11人が本棚に入れています
本棚に追加
序 大坂城落城
天を焦がすかの如く、太閤の城は火に呑まれていく。その燃え上がる炎が空を赤く染めるのが、京からも見えたという。豪華絢爛、難攻不落の名城・大坂城は、慶長20年(1615年)5月8日に落城。豊臣秀頼や淀殿らと共に、この世から姿を消した。
慶長19年(1614年)10月、豊臣と徳川の戦──大坂冬の陣が始まった。豊臣方が、牢人を集めていることを聞いた秀吉の正室・高台院は、大坂へ向かおうとした。戦をせぬよう説得するためである。
しかし、幕府の命で護衛兼監視役として付けられた、甥の木下利房に身動きを封じられ、大坂へ出向くことは叶わなかった。この時、高台院は豊臣の名を絶やしたくなかったのだ。夫・秀吉と共に築き上げたこの豊臣の家を、跡目を継ぐのが不義の末の子であろうと。
いつか、秀頼の父親が秀吉ではないことが露見してしまえば、豊臣の名に傷が付く。それだけ避けられれば、それで良かった。だが、豊臣が滅んだ今、高台院には虚しさはあるものの、豊臣が滅んだことに安堵していた。
これで、良かったのやもしれぬ。豊臣の血を引かぬ子に、ましてや不義の末の子になど……。
最初のコメントを投稿しよう!