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(三)
「和尚様、行き倒れのようです・・・・・・」
三人程の村人が莚で覆われた死体を戸板にのせて寺に運び込んできた。鉄牛道幾和尚の朝の勤行がちょうど終わった時分だった。
「この辺じゃあ見ねぇ顔です。ヨソのもんでしょう」
村人の一人が言った。鉄牛は無言で頷いて、筵をめくった。
「・・・・・・溜め池で溺れたのか?」
「いやぁ、山の麓の林ん中で倒れていまして」
「それにしてはびしょ濡れではないか」
鉄牛が不思議に思った通り、その死体は髪も着物も水気を含んでぐっしょりと濡れていた。まるで今さっき浜に打ち上げられた溺死体のようだ。
「ここ数日は雨も降っておらぬのに・・・・・・」
鉄牛は一人ごちながら屈み込んで死人の体を改めた。首筋にぺたりと赤いものが張り付いている。指でつまみ上げると花弁のようだ。椿の花弁のように見える。しかし、それにしては片手の掌を半分程度覆ってしまうくらいに大きかった。
「この者が倒れていた林には椿の木が植わっていたのか?」
「いえ、ありませんよ・・・・・・椎や樫ばっかりです」
「なるほど・・・・・・それに今は椿の花が咲く時節でもないのう」
「あのう・・・・・・和尚様・・・・・・」
今まで黙っていた村の男の一人がおそるおそると言ったように口を開いた。
「やっぱり祟りでしょうか・・・・・・椿の海の神様の・・・・・・」
それを聞いて他の二人の男たちもぎょっとしたように顔を見合わせた。
「馬鹿なことを言うでない」
鉄牛は叱咤するような強い口調になり、ぎょろりとした鋭い目つきで村人たちを見た。
「大方、この男は旅の者で、昨夜この辺りにたどり着き、先の見えぬ夜の闇の中で不幸にも足を滑らして溜め池に落ちたのであろう。なんとか池から這い上がって人家を歩いてしばらくさまよったものの、水に濡れて体が冷えすぎ、死んでしまったのだ。旅に疲れ、体が弱っている者なら体の冷えが命取りこともあるだろう」
鉄牛は三人を諭すように言葉を続けた。
「祟りなどという言葉を軽々しく口にするものではない。今は皆が一丸となってこの椿新田を盛り立てていかねばならぬ時じゃ。くだらぬ噂に気を取られて人心を惑わされるのは本末転倒というもの。よく心得て不用意なことは口にするでないぞ」
椿新田・・・・・・それは現在の千葉県匝瑳市、旭市、東庄町に跨がって広がる大水田地帯のことだ。
「干潟八万石」とも呼ばれるそこは、五十一平方キロの広大な湖「椿の海」を干拓したものであり、六年前の延宝二年(1674)から新田として売りに出されている。
椿の海はもはや存在しない。
江戸白金台の瑞聖寺に住まっていた鉄牛道幾がこの地にやってきたのも、椿の海の干拓が終わった後だった。
もっとも彼は江戸に住みながらも椿の海とは深い関わりがあった。幕府お抱えの大工棟梁、辻内刑部左衛門から相談を受け、彼が熱心に取り組んでいた椿の海の干拓工事に資金の援助が下りるよう幕閣に働きかけてやったのが鉄牛だったのだ。その縁があって、椿新田に創建された黄檗宗の寺に鉄牛が住職として招かれたのが昨年のことだ。
(祟り・・・・・・か)
寺の裏手の墓地で村人たちに墓を掘らせ、行き倒れの男を葬り、簡単な供養を済ませた。そうして村の者達を帰した後も鉄牛は新しく盛り土をした墓の前に佇み、しばし物思いにふけっていた。
今日葬った男のように、奇妙な行き倒れが増えている。行き倒れが多いこと自体は不思議ではない。椿新田が出来てからは、新しい土地に希望を求めて移り住んでくる人が増えた。また、東の先の九十九里では鰯漁が盛んだ。人の往来が多くなれば、様々なことが起こり、この地で力尽きて無縁仏となるものも少なからず出てくる。
しかし、不思議なのは、行き倒れの死体の多くが不自然な程ぐっしょりと濡れていたりすることだ。季節はずれの椿の花弁が付着していたりすることも少なくない。行き倒れだけでない。最近では村の若い者が、原因もよく分からないまま突然死する例が何件かあった。その死体に、なぜか口いっぱい椿の花弁が詰まっていたこともある。
かろうじて息を吹き返した者も、無くなったはずの椿の海の幻影を見た、と語った。
「かつて椿の海に棲んでいた鬼が住処を奪われたために怒り、祟りをなしている」等という噂が村人の間で囁かれるようになったのも自然な成り行きだったかもしれない。
鉄牛は、多くの幕閣の要人の帰依を受け、その気になれば政事を裏から動かすことができる程の力を持った、いわゆる政僧である。合理的な考えの持ち主である鉄牛は、祟り等という話に容易に心を動かされるような男ではない。
しかし・・・・・・。
無縁仏の墓前に供えた線香の白い煙が空に向かって上っていく。その煙がふぅっと、一瞬、陽炎のように揺らめいた。
煙の向こうに白い頭巾を被った尼僧が立っていた。
真っ黒な闇を湛えた眼窩で鉄牛をしばらく見つめ、そして、消えた。
鉄牛が尼僧のあやかしを目にするのはこれが初めてではない。鉄牛はこの墓地に新しく無縁仏を埋める度に尼僧の姿を見ていた。
この寺が幕府の指示によって創建される前にも、別の寺があったという。つまり、古寺を潰して新しい寺を建てたのだ。前の寺で何かがあったのかもしれないが、鉄牛がそれを詳しく知る手だてはない。尼僧に関わる何か不幸な出来事が過去にあったのだとしても、「江戸から来たえらいお坊様」に村人たちが語るのはほんの表面的な事だけだ。
消えた尼僧の姿を目で探すかのように、鉄牛はゆっくりと首を回して辺りを見渡す。たくさんの土饅頭が目に入った。ほとんどの墓は、鉄牛がやってくる前から既にこの地にあったものだった。これらの墓に古そうなものは少なく、むしろ最近作られたばかりと思われる新しそうな墓が目立つ。きっと椿の海の干拓の犠牲になった人々の墓だろう、と鉄牛は思う。
周辺の村人達の反対を押し切ってまで進められた干拓工事だったが、幾度となく失敗を重ね、ついに寛文十年(1670)十二月、とりかえしのつかない大事故を引き起こしたことはまだ生々しく記憶に残っている。
そもそもの干拓計画では、椿の海の大量の水を人工の掘り割りの川に流しこみ、太平洋に向かって排水して湖を干し上げる算段だった。しかし、いざ排水作業の段になって惨事は起こった。椿の海と掘り割りの間を塞いでいる土俵を取り除くと、たちまち大量の水が掘り割りから溢れ出し、凄まじい濁流となって周囲の村々を押し流したのである。
それは後の世に「井戸野、仁玉、駒込、下根、神宮寺、小笹、吉崎此の村々十五、六日は水付け、田畑砂押しに成り、人馬流れることを数しらず」と記録される程の大災害であり、多くの人命が失われた。
事故で亡くなった村人達と、尼僧の霊が直接関係あるとは、鉄牛は思ってはいない。しかし、死んだ者達の無念と、元々この地に宿っていた怨念がともに混ざりあえば、さらに不吉なものが生まれることもないとは言えない。
アアアアアアアアアア・・・・・・
不意に鉄牛の耳に赤子の泣くような甲高い声が響いた。
目を閉じる。瞼の裏の闇に、またしても尼僧の姿がぼんやりと光るように浮かび上がった。その腕にべっとりと血にまみれた嬰児を抱えている。泣き声はその嬰児が発しているのだった。
ふと気がつけば、尼僧の足下にも血だまりができており、彼女の僧衣もたっぷりと血を含んでいるようだった。黒い僧衣なのですぐには気がつかなかったのだ。
鉄牛は目を閉じたまま手を合わせ、一心に経文を唱えた。
アアアアアアアアアアアアア・・・・・・
いくら経を唱えても、眼裏の尼僧の姿も、泣き声も、いつまでも消えなかった。
・・・・・・めまいがする。
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