碧洋の真珠(2)

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碧洋の真珠(2)

 国主の証の装具は五つで一揃いではあるが、そのすべてを持ち出すことには危険が伴うだろう、と大公は考える。  この一部だけでも証となり得ることが幸いだ、と大公は零した。 「海流の話は別として、この装具に不思議な力があるのは本当だと思う」  大公は祭壇に立てかけていた装具のひとつである錫杖を手に取り、二人の方へそっと翳した。 「今は昼だから、わかりづらいと思うが……わかるかね?」  二人は錫杖の先端に飾られた真珠を見つめ、自分達の手の中にある宝剣と指輪に視線を向けた。 「……光って、る……?」  錫杖の先端と自分の指輪を見つめ、エリックの宝剣を見てからもう一度錫杖に視線を戻したミシェットが、首を傾げながら呟いた。  はっきりとではない。けれど、ぼんやりと光っているように見える。部屋の中に差し込んできた月明かりのような仄かさだ。  エリックは驚いてもう一度見てみる。言われてみればそんな気がするが、はっきりとそうとは思えない。  うん、と大公は頷いた。 「五つ揃った方がもっとはっきりとするが、三つならこんなものだ」  錫杖をもう一度祭壇へと立てかけ、真剣な顔つきで孫夫妻を見つめる。 「この真珠達は……共鳴する、と言えばわかりやすいか。五つ揃えて持っていると、不思議なことに淡い光を放つ。他の真珠ではそうはならない」  この共鳴現象を引き起こすものが『碧洋の真珠』である証であり、たとえそれぞれを別の人物が所有していても、揃えれば一目で本物であることが証明されるのだ。このことはヴァンメールの国政に関わる人間なら皆が知っていることだった。  エリックは手で影を作って真珠が淡く光っていることを確認しながら、不思議なことがあるものだ、と感心した。  もしも、と大公は話を続ける。 「この装具の偽物を作ったとしても、この共鳴現象がなければ、すぐに偽物だと判別がつく。まあ、こんな大粒の真珠などそうそう見つかるものでもないし、そのあたりはあまり案じてはおらんのだが」  念には念を入れて、と大公は呟いた。  彼がなにを心配し警戒しているのか、エリックはなんとなくわかった。今朝方邂逅した公女のことを思い浮かべる。  この一揃いをすべて国内から持ち出したならば、そっくり同じ『碧洋の真珠』を複製し、それを持って自分が正当な継承者だと言い出すだろう。それらが共鳴によって光り輝かず、ただの大粒真珠だと気づいた者がいれば、その口を封じるくらいは遣って退けそうな女性である。  そうなってしまった場合、一部だけを持ち出しているのならまだ対抗出来る。反応が弱くとも、二つあれば共鳴現象は起こるのだから。  これはある意味で保険なのだろう。  国外に逃しても、ミシェットの身は安全とは言い切れない。ミシェット自身が他国に身を寄せているからといって、あの狡猾そうな公女がなにもしないとは思えないからだ。  ミシェットに国宝の指輪と宝剣が渡ったことは、先程までこの場にいた司祭と議長が確認している。それを奪って自分のものにしても、自らがミシェットに危害を加えた証拠を見せびらかすのと同義であり、そんな愚を犯す女性ではない。  ならば、複製を作ることでしか、アイリーンが国主の証である『碧洋の真珠』を手に入れることは不可能だ。だが、それでは継承を認められない。  それでも自分の継承を認めさせようとするのならば、装具の秘密を知っている者達の口をすべて封じなければならないだろう。金や権力などの見返りで懐柔出来るならばいいだろうが、そうでなければ命を奪わなければならない。そうなってしまうと国政の中枢が空洞になってしまい、国が機能しなくなる。そんな国で独裁者として起とうとしているとは思えない。  アイリーンは、このヴァンメールを崩壊させてまでも手に入れようとはしていない。それはなんとなくわかる。  だからこの保険だ。そして、エリック自身もその保険の一部となっている。  一応は軍人の端くれであるエリックは、幼いミシェットのように無力ではない。襲われれば抵抗するし、宝剣を隠匿しようと思えばいくらでも有効な策を弄せる。  ヴァンメールを離れたあとにミシェットが襲われ、指輪を奪われるようなことになっても、宝剣までは奪われないように出来る。宝剣が奪われなければ、装具はすべて揃わず、法律の許、公位の継承は認められない。  古くから仕える貴族達は法律と伝統に従い、マリーの名を持たないアイリーンが継ぐことは認めない。しかし、国民はそうとは限らない。国主一族の誰が継ごうとも、悪政を強いなければ問題ないと思っているだろう。国民が誰でもいいと思っているのならば、装具を持って正当性を主張すれば、世論がアイリーン即位に傾くかも知れない。それを認めさせる為に装具を揃えようと画策するかも知れない、という話なのだ。  大公の意図の凡そが読めたエリックは改めて宝剣を握り直し、懐から常備している三角巾を出して丁寧に包み、上着の内側へと隠した。  ここまでしなければならないほど、ミシェットはアイリーンから恨まれているのだ。近しい血縁者の間でなんと悲しいことだろうか。 「さあ、本館に戻ろうか。昼の支度をしてくれている頃だ」  先程までの表情を和らげてにこりと笑うと、大公はエリックの肩に手を置いた。しっかりと掴まれる肉厚の掌から、孫娘を頼む、という感情が伝わってくる。その掌に応えるように、まっすぐに目を見つめてから頷いた。  聖堂を出る為にミシェットのことを抱き上げようとするが、彼女は頬を染め、慌てて大きく首を振る。 「私、ちゃんと歩けます。さっきも歩いてここまで来たんですよ」 「しかし」 「大丈夫です。ここは床も平らですから」  エリックが心配そうに見つめるが、ほら、と何歩か先を歩いて見せて振り返る。今日は暖かい所為か傷も痛まず、調子がいい。  ならばいい、とエリックも頷き、代わりに紳士らしく腕を差し出した。  祖父や亡き父からはそういうことをしてもらったりしていたが、他の男性からそんなことをされたのは初めてだ。ちょっぴり驚いて瞬くが、はにかみながらそこへ手を乗せた。  エリックに可愛い孫娘の行く末を任せたのは、間違いではなかった――微笑ましい新婚夫婦のやり取りに目を細め、大公は自分の選択が間違っていなかったことに安堵して胸を撫で下ろし、聖堂の外扉を押し開いた。中天に差し掛かっていた晩秋の陽射しが眩しく照らし込む。  そこに、待ち構えるようにアイリーンが立っていた。
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