大好きなひと

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 京都市内を北から南に流れる鴨川は、千年以上にも渡ってこの地を流れ、京都のオアシスとして人々を癒し続けている。  澄んだ清流には川魚が棲み、鳥が集まり、川に架かる四条大橋のたもとでは枝垂れ柳が風に揺れ、情緒を生み出す。そんな自然豊かな空間に、人々は無条件に惹かれ、憩いの場として集っていくのだ。  四条大橋を東から西に渡り終えた私は、高瀬川の傍にある阪急河原町駅へと続く階段を下り、待ち合わせ場所である中央改札前に向かう。ひんやりとした空気の漂う地下通路を歩き、改札に近づいたところで券売機の傍らに立つ今宮先輩の姿が見えた。 「今宮先輩!」  大好きな憧れの先輩の名を、愛情を込めて口にした直後、彼は静かに顔を上げた。  先輩の服装は変わらず軽やかなスポーツカジュアルなもので、黒い大きめのリュックを背負い、足元にはスカイブルーのランニングシューズが光っている。  厳密に言えば、先日とは少しだけデザインの異なるものなのだが、全体が同じ色であるゆえに、その違いに気付くものは殆どいないだろう。噂するところによると、先輩はスカイブルーのランニングシューズを最低でも五足は所持しているようだ。これは長期間に渡って先輩の観察を続ける私から見ても、おおよそ堅いものであった。 「ほな行こか」  そう、軽やかに歩き始める彼の後を追い駆けた。  私たちが目指すのは、寺町と御幸町(ごこまち)の間にあるオーガニックカフェである。  府警の庁舎を離れたあと、下宿先まで送ってくれると言った先輩は、その長い帰路をゆっくりと歩きながら色々な話を聞かせてくれた。  生まれも育ちも京都で、自宅から徒歩で通える距離にある私立男子校出身であることや、彼のご両親や実家のこと。好物がハンバーグであること。好きなミステリ作家。一番興奮したトリックとその華麗なる謎解きについて。  彼の紡ぐ言葉はどれも綺麗で、ひとつ脳内に流れ込む度に、彼という人物にかかっていた靄が少しずつ晴れていくような、不思議な感覚を抱かせた。  その幸福な時間は空しいくらいあっという間に過ぎ、気が付くと下宿先へと辿り着いていた。  あぁ、これでまた先輩を探し続けるだけの平凡な日常に戻ってしまう。そう心で嘆いたが、別れを惜しむ私に向かって先輩は柔らかく微笑んだ。そして、「週末にでも、一緒に出掛けよか」と告げたのである。  ゆえに、あの日の無念さを晴らそうと、私はあらかじめ立てていたデートプランの中から、お洒落女子アピールの出来る「オーガニックカフェランチプラン」を選択したのだ。
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