銀河鉄道の夜明け

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 午後の授業開始のチャイムが鳴り、まだ喧騒の残る教室内を横切るようにして、窓際の自席に座って窓の外を見ると、遠くの西の空が黒くなってきているのが見えた。この調子だと帰りの時間帯はこの辺りにも夕立が降るかもしれない。今朝の天気予報でも突然の強い雨に注意と言っていた事を思いだした。ただでさえ憂鬱な火曜日の午後の授業がより嫌になってくる。  在学している私立Y高校は、火曜と木曜に六時限目がある。月水金は五十分授業が五時限なのだが、火木は午前の三・四限と午後の授業が五・六限扱いで九十分授業となる。帰る時刻にはそれほどの差はないのだが、この九十分というのが長い。特にこの火曜の午後の古文が苦痛で仕方がない。古文が嫌いという訳ではなく、むしろ興味はある方なのだが、如何せん授業が面白くない。坦々と書かれている用語の意味を解説だけしていくだけで、テストの点だけを意識しているのだろう。しかもこの古見という女性教師がクラスの担任というのがまた鬱陶しい。もともと学校生活全般にあまり乗り気でない僕にとって、クラス団結を掲げて自己陶酔してくるようなこの手の教師は、わずらわしい以外の何物でもない。なのでたいていこの時間は授業を無視して本を読むことが多い。カバンから文庫本を取り出し、堂々と机の上で読み始める。 「小山君、小山尚一君。授業に関係ない物はしまってください。」 いつも通り一度型にはまった注意を受ける。 「いや、僕の事は放っておいてください。」 これもいつもの決まり文句だ。こう言うといつもそのまま、まさに放っておかれる。しかしこの日は少し様子が違った。 「先生、小山君がその本を片付けるまで授業を始めません。」 今日になって突然そんなことを言い出したので、僕は少し面を食らった。 「いつもは放っておいてくれるじゃないですか。」 言い返してみる。 「もうセンター試験まで半年もないの。その中で授業に関係ないことをされていると、モチベーションが落ちる子だっているのよ。それにあなただって志望校の受験科目に古文があるのでしょう?そんなことをしている余裕はないと思うわ。」 いつになく熱を上げて話してきたが、これは全くの詭弁だ。僕が本を読んでいることでモチベーションが落ちるのは他の生徒ではなく自分だろう。それに勉強という事なら、こんな授業よりも自習で古文を読んでいる方がよほど勉強になる。しかしこんなことを言うと、生徒にひどいことを言われる自分に酔って泣き出したりする可能性もある。そんなことになれば、それこそ真面目に授業を受けている奴らにも迷惑だし、そもそもあと少しで読み終わる本が読み切れなくなってしまうかもしれない。今日は帰りにいつもの本屋で新しい本を物色するつもりなのだ。 「わかりました。しまいます。」 なので、ここは一旦従って本を机に入れる。 「しまいましたけど。」 「では、授業を始めます。」 と、そのまま黒板の方を向いて授業を始めた。僕はすぐに机から本を取り出し、また読書を始めたが、その後は一度も注意されることはなかった。  今読んでいる本は言わずと知れた宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ。表題作の他に七編の短編などが収録されているが、最後にあるのが表題作だった。。残りは四十ページほど。授業が残り八十分近くあるので、なんとか読み終われるだろう。この宮沢賢治の文は時代が違うせいもあってか、読むのに少し時間がかかる。以前太宰治を読んだ時もそうだった。最近の本なら四十ページなら一時間ほどで読めるが、太宰は倍かかった。宮沢賢治はそこまでではないが、やはり一・五倍ほどの時間がかかってしまう。本に目を落とす。この瞬間の本の世界に飛び込んでいく感覚がとにかく好きだ。ああ、そうだ。ちょうどジョバンニとカムパネルラが白鳥の停車場で再び列車に乗り込んだところだったのだ。
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