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「隣の人とペアになって本文の読み合いをしてください」
英語教諭の言葉に、私は愕然としてしまった。コミュニケーション能力が劣っている私にとってペアワークは地獄だ。本当に。冗談抜きで。
鉛のように重たい溜息を吐き出しそうになるのをグッと堪え、私は隣の席の宮内君に視線を向けた。
「俺とペアなのめっちゃ嫌そうだな」
表情に出てしまっていたらしく、見事に図星を突かれてしまった。自分はそんな分かりやすい顔をしていたのか。
なんだか少し申し訳ないけどこれだけは言いたい。言わせてほしい。私はペアワークが嫌なだけで、宮内君が嫌なわけではないんだ。断じて。間違いなく。確実に。100パーセントを優に超えて120パーセント。いやそれは流石に言い過ぎか。
「あ、いや、別に、宮内君とが嫌なわけじゃ」
「それならよかった。俺もこういうのあんまり好きじゃないんだよな。だから榊原の気持ち分かる」
「え、私の名前、知って」
「1年の頃からクラス変わってないし、流石に名前は覚えてるけど。榊原の名前って見かけによらず派手だから印象に残りやすい」
「あ、そっか。うん、自分でも思うよ。全然似合わないなって」
榊原星羅(さかきばら せいら)。これが私の名前。私には似合わなさ過ぎる派手な名前。この名前の印象と私の容姿や性格を比較されて揶揄されることがよくあった。嫌な記憶だ。
星羅、なんて名前通りの人物には成長できなくて、名付けてくれた両親に申し訳なさすら感じる。
不甲斐なくて落ち込む私の頭を、宮内君が英語の教科書でぽんと軽く叩いてきた。
「気を悪くしたなら謝るけど、俺は好きだから。榊原の名前」
ドクンと心臓が跳ねる感覚がして一気に顔が熱くなった。名前が好きだなんて生まれて初めて言われた。全国の星羅さんの代表が私なんかでいいのだろうか。
「そ、それ、私と同じ名前の人が聞いたら、めっちゃ喜ぶと、思う」
「榊原は」
「え?」
「榊原は嬉しくないの」
「あ、えっと」
嬉しいかどうかと聞かれたら、嬉しいに決まってる。だけど、それで自分の名前を誇れるようになるほどの自信を私は持ち合わせていない。
名前負けしているのは自分でもよく理解していて、それはどんなに足掻いても覆ることはないだろう。
「嬉しいよ。そんなこと、言われたことないから」
恥ずかしさのあまり俯いて教科書で顔を隠すと、「じゃあさ」と顔の見えない宮内君の声が聞こえた。
鼻から下を隠すように教科書をずらした私は、覗き込むようにして宮内君を見上げた。
バチッと目が合った瞬間、私は宮内君の肩辺りにそっと視線を移動させた。目を合わせて会話ができない。
「名字じゃなくて、名前で呼ばせて」
「え」
「星羅」
まだ許可してないのに勝手にそう呼んだ宮内君は、まるで私のことを揶揄しているようで。呼ばれ慣れていない下の名前を人気者の宮内君に呼ばれ、恥ずかしくて照れ臭くてどうにかなってしまいそうだった。デレデレしてしまっている。流石に自分でも引く。
「俺のことも下の名前でいいから」
「え、いや、それはちょっと、厳しい」
「厳しいってなんだよ」
突っ込まれ何も言えなくなってしまう私に、「まぁ無理にとは言わないけど」と宮内君は付け加えた。
傷つけてしまっただろうか。いやでもだからって下の名前でなんていきなり呼べるはずがない。こんなちゃんと話したことなんてないのだから。
「慣れてきたら呼べる、かもしれない」
「そう、じゃあ頑張るわ」
下の名前で呼んでほしくて頑張るとかどうして、と疑問に思ったけど、大した理由はないんだろう。聞かないでおいた。
「凄いサボってるから読むか、英文」
「あ、うん」
嫌だと言えるはずもなくて、私は下手くそな英語を晒す羽目になってしまった。電波の悪いラジオみたいに途切れ途切れで恥ずかしい。日本語ですらダメなのだから、英語なんてもっとダメに決まってるじゃないか。
対して宮内君は憎たらしいくらいスラスラと読めていて、この人に欠点はないのかと若干恨めしく思った。差があり過ぎる。
やっぱり宮内君と私は月とすっぽん。雲泥の差。光と影。
宮内君が私みたいにはなれないように、私も宮内君みたいにはなれない。私たちは真逆の存在で、大きな差異のある関係なのだから。
「総体今週の土曜だから。忘れずに来てよ」
ペアワーク終了時に念を押すように言った宮内君の言葉に、私はぎこちなく首を縦に振った。あれ冗談だから、お前なんか誘うわけねぇだろ、自惚れんな、とか言われる日が来るんじゃないか、と誘ってくれた宮内君に対してあまりにも失礼過ぎる被害妄想をしていたことを心の中で謝罪した。すみません。
どうしてそんなに私に来てほしいのかは分からないけど、一応行くと決めたからには行くしかない。人を裏切ることだけはしたくないから。
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