序 大坂城落城

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序 大坂城落城

 天を焦がすかの如く、太閤の城は火に呑まれていく。その燃え上がる炎が空を赤く染めるのが、京からも見えたという。豪華絢爛、難攻不落の名城・大坂城は、慶長20年(1615年)5月8日に落城。豊臣(とよとみ)秀頼(ひでより)淀殿(よどどの)らと共に、この世から姿を消した。  慶長19年(1614年)10月、豊臣と徳川の戦──大坂冬の陣が始まった。豊臣方が、牢人を集めていることを聞いた秀吉(ひでよし)の正室・高台院(こうだいいん)は、大坂へ向かおうとした。戦をせぬよう説得するためである。  しかし、幕府の命で護衛兼監視役として付けられた、甥の木下(きのした)利房(としふさ)に身動きを封じられ、大坂へ出向くことは叶わなかった。この時、高台院は豊臣の名を絶やしたくなかったのだ。夫・秀吉と共に築き上げたこの豊臣の家を、跡目を継ぐのが不義の末の子であろうと。  いつか、秀頼の父親が秀吉ではないことが露見してしまえば、豊臣の名に傷が付く。それだけ避けられれば、それで良かった。だが、豊臣が滅んだ今、高台院には虚しさはあるものの、豊臣が滅んだことに安堵していた。  これで、良かったのやもしれぬ。豊臣の血を引かぬ子に、ましてや不義の末の子になど……。
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