プロローグ(2)

1/1
66人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ

プロローグ(2)

 エリックが黙り込むと、異母兄はその心の内に気づいたのか、おいおい、と呆れたように声を上げた。 「婿取りじゃない。公孫殿下がこちらに嫁がれるんだ」 「でも、マリーの名を持つ姫じゃないですか」  長子継承は建国以来八百年の伝統だという。他国のこと故にそれほど詳しくはないが、過去にジュリアンとマリー以外の名の者が国主になったのは一度もなかった筈だ。それをわざわざ破る意味がわからない。  アーネストはエリックを手招きし、小声で「これは大公の密使から齎された話なんだ」と前置いた。  どういうことか、と怪訝に問えば、更に身を寄せるように示される。広い応接間の中で、異母兄弟は鼻先を突きつけ、小さく身を寄せ合った。 「マリー・ミシェット殿下は長子継承の慣例に則り、現在継承位は第一位だ。しかし、それを面白く思っていない者がいるらしい」 「命を狙われているとでも? いったい誰が?」 「宮廷で公然の秘密となっているらしいのだが、マリー・ミシェット殿下の叔母であるアイリーン公女殿下が公位を狙っていると」  五年前にマリー・ミシェットの母であり、当時の継承権の第一位にあったマリー・ソフィア公女が事故で夫君共々亡くなり、慣例の許、継承位は一人娘のマリー・ミシェットが引き継いだ。それはヴァンメールの法律でもはっきりと定められていて、誰にも覆せないものなのだが、叔母であるアイリーンは気に食わなかったらしい。自分の方が年齢も上であり次期大公には相応しい、と議会に訴え出るも、法律と伝統の許に満場一致で却下されている。  アイリーン公女はマリー・ソフィア公女と双子であったこともあり、議会の答えが尚更気に食わなかったようだ。たった数時間の違いで生まれたからといって、次女である自分がここまで蔑ろにされるのは許せない、と憤慨し、周囲に当たり散らしていたという。  そして、両親を亡くして一人きりになったミシェットの周囲で、小さな事故が起こるようになった。幸いに大怪我をするようなことはなかったが、一歩間違えれば死んでいた可能性がある事故もあった。それらをすべて躱せていたのは幸運としか言いようがない。  しかし、昨年アイリーンに男児が生まれた。  それ以降、ミシェットの身に及ぶ事故は明らかに命を狙うものとなり、とうとう脚の骨を折る大怪我を負ってしまった――それがふた月前のことだという。  普段の言動から、それらをアイリーンが仕組んでいるのは明らかなのだが、なんの証拠も痕跡もないので追及出来ない。アイリーンも、知らぬ存ぜぬ言いがかりだ、自分も叔母として案じている、と疑いの声を一切受け付けない。  しかし、このままでは、今度こそミシェットは命を落としてしまう。  大公は悩んだ末に、同盟国であるブライトヘイルに助けを求めてきた。 「マリー・ミシェット殿下が成人前に大公が亡くなられると、摂政としてアイリーン殿下が立つことになるらしい。それを大公は避けたいというお考えだ」 「それと俺の結婚がどう結びつくんです?」 「継承者本人が成人前でも、成人した配偶者がいれば、議会はその配偶者を摂政として招聘する」  つまり、エリックが摂政として立つことになる。 「待ってください!」  ぺらぺらと回るアーネストの口許に掌を突きつけ、エリックは大きく首を振った。 「俺は軍人で、政治のことはほとんどわかりません。況してや他国のことなんて……」  つまりはミシェットが成人前であった場合、エリックが摂政として立つことを望まれているのだ。  そういったことなら、外務大臣として外交に腕を振るう次兄のクラウディオの方が向いていた。しかし、クラウディオは既に妻帯していて、それは叶わない。時期が悪かったとしか言いようがない。 「まあ、そうはならないと思うぞ。あのじいさんはしぶとそうだし、あと十年くらいは余裕で生き延びるさ」  じいさんというのは大公のことだろう。確かまだ五十代で、一応は目上の相手に対して随分な言い様だ、と若干呆れる。  確かに、大公が亡くなるまでにミシェットが成人してくれていれば、摂政は必要ないのだ。若かろうとも、十八になっていれば彼女自身が政務を行うことになる。  そこでふと、あることに気がついた。 「陛下……いや、異母兄上。ちょっとお訊きしたいことがあるのですが」 「うん?」 「公孫殿下はいくつになられたんですか?」  諸国では十八になれば成人だと言われている。エリックも十八の年に成人の儀を行い、海軍に正式に入隊した。結婚するのは、貴族の間では男女とも十五を過ぎた頃からよくあることだが、成人するのとは別の話だ。  アーネストはにこにこと笑顔を浮かべ、眉間に皺を寄せる異母弟に言った。 「来年の春で十歳だったかな」  つまり、今は僅か九歳ということか。  エリックは眩暈がして思わず額を抑え、大きく仰け反った。 「…………俺は、今、二十三なんですけれど」 「知ってる」  それがどうした、とアーネストは首を傾げた。  政略結婚が当たり前の王族に於いて、多少の年の差など儘あることだ。現にアーネストの妻も隣国の第三王女で、彼より七つほど年下だ。  しかし、十四歳はさすがに離れ過ぎだと思う。一歩間違えれば親子にもなり得る年齢差ではないか。 「――…あっ! そういえば、従兄弟のロナウドのところに、今年十一歳になる男の子がいましたよ。そちらの方が釣り合いが取れているじゃないですか」  あまり年齢が離れすぎているのはやはり花嫁も嫌がるだろう、と必死に訴えるが、答えは否だった。 「お前の好き嫌いは聞いていない。もちろん姫君の好き嫌いも同様だ。この婚姻に於いて、多少年齢が離れていようとも、現時点で成人している相手が望ましく、また、公位継承者の相手として、伯爵家の三男坊など問題外だ」  年齢が釣り合っていようとも、家格が合わない。国主の継承権を持つ姫君の相手としては、王族の中でもかなり上位の者でないと、親交深い同盟国に対して失礼であるし、恥を忍んで頼ってくれた大公に対しても礼を欠いている。そのすべての要件を満たしているのは、エリックだけなのだ。だいいち、従兄弟は従兄弟でもアーネストの母方の従兄弟であり、王家の傍流ということではない。  アーネストの言葉にすべて間違いはない。これが最良であり、最善の運び方なのだ。 「いいか、エリック。マリー・ミシェット殿下はヴァンメールの伝統の通り、継承権を維持したままお前の妻となる。この婚姻は外交であり、政治だ」  いつになく真剣な表情で、アーネストはエリックに言った。悲しいことに反論の言葉が出ない。  エリックが言葉を捜して黙り込むと、よしよし、と満足気に頷いたアーネストが肩を叩いてくる。 「すぐにレディ・エスター号の整備と補給を終わらせて、花嫁を迎えに行け」 「すぐに?」 「当たり前だろう、姫のお命が係っているのだから。――あ、だが、風呂には入って行けよ。あと報告書も今夜中に提出しろ」  王命だぞ、と尤もらしく言うが、この異母兄は絶対にこの状況を楽しんでいる、とエリックは確信していた。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!