[6] 駿

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 ミケに言われた部屋番号の前で一度深呼吸をする。 何を言われるのかは分からない。 俺を拒否してくるかもしれない。 それでも正造と直接話し合いたかった。 俺の事が嫌いになったのならそれでも良い。 俺を憎んでいるのならそれでも良い。 ただ正造の口から本当の事が聞きたかった。 玲央は俺が言ったことを全て信じると言ってくれた。 それが嘘でも信じると。 俺にはそんな度胸も勇気もなかった。 疑うことでしか相手といられなかった。 玲央が言った事が全て正しいことではないのは分かっている。 疑惑を持ってもいい。 疑ってもいい。 信じられなくてもいい。 それでも相手と納得いくまで話し合って理解しあって歩み寄ろうとすることが大切なのだ。 それがしたいと思える相手なら。 もし努力したいと思えない相手なのならば気持ちがそこまででしかなかったということだ。 でも、俺は知りたい。 正造があんなに俺に拘ってきた理由。 それなのに急に離れていった理由。 そして俺がこんなにも正造に惹かれていく理由。 あんなに好きだと思っていた玲央の事を何と説明していいか分からない。 それでも今頭の中にいるのは玲央の笑顔ではなく、にやけた作り笑顔なのだから仕方がない。 いつから、どこが、なんで。 全て説明できる気なんてなかったが逃げずに向き合いたかった。 分かるまで話して、正造を理解したかった。  俺は考えるだけ考えてドアノブを掴んだ。 鍵のかかっていない扉はゆっくりと部屋の中の明かりを外へと漏らした。 音を立てないように玄関に入りこんだつもりなのに靴を脱いだ音に気が付いたのか足音が近づいてくる。 心臓の音が足音をかき消していく。 俺は顔を下げずに玄関に立ったまま中から出迎えてくる正造を待ち構えた。  俺を見た正造は分かりやすく息を飲んだ。 作られた笑顔が固まったかと思うと表情の力が抜けていく。 「…なんで?」 俺だって何度も正造が目の前から消えて何度も考えた。 なんでいなくなった? なんで最後に俺とセックスした? なんであの日、日和と一緒に居た? 今まで溜め込んだ気持ちが溢れ出るかのようだった。 俺は靴を脱いで面喰っている正造の正面に立った。 俺よりも高い視線を引き寄せるように胸ぐらを掴んで引き寄せる。 「なんではこっちのセリフだよ。」 正造は逃げるように視線を俺から外す。 掴んだ襟元に力をグッと力を込める。 「もう。お互い逃げるのは止めよう。」 それは自分にも向けた言葉だった。 知ることから逃げて、信じることから逃げていた。 遠回り以上に全部無駄な時間だった可能性もある。 それでも俺には忘れられない人生の一部になった。 一生の間の数パーセントの時間が俺の生き方を百八十度変えたんだ。 それほど俺はお前に助けられた。 正造は諦めたかのように悲しそうに頷くとミケの部屋への道を開けてくれた。  「適当に座ってて。…コーヒー入れるね。」 まるで自分の部屋かのように振舞う正造になんだかモヤモヤする。 戸惑う事無くカップを選びお湯を沸かしている。 インスタントコーヒーのしまわれている場所も熟知している。 もしかして俺を避けている間に二人の間が進展してしまったのかもしれない。 もしかしたら俺だけがバカみたいに足掻いているだけで正造はネコ目の男と付き合い始めて同棲しているのかも…。 そんな風に考えると先ほどまで意気込んでいた気持ちが萎んでいくのが分かる。 確かめるのが怖い。 確かめなければ正造は俺に気があったのかもしれないなんて考えていられる。 家に帰って片思いにふけって相手を思う日々を改めて始めればいいだけだ。 自分だけが傷付いたふりをして全てから目を背けていればいいんだ。  正造がカップを目の前に置いてくれるまで俺は俯いたまま後ろ向きな事を考えていた。 同じことを繰り返さないようにと玲央がくれた言葉。 それを無駄にしてはいけない。 「お前さ。いつからここにいるの?」 自分でも遠回りな聞き方だと思った。 ズルいやり方だ。 「…一週間位前から。」 怒られるのを怖がる子供のように正造は俯く。 違う。 こんな一方的な会話がしたいんじゃない。 「あの人の事…。ミケって人と付き合ってるの?」 核心を突いた言葉は震えだしそうだった。 シラフな状態で誤魔化しもせずに相手に言葉をかけるのがこんなにも難しかったとは思いもしなかった。 「付き合ってない。セックスもしてない。…あれから誰ともしてない。」 必死に弁解するようにいう正造を見て安心する自分がいる。 あれからとは、俺としてからという意味だろう。 その言葉だけで失っていた自信が戻ってくる。 俺はやはりズルい人間だ。 相手の気持ちがある程度分かっていないと一歩も踏み出せない。 「俺、玲央と上手くいかなかった。」 全ては俺のせい。 俺が玲央を傷つけた。 あんなに恋しかった気持ちがいつの間にか色あせて他の色に塗り替えられているなんて思いもしなかった。 それは二人が似ている色だったからかもしれない。 言い訳でしかないが、二人が俺に思いを寄せてくれている優しさや温もりはとても心地よく気持ちが良かった。 「俺、お前の事好きになった。」 口ごもる正造の言葉を待たずに続けた。 「玲央に教わったんだ。人を信じる事。確かめ合うこと。そうしたら誰よりも理解したいと、理解してもらいたいと思ったのがお前だった。…失礼な話だよな。元恋人に気持ちこじらせておいて付き合ってみたらやっぱり違いましただなんて。いろんな人巻き込んで、いろんな人傷つけて。でも、そうでもしないと俺は自分の気持ちにすら気付けない人間なんだ。…お前と居たいんだ。」 確かめないといけない事はたくさんあったはずなのに自分の気持ちだけが口から零れていく。 どこまでも自分勝手な人間だ。 俺は湯気の立つカップを持ち上げて口につけた。 苦手なブラックコーヒーを飲むふりをする。 唇に微かに触れた液体は苦さよりも熱さだけを体に伝えた。
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