水辺に潜む

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 きっと、これは代償なのだ。  古い言い伝えには、私たちの理解を超えた不可思議なものが潜んでいる。その不可思議が、禁忌を犯した彼女を神聖なる川へと引きずり込み、葬り去ったのだろうか。  冷たい風が体の中心を貫いていくような悪寒が走る。しかし、そんな私の不安をかき消すように、先輩はいつもの調子で涼やかな目をすうっと細めた。 「ごめん、びっくりした?」  小さく肩を揺らす彼に、私は小さく頷いたあと恐る恐るに問いかける。 「さっきの西院さんの供述って冗談ですよね……?」 「いや、あれはほんま。実際に現場見たら謎が解けるかと思ったけど、さっぱり分からへんわ」  さらりと告げられた言葉を聞いて、私は思わず先輩の顔を見遣った。  京都に蔓延る様々な伝承や逸話を好み、並外れた頭脳を持つ先輩にすらも解けない謎。もしも西院の供述が真実であるのだとすれば、それは京都には説明のつかない不可思議な事象が溢れているということの証明なのだろう。  凛とした表情を崩さない彼の態度が、それが決して冗談などではないことを物語る。私は全身の体温が奪い取られていくような嫌な感覚に陥った。 「……もう! そうやって驚かすのやめてください!」  取り巻く冷たい空気を払うように、私は震える声で反論する。すると、先輩は少しだけ眉尻を下げ、困った表情を見せた。 「びっくりさせてごめんな。そんな驚かすつもりやなかってんけど」  柔らかい声音で紡がれる謝罪の言葉とともに、彼は大きな手を私の頭に乗せる。その予想外の行動に、私は思わず身体を強張らせた。 「それでも、やっぱり僕はどこかに神様はいると思うねん。紫野ちゃんは信じひんかもしれへんけどね」  そう溢すと、先輩はふわりと空を仰いだ。  直後、未だ轟轟と鳴る川から吹き上げた風が、彼の黒髪を揺らす。 「なんで……そう思うんですか?」 「水占みくじがよく当たるのって、水の力を借りて成されるものやからやろ。貴船神社って水の神様がいるところやしね。……やから、僕は紫野ちゃんの縁結びも上手くいくと思うよ」  静かに紡がれる言葉に、私は彼の顔をゆっくりと見上げた。重なる視線の先で、先輩はもう一度目を細める。 「それに、せっかく京都に住んでるんやったら、ちょっとくらい不思議な体験できたほうが面白いし、もっとこの町のこと知りたくなると思わへん?」 「……今宮先輩らしいですね」  子供のような無垢さで瞳を輝かせる姿に、気が付くと私は先程までの恐怖心を綺麗に忘れてしまっていた。 「ほな、そろそろ行こか」  そういって静かに差し出された手を握り返すと、彼はにっこりと微笑んだ。  いつの間にか顔を出した青空と同じ、スカイブルーのランニングシューズを軽やかに弾ませながら、今宮先輩は私の手を引いて歩き出す。  恋の叶う場所――結社(ゆいのやしろ)へと向かって。  ――第一章『のろいのはなし』了
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