離れて、そして近づいて

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2 「それは流石に多すぎだろ、宮内」 聞き慣れた名字が聞こえて、私はピタッと足を止めた。声のした方に顔を向けると、お菓子売り場に数人の男子の姿があった。高校生、いや中学生だろうか。分からないけど、宮内と呼ばれた人は私の知っている宮内君ではなかったことは確かで、これをきっかけに話せるかもしれないと期待していた分ショックが大きかった。 明らかに私とは住む世界が違うカースト上位の男子の中に紛れ込むようにして、私と同じように最下位に属していそうな地味な男子が俯いていた。そこだけオーラが暗かった。彼は右手に買い物かごを持っていて、その中に周りの男子が次々とお菓子を放り込んでいた。明らかに不自然な光景。 見て見ぬ振りもできたけど、なぜか見逃すことができなくて。足がその場に固定されたみたいに動かなかった。私が関わっていいことじゃない。私が止めても意味はない。火に油を注ぐようなものだ。 ふと地味な男子がこっちを見た。全てを諦めたような感情のない目が私を見つめる。どうしよう、声をかけて止めに入った方がいいのだろうか、と考えている間に、彼は私から目を逸らして再び俯いてしまった。 その場に立ち尽くしたまま逡巡していると、今度は気の強そうな男子に気づかれてしまった。慌てて顔を背けるけど、「何見てんの?」と尋ねられた時点でもう遅かった。無視して癇癪を起こされたら困るため、私は恐る恐る顔を上げた。その場にいた全員の目が私に向いている。注目されることに慣れていない私は、視線を彷徨わせて挙動不審になっていた。言葉が出ない。 「星羅、あんたこんなところで何突っ立って」 通りかかった母親が来て、私が見ている光景を目の当たりにしてしまった。驚いたように言葉を止め、私と男子を交互に見ているのがなんとなく分かった。知り合い? と視線で尋ねられているみたいだ。当然知り合いなんかじゃない。 男子は地味目の男子を隠すように前に出て、にこにことした笑みを浮かべた。作り笑いだった。流石に大人に猜疑の目で見られるのは困るようだ。 誰も何も言えずにいると、例の気の強そうな男子が母親の前に立って信じられないことを口走った。 「星羅のお母さんですか。俺、星羅の彼氏の宮内宗馬(そうま)です」 全員が宮内宗馬と名乗る彼を見た。私はとんでもない嘘に巻き込まれて口をパクパクとしてしまっていた。彼氏なんかじゃない。一体この人は何を言っているんだ。 完全なる嘘に包まれているのに、母親はその言葉を信じてしまったようで、嬉しそうな笑みを浮かべていた。ちゃんと否定しなければ。 「ち、違うよ、お母さん。この人は私の彼氏じゃないよ。全然知らない人だから」 「酷いな星羅。あんなことまでしたのに」 「や、やめてよ。私は何もしてないよ」 母親は私の否定を照れていると思っているのか、微笑むだけで男子の言葉を信じているようだった。どうして娘である私の言葉を信じてくれないんだ。思わず泣いてしまいそうだった。 勝手に呼び捨てにして、とんでもない嘘を吐いて。宮内宗馬は何か私に恨みでもあるんだろうか。初対面なのに。同じ名字の宮内君とは大違いだ。 「これから星羅借りてもいいですか」 「いいわよ。あまり遅くならないようにね」 もう何を言っても無駄だと思った。母親は私の彼氏が宮内宗馬だと完全に信じきっている。人を疑うことを知らない母親は、人を簡単に信じてしまうお人好しで。いつか詐欺に遭ってしまいそうだ。 母親は鼻歌でも歌い出しそうなくらいのテンションで、私たちの前から姿を消した。カートを引く音が遠ざかっていく。それと同時に沸々とした怒りが込み上げてきた。それは涙となって溢れて、私の視界を歪ませた。 「泣くなよ。その場凌ぎに嘘吐いただけじゃん」 「だとしても、あ、あんな嘘、吐かないでよ。バレて、勘違いされたら嫌」 好きな人に、宮内君に、このことがバレて勘違いされたら、もっと彼と距離が開いてしまいそうで。そんなの耐えられない。亀裂が更に大きくなるなんて嫌だった。 俯いて必死に涙と怒りを抑えていると、突然手を握られ、私は反射的に顔を上げた。割と近い距離で宮内宗馬と目が合う。彼は私の手を持ち上げると、その甲に唇を軽く押し当てた。柔らかな唇の感触に、私はありえないほど赤面してしまった。顔が熱くてたまらない。手を振り払うことも忘れて、私は赤面した顔を初対面の宮内宗馬に晒してしまっていた。一生の恥。 「バレるのが嫌。勘違いされたら嫌。そんなこと思うってことは、好きな人いるんだ?」 図星を突かれて無言になってしまうその反応を肯定だと受け取った宮内宗馬は、何かを企んでいるかのように不敵な笑みを浮かべた。手はまだ離してくれなかった。 「俺がその恋、援助してやるよ」 初対面の私の手の甲にキスをするというチャラチャラした男に、とんでもない嘘を吐かれてとても不快だった。だけど、好きな人にそのことがバレて勘違いされるのが嫌だという弱みを握られてしまった以上、無闇に反論することはできなくて。悔しいけど、しばらくは宮内宗馬に逆らうことはできそうになかった。
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