宴への招待(2)

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宴への招待(2)

 エリックが奏者の傍を離れると、今度はコレットが二人がかりで引きずられて行った。かなり嫌がっているところを見ると、彼はあまり歌が得意ではないのか、恥ずかしがり屋なのかも知れない。 「本当にお上手なのですね」  戻って来たエリックに満面の笑みで答えると、彼は礼を言って新しい酒瓶を引き寄せた。 「聴いたことのない歌でした。どういう歌なのですか?」 「あー……戦に駆り出された漁師が、故郷に残してきた恋人に早く会いたいっていう、そういう歌です。昔から船乗りの間でよく歌われているんですよ」  恋人がどれだけ美人で可愛いか、自分がどれだけ彼女を愛しているか、そんな彼女にどんなに会いたいか――と仲間に語る内容の歌詞なのだという。明るく楽しげな曲調で、歌詞も前向きでその気持ちがわかりやすく、ブライトヘイルの船乗りなら誰でも歌えるような、昔から人気の歌なのだという。  頷いて聞いていると、今度はエリックがじっと見つめてきた。 「…………?」 「ふっ。ついてますよ」  小首を傾げて見つめ返すと、微笑んだエリックの手が頬の方へ伸びてくる。ふわりと優しく触れたかと思うと、口の横についていたらしい食べかすを取り除き、それをひょいと自分の口に運んだ。  ハッとして真っ赤になったミシェットは隠すように口許を抑え、照れ笑った。そんな彼女を見つめながら、よかった、とエリックが小さく呟く。 「笑ってくれて安心しました」  なんのことだろう、と不思議に思う。すると、彼は困ったように眉を下げて微笑んだ。 「アテルニアを出てからずっと沈み込んでいたようだから、心配していたんです。無理もないことですけど」  あっ、と小さく声を零し、思い至ったミシェットは黙り込んだ。  侍女達が自分を裏切ったのかも知れないということにショックを受け、頼りになる乳母とも離れてしまったことも気にかかり、ひとりでずっと落ち込んでいたのだ。涙が出そうになるのを堪えているうちはまわりのことを気にかける余裕もなく、コレットが声をかけてくれるまで陽が暮れたことも気づいていなかった。  コトリ、とまた新しい皿が置かれた。 「僕の取って置きです。如何ですか?」  そう微笑んだ航海士のティムが、ビスケットを持って来てくれたのだ。保存食の硬く味気ないビスケットではなく、甘い菓子だった。  もうお腹はかなり膨れていたが「ありがとう」と一枚もらうと、ティムはにこにこと嬉しそうに笑っている。  ビスケットをもそもそ食べていると、いくつもの視線がこちらに向いていることに気づいた。エリックについて歩き回った甲板で出会った見覚えのある水夫達だったが、名前も知らない彼等がにこにこしながらこちらを見ている。 「……美味しいです。ありがとうございます、ティムさん」  半分ほど齧ったところで、向かい側に座っていたティムに微笑んだ。彼は更に笑みを深め、よかった、と声を弾ませる。  その遣り取りがなにかの口火を切ったらしく、ちらちらと視線を向けていた水夫達がわっと押し寄せてきた。 「奥方様、葡萄酒どうだい?」 「馬鹿。まだ小せぇんだから、飲めねぇだろ」 「肉はもういいんですかい? 取って来ましょうか?」 「これも食べたらどうですか? 美味いですよ」 「汁物がいいですかね?」  あちこちから一気に言われ、ミシェットは困ってしまう。どうしよう、と助けを求めてエリックを見るが、彼は笑っているだけで手を貸してくれそうにはない。 「えっと……お腹はもういっぱいなので。ありがとうございます。その果物だけ頂きます」  差し出された林檎だけ受け取り、申し訳なく思いながら礼を言った。それでも水夫達はにこにこと嬉しそうに笑っている。 「あと、あの……奥方様って呼ぶの、やめてくださると嬉しいです」  隣でエリックが双眸を見開くのが見えた。 「いえ! あの、エリック様が嫌だとか、そういう意味ではなくて……私、まだお嫁様らしいことをなにもしていないので、そう呼ばれるのが心苦しいというか……」  言葉を選びながら一生懸命に自分の考えを口にすると、ピュウッ、と誰かが口笛を吹いた。それに同調するようにドッと笑い声が巻き起こったが、ミシェットにはなにがなんだかわからなかった。 「止せ、お前達。深い意味はない」  なにか変な言い回しをしてしまっただろうか、と困惑していると、エリックが低く唸るような声で周囲を黙らせる。  わかってますよぅ、と笑いを堪えながら口々に答えが返る。 「敬意を込めてそう呼ばせてもらってんです。でも、お嫌ならやめますよ」 「代わりにどうお呼びすればいいでしょうかね?」 「お嬢さん……じゃ、気安いですかね? 艦長」  話を振られたエリックは、先程の渋面のままミシェットを見た。 「本人が嫌がらなければいいんじゃないか」  溜め息交じりに答えたかと思うと立ち上がり、料理の残っている皿を適当に掴む。 「エドガーに差し入れて来る。少しの間、ミシェットを頼んだぞ」  はーい、と周囲の男達が返事をするのを背中で聞きながら、エリックは食堂を出て行ってしまった。  不安になったのはミシェットだ。みんな気さくでいい人達だとは思うが、大きな男の人達にはまだ慣れないし、ひとりで残されると困ってしまう。  どうしようもなくて「エリック様……」と呼びながら椅子を飛び下りた。 「ありゃりゃ」 「やっぱり奥……じゃなくて、お嬢さんは、艦長の傍がいいんだなぁ」 「俺達フラれちまったなぁ」  いつものようにエリックのあとを追い駆けて行ったミシェットの小さな後ろ姿に、明るい笑い声が起きる。  詳しい事情は聞いていなかったが、乗り換える筈だったミシェットがひとりだけで戻って来たことで、なにかがあったらしいことはすぐに伝わった。見るからに落ち込んでいる様子だったし、エリックが甲板に立っていても出て来る気配はなかったし、それで心配していたのだ。  いつもの宴会を開こう、と提案したのはティムだった。酒に弱いのでいつも積極的に参加したりしないくせに、楽しく飲み食いする場に来れば、ミシェットも元気になるのではないだろうか、と呼び掛け、皆がそれに同意した。一番乗り気だったのは料理長だった。いつも食事を好き嫌いなく綺麗に食べてくれるので、嬉しかったらしい。  レディ・エスター号の乗組員達は、この数日の間に、すっかり小さな姫君のことが大好きになっていた。そんなミシェットの元気がないようなのだから、心配して当たり前だ。  ようやく笑顔が見えたと思ったらエリックを追い駆けて行ってしまったので、まだ人見知りされているようだな、とみんなで苦笑するしかなかった。
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