レヴェラント島(2)

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レヴェラント島(2)

 最初の砲撃以降、ゴッサム達が攻撃をしてくる気配はない。速度を上げて追いつこうとしてはいるようだが、まだまだ距離もあり、このまま逃げ切れそうな気さえする。  帰国したクラウディオは、もう出撃してくれただろうか。正午には会敵することになりそうなので、それまでには合流したいところなのだが。  レヴェラント島付近の海流は、ヴァンメール公国の領海ほどではないにせよ、非常に読みにくい流れをしている。エリック達は多少慣れているのでなんの問題もないが、南海の海賊なら手古摺るだろう。 「さすがはゴッサムですねぇ」  索敵していたコレットが感心したように呟く。  五隻の海賊船は左右に大きく展開し、陣形を整えながら追って来ている。距離が詰まればすぐに対応出来る戦列だ。一隻だけのこちらは、あのまま追いつかれて包囲されたら一溜りもない。  慣れているな、とさすがに思う。伊達に二十年以上も各国の海軍から逃げ切っているわけではないのだ。  戦力的に船の数で劣っているうえに、今回は軍事行動の航海でなかった為、砲弾の補充は最小限に留めていたのが悔やまれる。速さを優先してのことだったのに、それも追いつかれていては意味がない。  風向きは今のところこちらの味方をしてくれているようだが、なかなかゴッサムの船団との距離が開かない。向こうも相当速い船なのだ。 (なるべく背後を取られるのは避けたいんだが、上手くいかないな……)  船の前後は攻撃に弱い。砲門がふたつずつしか装備されていないからだ。戦闘時にはお互いに横づけし合って撃ち合い、相手の船に移乗して斬り結ぶのが基本である。  ゴッサム達は五隻の船団で、合計すれば前方だけで十門の大砲があることになる。それに狙われたらこちらはどうしようもない。そういう事態を躱す為に、エドガーが巧みな操船で真後ろを取られないように上手く位置取っている。  ブライトヘイルの領海に入ってから少し経つが、残念ながら巡視船と行き会わない。哨戒時間とは少しずれていたのかも知れない。  しかし、そろそろよい頃合いである。伝声管を開き、砲手長へ指示を出す。 「空砲用意! 二発のち、間を空けて一発」 「空砲二発のち一発、了解!」  復唱の声を聞き届けたのち、エリックはミシェットを抱き寄せて耳を塞いでやる。  程なくして、ドドン、と船体を震わせながら砲身が唸りを上げた。ミシェットが驚いて目を丸くしている間に、もう一度空砲が放たれた。  連続した二発のあとに一発の砲撃をするのは、緊急時を知らせる為に軍内で決められた合図だ。この音が巡視船に届けば異常ありと報告され、すぐにも南方支部から艦隊が出撃してくれる筈だ。  ただ、少し引っかかるところは、今の南方支部の艦隊司令が、エリックにあまり友好的ではないグリンフォード提督だということだ。  まさか友軍の窮地を見捨てるなどということはないと願いたいが、普段から邪険にされていることを思うと、どう出るかわからないところがある。そのことを踏まえて、クラウディオは王都に向かう船に乗り込んだのだ。  エリックのなにが気に入らないのか知らないが、以前からとにかく邪険にされている。軍議に参加すれば発言をすべて嘲笑われ、合同演習となれば必要な伝達事項を一切寄越さないで困らせ、終いには必ず「近頃の若者は調子に乗るばかりで困る」と吐き捨てられる。勘弁して欲しい。  嫌なことまで思い出し、エリックは口許が引き攣った。 「――…艦長、思ったより雲の流れが速い。レヴェラントに着く前に荒れるかも知れません」  天候を見ていたティムが緊張を含んだ声音で報告する。海上も風が強めだが、上空はこれよりも遥かに強い風の流れがあったようだ。 「レヴェラント、見えました! 十一時方向、僅かに針路修正願います!」 「取舵了解!」  嵐になるのだけは避けたいところだ、と願っていると、メインマストの上からも報告があった。待ち望んだ島影がようやく見えて来たのだ。  すぐにエドガーが舵を切り、指示通りに方向を直した。 「ミシェット、話があります」  エリックの腰のあたりにしがみついていると、ぽんぽんと頭を叩かれて呼ばれる。なんだろう、と思って顔を上げると、恐いくらいに真剣な青い瞳が見つめていた。 「これからこの船は戦場になります。確実に」 「……とても危ないのですね」 「はい。だから、レヴェラントに着いたら、船を降りてください」  ミシェットは驚いて目を瞠った。  嫌だ、とはさすがに言えなくて、その言葉の代わりに、夫の制服を握り締める指先に力を込める。 「入り江で降ろします。そこから見える滝の裏に抜け道があるので、そこを通って奥に向かってください。苔で滑るので足許には十分気をつけて」 「エリック様……」 「抜けると向こう側は森になっています。よく見ると道が出来ているので、それに沿って奥に行ってください。石造りの集落と、大きな建物が見えてきます」 「エリック様……」 「あとでシーモアに言って食糧を用意してもらいます。ミシェットが運んでも疲れない分しか用意しないので、三日ほどしか保たないかと思います。それまでには異母兄が迎えに来てくれると思いますので、静かに隠れていてください」 「エリックさまぁ……っ」  こんなことをしては駄目だとわかっているのだが、嫌々と駄々っ子のように首を振ってしまう。涙が溢れてきた。  淡々と静かに説明をするエリックが恐かった。  どうしてミシェットをひとりで行かせるのだろう。どうしてエリックではなく、クラウディオが迎えに来ると言うのだろう――ミシェットにはわからなかった。けれど、なにかただならぬ覚悟が必要なのだということはわかった。  ぽとぽとと涙を零し始めたミシェットの目の前に屈み、エリックはその涙を大きな掌で拭った。 「あなたを泣かさないとご両親に誓ったというのに、泣かせてしまいましたね」  エリックが悲しげに小さく苦笑するので、ミシェットは力いっぱい首を横に振り、その逞しい首筋に抱き着いた。 「エリック様が、お迎えに来てください」  精一杯の気持ちを込めて耳許に吹き込む。 「ヴァンメールに来てくださったときみたいに、またお迎えに来てください」 「ミシェット……」 「エリック様がこのお船で――レディ・エスター号でお迎えに来てくださらないと、私、何処にも行きません」  今生の別れのような口振りが許せなかった。どうしてそんな言い方をするのだろう。  無力な自分はなにも出来ない。エリックの大きな手を頼って寄りかかることしか出来ないのはわかっているから、せめて迷惑にならないように、言われた通りに船を離れよう。  けれど、これくらいの我儘は許されてもいいと思う。  首筋にミシェットの吐息の温もりと、涙の冷たさが降りかかる。エリックは妻の小さな背中に腕を回し、力強く抱き締めた。 「……わかりました。迎えに行きますから、待っていてください」 「はいっ」  ミシェットが頷いたとき、ぽつりと雨粒が降って来た。  ああ、とティムが嘆かわしげな声を上げる。とうとう雨雲に追いつかれたのだ。  真っ黒な雲は頼んでもいないのに真上にやって来て、落としてくる雨粒の量を次第に増やし、更にはゴロゴロと低い音を響かせ始める。風はまだ強く波を大きくしているので、このままだと大きな嵐になる。 「荒れるぞーッ! 檣楼員、気をつけろぉ!」  コレットが声を張り上げてマストの上に注意を呼びかけると、黒い雲の中がビカッと鋭く光った。音は僅かに遅れて鳴り出す。  マストの上にいると落雷があったときに危険だ。各マスト上にいる檣楼員にすぐに降りるように指示を出し、甲板には嵐に対する備えをするように声をかける。  このまま本格的な嵐になるのなら帆は畳んでおきたいところだが、目的地まではあと僅かで、出来るなら今の速度を維持したい。落雷がないことを祈りつつ、針路の調整を図った。 「北の入り江に入るまで逃げ切れるか?」 「ここらの海流なら、こっちに分があります。お嬢さんを降ろすまでは稼ぎますよ」  尋ねると頼もしい操舵手は心強い返事をくれた。  時間はもうほとんどない。ミシェットに船を降りる支度をさせる為、指揮を一時コレットに預けて艦長室へ向かう。  滅多に使うことはないが、入隊時に支給された行軍用の背嚢がしまってあった筈だ、と棚を捜し、新品同然の背嚢を引っ張り出す。ミシェットの体格には大きいが、手が空いている方がいいだろう。 「この袋に大事なものを入れておいてください。俺は厨房に行って来ます」  ミシェットが頷くのも見届けずにエリックは出て行ってしまう。
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