レヴェラント島(3)

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レヴェラント島(3)

(おれって、言ってた……)  船の上にいるときのエリックは口調が少し荒くなる。それでもミシェットに対するときはいつも通りの優しく穏やかな口調だったので、それが少し荒くなったということは、それだけ彼に余裕がなくなってきているのだろう。  ミシェットは言われた通りに支度を始めた。いつもは侍女や女官がやってくれるが、今はひとりなのだからそれくらいやらなくては。  トランクを開いて、母の形見の首飾りと指輪の入った宝石箱を取り出し、背嚢の中へ詰める。次に父との思い出が詰まった本を一冊だけ取り出し、それも入れた。少ししか持ち出せないのなら、このふたつがあればいい。あとは小物が入った小さな手提げをそのまま中に押し込む。  最後に胸許に触れ、祖父から託された指輪を確かめた。長い紐をつけた革袋を首にかけ、下着の中に入れているのだ。  少ししてエリックが戻って来ると、彼は食糧の説明を始める。 「これはパンで、これがビスケット。こっちは干し肉です。日持ちはしますけどかなり固いので、水で煮てから食べた方がいいです。煮炊きはしたことはありますか?」 「ないです。でも、燐寸は擦れます」 「じゃあ大丈夫ですね。鍋と皿は砦の中に残っている筈なので、それを使ってください。水場もありますから。あとは果物を少し持って来ました」  説明を終えた包みから背嚢の中へしまっていき、怪我をしたときの為に少しの傷薬と包帯を入れ、最後に立ち上がって部屋の隅へ行くと、雨具を取って来た。 「少し大きいですが、着て行ってください」  外套の上から羽織ると身動きが取り難そうだが、これから夜は冷える。雨に濡れた身体では体調を崩すのは目に見えているので、無理矢理着込ませた。  もこもこになったミシェットは背嚢を背負わせてもらい、手を引かれて艦長室を後にした。  外はだいぶ雨が強くなっていた。風は朝から強かったので揺れは気にしていなかったが、雨が加わると景色は一変することを知る。 「艦長! もう間もなくレヴェラントに着きますよ!」  甲板に出るとコレットが報せて来た。遠くに薄っすら見えていた島影は、もうはっきりと見える距離まで来ている。 「艦長、僕にも下船の許可をお願いします」  後甲板に上って行くと、ティムがそんなことを言い出した。  何故か、と問えば、緊張した面持ちで「お嬢さんの護衛をします」と答えた。 「乱戦になったら僕は戦力になりません。それに、お嬢さんをひとりで逃がすより、艦長も安心出来るんじゃないでしょうか」  ティムの申し出は尤もだ。彼は軍属ではあるが頭脳労働の方の人間なので、近接戦闘に入るとあまり役に立たなくなる。本人がそれを一番わかっているので、この話に至ったのだろう。  戦力にならないとはいえ、予備隊で一応は基礎訓練を受けているので、武器の扱いも問題はない。ミシェットも彼には慣れているし、一緒に行かせるなら安心がある。それに航海士である彼が一緒なら、万が一クラウディオからの迎えが叶わないことになっても、自力でブライトヘイル本島へ帰国出来る。 「わかった。頼む」  許可を得たティムは頷き、自分も荷物を纏めに行くことを告げ、航海士室へ降りて行った。  これで準備は整ったのだろう。エリックはミシェットへ柱にしがみついて座っているように告げ、観測所に上がってゴッサム達の様子を窺った。  後方五隻の船団との距離は幸いにも然程縮まってはいない。この分なら予定通りにレヴェラント島を回り込んで北側の入り江に行き、ミシェットを降ろすのに十分な時間が取れる。  風向きと波の具合を見ながら、レヴェラント島周辺の岩礁の地形を思い起こす。西側を回り込むようにしたのは、東側は遠浅で、島に寄りすぎると座礁する恐れがあるというのも理由のひとつだが、海中に隠れた岩礁が多いのも東側なのだ。特にこう荒れた海だと余計に見つけにくくなる。時期がいいことに、今日はそろそろ満潮の時刻だ。このあたりの地形を知らなければきっと岩礁に乗り上げるだろう。  こちらが西側を通る針路を取れば、向こうは当然距離的に短い東から回り込んでこちらを叩こうとするだろう。けれど、地形、海流を味方につけたこちらの方が、彼等より早く北側に回り込める。  そのことをエドガーに告げると、すぐに意図したことを汲み取ってくれ、レヴェラントの北側でゴッサム達を迎え撃つことに同意を示してくれた。  島がだいぶ近づいて来たので針路を僅かに修正していると、背後から砲声が響く。またもかなり遠い位置に水柱が上がった。 「撃ち返してやれ」  戦闘態勢に入るのは時間の問題だ。遠慮することはない、と伝声管で砲手長に告げると、了解、と明朗な返事があり、少しして船尾の砲門が火を噴いた。こちらもゴッサム達の船のかなり前方に着水して水柱を上げる。  雨足は強くなる一方だが、幸いにも雷鳴は遠退き、風向きもまだこちらの味方をしている。  戻って来たティムに海図と予備の羅針盤を託し、偵察用の小舟の元へミシェット共々連れて行く。四人ほどしか乗れない手漕ぎの小舟は既に用意されていて、あとは降ろすだけになっていた。 「ゴッサム達の動きはどうなっている!?」 「艦長の予想通りです! 四隻は東側に回り込んでいます! しかし、一隻はこっちに向かっています!」  一隻だけならどうとでも出来る。東に回り込んだ連中と合流する為に叩くつもりだ。 「島の陰に入ったと同時に降ろす。少し雑になるかも知れんが、堪えろ」 「はい、任せてください」  頷いたティムは用意の整った小舟に乗り込み、櫂を握り締める。  その向かい側にミシェットを座らせ、微かに震える小さな手を握り締めた。 「ティムの言うことを聞いて行動してください。すぐにこっちを片付けて、迎えに行きますから」 「はい。お待ちしています」  ミシェットは精一杯の笑顔を向けた。夫はそれに優しいいつも笑みで応えてくれる。 「抜けるぞ! 降下用意!」  コレットの号令で、集まっていた水夫達が手際よく小舟を降ろし始める。停船させていないときに降ろすのは危険だが、少しでも時間を短縮しなければ、砲弾の餌食になる。  島の向こう側に回り込むときに船体を反転させながら速度を落とし、その間に小舟を着水させたい。 「右舷、錨を降ろせ!」  船体を旋回させる助けにする為に錨を降ろさせる。指示は素早く行き渡り、錨が海中へと投下された。
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