交戦(2)

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交戦(2)

「あれがブライトヘイルの第三王子よ」  やっちまえ、と檄を飛ばしていると、背後からアイリーンが囁いた。ゴッサムは驚いて双眸を瞠り、船首で孤軍奮迅する青年士官の姿を見た。 「あれが……」  ゴッサムは先程までの認識を改める。  あれは良家に生まれ、優しい家族に囲まれてぬくぬくと育てられたお坊ちゃまなどではない。扱うのも、貴族様のお遊びの延長のような、型にはまった礼儀正しい宮廷剣術ではない。  ブライトヘイルの海賊退治屋の異名を取る指揮官は、甘やかされて育った王子様ではなく、戦場慣れした戦士だ。舐めてかかるのは得策ではない。  ゴッサムは腰に佩いた剣を抜き放ち、舳先に向かって駆け出した。  乱戦状態のところへ割って入り、エリックに斬りかかる。 「どうも、王子様。お初にお目にかかる」  寸でのところで剣を受けたエリックに、ゴッサムはにやりと微笑んで挨拶をした。 「大海賊ゴッサムに知られているとは、光栄だね」 「こちらこそ。儂なんぞを知って頂いていて光栄ですよ、王子様」  ぐっと刃先を圧しつけられる。腕の力だけだと押されそうになるがなんとか堪え、押し返そうとするが、びくともしない。もう老齢と言ってもいいような年齢だと噂に聞いていたが、実際に相対するともっと若々しく大柄で、筋力の衰えも感じさせない男だった。 「艦長!」  ゴッサムの剣を押し返そうとしていると、後ろの方で注意を寄越す声が聞こえた。ハッとしたときには海賊のひとりが斬りかかって来るところで、どう防ぐべきか、と逡巡したところで飛び込んで来た人影が防いでくれた。  その斬り結んだ瞬間を合図に、ゴッサムも体勢を立て直す為に一時身を離す。  助けに入ってくれたのは、エドガーだった。 「舵は?」 「ベンに任せて来ましたよ。まったく……コレット大尉が卒倒寸前でしたからね!」  使い慣れたナイフを両手に、エドガーは呆れたように零した。何度苦言を呈されても改められない上官の態度に、コレットはそのうち胃を悪くするのではないだろうか、と乗組員達の暇潰しの賭けに使われている。  悪いことをしたなぁ、と思いつつも、ついいつも忘れてしまう。  しかし、今は気の毒な副官の胃の心配よりも、目の前の海賊達をさっさと叩き潰すことの方が先決だ。  エドガーに続き、武器を携行した士官や水夫達も移乗して来た。ゴッサムの船の上で敵味方入り乱れての乱戦の態を見せて行く。もちろんレディ・エスター号の上も同じような状況だった。  やはりミシェットを船から降ろしておいて正解だった。船底に非戦闘員用の隠れ場所はあるが、沈没した場合には意味をなさない。  エリックはゴッサムに改めて対峙する。目の前の大海賊は仲間から受け取った手斧を持ち、それをエリックに向かって投げつけてきた。身を躱しながら剣の柄尻で叩き上げて軌道を逸らし、その勢いでゴッサムまでの距離を詰める。  待ち構えていたゴッサムに剣を受け止められ、押し返そうと力を込めた瞬間に顔面の右側に衝撃が来る。  僅かに油断していた。目の傍を殴られた為に一瞬眩み、よく見えなくなる。  思わずよろけたところを狙って剣を振り上げられたので、横に飛び退いて床に転がりながら身を躱した。  これで首を取れると思っていたゴッサムは、エリックの身軽さに感嘆したように鋭く呼気を零した。思っていたよりも出来る。 「今ので大人しく斬られていれば、楽になれたのになぁ。王子様?」  憐れむような目でエリックを見下ろし、ゴッサムは笑った。  頭がぐらぐらする。いったいどういう力で殴ったのか。目が見えていることを確認しながら立ち上がり、目の前の男を睨みつける。 「……何故、北になんか来たんだ? お前ほどの海賊なら、今更名を上げようという行動ではないだろう」  海賊は襲った船舶の数で名を有名にし、海賊としての地位を高める。海軍の船を襲えばその知名度は一気に上がり、懸賞金の額も高くなり、それが一種の地位証明(ステータス)となるのだが、ゴッサムは既にそのようなものを必要とする存在ではない。  ふむふむ、と老海賊は頷く。 「ただの仕事だ。お前さんの船を沈めろという、な」  商船を襲うだけでなく、例えば商売敵の荷を沈めて欲しいとか、そういう仕事の依頼を請け負うこともある。そう頻繁なことではないが、需要があればそうしてきた。  ゴッサム程の海賊にそういった仕事を頼むとなると、報酬は安いものではない筈だ。そんな大金を積むような人間は限られてくる。 (やはり、アイリーン公女か)  エリック自身も恨みを買っている可能性はある。特に仕事柄、海賊達からは相当な恨みを買っている自信はある。しかし、海賊が同業者に己の復讐を依頼するなどという恥を掻くようなことをするとは思えず、対立しているとはいえ、グリンフォード提督がそのような海軍にあるまじき行為に手を染めるとは思えない。  そうして絞り込んでみると、大金を払ってまでレディ・エスター号を沈めたいと考えるような人間は、今のところ一人しか心当たりがない。 (そこまでして、ミシェットのことを……!)  ヴァンメール公国で顔を合わせた冷たい目をした美女のことを思い出し、怒りに拳が震える。標的であるミシェットが出国したことで形振り構わなくなったようだ。  落ち着け、とエリックは自分に言い聞かせる。ここで頭に血を昇らせて判断を誤れば、あの幼い妻を守ることは叶わない。  あと少し時間を稼げばいい。増援が到着すれば、一網打尽に出来るのはわかっているのだから。
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