[6] 駿

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 正造は黙って俺の話を聞いていた。 顔色も、表情も変えずに。 少なからず喜んでもらえると思っていた俺は正直心が重たくなった。 自分の気持ちを受け入れてもらえるのが当たり前だと心のどこかで思っていたのだろう。 「……駿君の気持ちは嬉しい。いや、本当。信じられない。実感がわかない。」 嬉しいのならもう少し表情に出してほしい。 「でも。だめなんだ。僕。普通じゃない。皆と同じにできない。」 正座して座る正造は顔を真下に向けて股の上で握り拳を作っている。 今にもその拳の上に涙がこぼれるのではないかと思う程に正造は肩を震わせている。 「聞かせて。全部。お前の事知りたい。」 そっと拳に乗せた手はひんやりとしていた。 握りしめた爪が食い込んでいるのが分かる。 一人で全てを背負い込んできたのだろう。 その痛みは決して理解できるものではないが正造の話を聞くくらいの事はしてやりたかった。 小さい事でも正造が気になる事なら一緒に考えたい。 悲しんでいるのなら一緒に悲しみたい。 解決法など無くても一人で背負いこませたくなかった。 全て正造の気持ちに同調してやりたかった。 自分は一人だと思い込む正造がおびえることの無いように自分は何があっても味方なんだと分かってもらいたかった。 どちらかというと既に恋なんかじゃない。 それは親が子供に与えるような愛情に近い物だと思う。 正造は固くしていた体を深呼吸と共に和らげた。 足を崩して顔を上げて熱いコーヒーに手を伸ばした。 両手で持ったカップに口につけてから深呼吸したかと思うとカップをテーブルに置いた。 話しはじめるのかと思いきやまたカップを持っては置き直した。 座り方を変えたかと思うとまた正座をしてみたりと中々落ち着こうとしない。 俺は正造の腕を引っ張り自分の座っている足の間に座らせた。 俺からは正造の後頭部しか見えない。 それでも触れている箇所の体温を感じる。 俺の腕の中に納まった正造は何回も深呼吸を繰り返しては言葉を詰まらせた。  「僕の父親は母に暴力を振るう人だった…。少ししてから僕が母を守ろうと庇ったら怪我しちゃって入院した。…それで即離婚。少ししてから優しい男性と再婚。それは絵にかいたような幸せな家族。笑顔の絶えない家庭。そこに二人の間の子供が生まれたの。母も義父も僕の事を差別することなく扱ってくれた。」 俺は正造の過去を自分に重ねて考えながら相槌を打った。 「僕は大きくなるたびに実父に似ていった。そんな自分が嫌だった。でも笑ってないと、良い人じゃないと誰も僕を必要としてくれなくなるでしょう?家族だって本当の血の繋がった子がいればいいじゃない。僕は偽物じゃない。必要ないじゃない!愛を誓って産まれたはずなのに別れたら僕はどうして産まれたの?別れたら僕は存在が無くてもよかったって事じゃない!」 俺の腕にしがみつきながら今にも暴れ出しそうに声を荒げる正造の姿は始めて見た。 あんなにしみついた作り笑いも、誰に何を求められても応じる姿も全て自分を守ってきていたのだろう。 「……だから僕を求めてくれる人には僕をあげた。少なくとも肌を重ねている間だけは僕の存在意義もあるように思えた。駿君に会うまで。…駿君と関わっていると今までの行為が全て無駄に思えたんだ。だって駿君と僕は同じことをしているのにお互いちっとも満たされている感じがしないから。僕は駿君に会うたびに惹かれていった。自分の物にしたいと思ったのなんて初めてだった。」 痛いほど正造の気持ちが分かった。 埋めようともがいた分だけ自分が傷ついていくのを気が付かないフリをして前に無理やり進んだ。 正造は誰か他人の中に自分の存在意義を見出したかったのだろう。 「でも駿君は他の人が好きだった。だから少しだけでも温もりが欲しくて駿君と無理やりセックスした。でも、駿君としたセックスじゃ何も埋まらなかった。痛いだけ。虚しくて、残った痛みにしがみつくだけしかできなかった。僕は駿君に好かれるような人間じゃない。汚くて嘘ばかりで自分でも何が本当か分からない。幸せも、普通も、喜びも分からない!」 泣き叫ぶように言い放った正造は俺の腕に頭を乗せて涙を流した。 肩を震わせてできるだけ小さくなって泣いている。 言っていることは分かったような分からないような不思議な感覚だった。 嘘をつき続けていると本当が分からなくなる事。 無理やりしたセックスが気持ちよくなかった事。 だからってなんで俺に好かれる人間じゃないなんてお前が決めつけるんだ。 俺がお前が良いって言ってもまだ逃げていくのか。 正造の気持ちにできるだけ共感しようと思ったが正造の抱えてきた物はあまりにも長くこじれている。 簡単に共感できるものではない。 俺は正造の体をできるだけ優しく抱き寄せた。 「お前はこれからどうしたいの…?」 今まで正造の過去に触れてきた。 断片的で理解できない部分も多くあった。 それでも正造が吐き出したい言葉を吐きだせたのなら少しは楽になったのではないかと思う。 過去に向き合えたら次はこれからの未来だ。 正造は顔を上げてマヌケな顔をしながらこっちに振り向いた。 鼻からは鼻水が光っている。 涙で目が腫れて髪の毛もボサボサだ。 「これから……?」 今まで考えたことも無かったかのように口をポカンと開けて正造が俺を見る。 俺はマヌケ面に吹き出しそうになりながらもなんとか堪えた。 「そう。これから…。正造は家族のもとに帰って本音をぶちまけたいの?それともこれからも同じように満たされない隙間を誤魔化しながら生きるの?俺だって普通なんて分からない。ゲイだし。普通なんて言葉は多数決みたいなもんだろ?だったら俺は普通じゃない。お前も普通じゃないなら丁度いいと思うけど?」 自分でも屁理屈だって分かってる。 言葉で言いくるめてもしょうがないと分かっていても正造を手放したくはない。 「…これからなんて考えた事なかった。…今だけで精一杯すぎて。」 鼻をすすりながら涙を手の甲で拭う正造の頭を優しく撫でる。 「だったら俺と一緒に考えればいいじゃん…。俺、もうお前無しじゃ楽しくないんだよ。お前が本当の家族に憧れているんだったら俺がなるから……。」 いつの間にか正造の涙が俺にも移っているようだった。 境遇は違っても同じように足りないものを何かで誤魔化そうとし、知らずに惹かれ、今では無くてはならない存在になっている。 何が正解かなんて分からないのならとりあえず分かるまで一緒に考えたい。 正造が欲しい物なら俺が与えてやるから。 だから俺にも正造を分けて欲しい。 にやけた笑い顔を傍で見させてほしい。
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