように後悔した。
依頼主は人間。内容はある生物の弱点を探ることだった。
その生物は”夜鬼”と呼ばれており、主食は人間である。とりわけその血を好み、日が沈んだ夜に現れては人間たちを捕食した。
夜鬼はもとは人間だった、という説がある。あるいは、もとより人間社会に紛れて生活していたのだとも。
それが急激に数を増やし、今や夜の世界は夜鬼たちのものになった。人間たちは無差別に捕食されることを恐れ、夜鬼と話し合いの場を設けた。そして取り決めたのは、「人間は、食糧としての人間を差し出すこと。夜鬼は、それ以外の人間は襲わないこと」。いわゆる生贄制度であった。
しかしこの制度は人間にとって、極めて緊急的取り決めであり、到底容認できるものではなかった。できれば、夜鬼を殲滅し、夜の世界を取り戻したいという思いがあった。
そこで白羽の矢が立ったのがこの少年であった。中立的な便利屋であったことも主な理由ではあるが、もうひとつには彼の外見が関係している。純血種ではないものの、彼が持つエルフ族の特徴――銀色の髪と尖った耳は、夜鬼の外見とも酷似していた。
彼は果敢にも、夜鬼として彼らの世界に潜り込むことを決めた。約一年に及ぶ地道な捜査の末に、少年はようやく夜鬼のゲノムデータを入手することができた。夜鬼の弱点を探るにあたり、これ以上に大きな手がかりは無いだろう。
しかしあと少し、というところで少年の正体は露見してしまった。夜鬼は少年の持つデータを取り返そうと必死である。
見つかれば、一貫の終わり――。
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