君と紡ぐ、幸せな日々

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君と紡ぐ、幸せな日々

1 宗馬君に話さないといけないことがあるから少しだけ彼と対談してくるね、と予め宮内君に伝えていた私は、図書館で宗馬君と落ち合う約束を取り付けた。もっと早くにけりをつけるべきだったのかもしれないけど、今更後悔したってもう遅い。 宗馬君は私の気持ちを知っているけど、私からは宗馬君に対する自分の気持ちを伝えられていないため、それを彼が来た時に言おうと思っていた。宮内君と付き合い始めたことも含めて。 ドキドキと緊張が高まる。告白された時やそれに対してはいと答える時とはどこか違う緊張感。本を読んでリラックスしようとしても、文を目で追っているだけで内容が頭に入ってこなかった。 溜息を吐いて本を閉じると、窓から見える外の景色を眺めることに没頭した。今日も天気は快晴で、どこまでも続く青い空が綺麗だった。その中にふわふわと白い雲が浮かんでいて、綿菓子みたいだ、なんて低レベルな例えを思い浮かべた。もっといい表現だってあるだろうに。 空を眺めることにリラックス効果でもあるのか、緊張で強張っていた心が少しだけ楽になったような気がした。所詮気持ちの問題で、実際は何も変わっていないのかもしれないけど。 宮内君に返事をした時と同じように、素直な気持ちで、だけど攻撃的でない柔らかい言葉で返せば何も問題はない。難しいことではないからきっと大丈夫だ。 「え、星羅何時に来てたんだよ。早くね?」 後ろから声がして振り返ると、相変わらずイケメンな宗馬君が立っていた。私は慌てて腰を上げ、とりあえず座るよう目の前の椅子を指した。彼は何も言わずにその場所に座ると、怠そうに背凭れにもたれて私を見た。どうして呼び出されたかを察しているみたいな眼差しで。 椅子に座り直した私は、誘ったのは自分だから早めに来たということを宗馬君に伝えた。本人を目の前にしてまた緊張が生まれてしまったけど、焦らしても仕方がないのでそのままの勢いで用件を述べた。吃ってしまうあたりは何も変わらないけど。 「あの、ま、前、告白、してくれた時の、返事なんだけど」 宗馬君は沈黙したまま私を見つめていた。そんなに見られたらかなり言いにくいけど、ちゃんと私の話を聞こうとしていることが窺えるため、辿々しいながらも自分なりに言葉を紡いだ。噛まずに言えないのがもどかしい。 「えっと、ごめ、ごめんね。私やっぱり、宮内君のことが、好きで」 だから、宗馬君とは付き合えない。そう続けようとした私の言葉を、彼は遮断するかのように口を開いた。「俺も宮内だけど?」 分かってるはずなのにそういうことを言ってくるあたり、宗馬君はかなり意地悪だ。確かにどちらも宮内という名字だけど、兄の方は名字呼びで慣れてしまっているし、弟の方は半ば強制的に下の名前で呼ぶよう言われてしまったし。何より私にとっては宮内君は宮内君だし宗馬君は宗馬君だ。ちゃんと判別はできている。私の中では。でも宗馬君からしたら、宮内君と呼ばれることもあるのだろう。私が宮内君のことをそう呼ぶように。 「そ、宗馬君の、兄のことが、す、好きなの」 恥ずかしくて俯きながら言い直すと、盛大な溜息を吐かれた。なぜ。どうして。そんな呆れられるようなことを言ってしまっただろうか。それとも言い直すことがタブーとでも言うのか。 溜息一つで不安になる私は、自分の手元を見つめながら唇を噛み締めていた。全身が強張っている。早く解放されたい。 「兄貴のことも下の名前で呼ぶよう仕向けてやったのに、まさかそういう言い方されるなんてな。そんな呼ぶの嫌なのかよ」 まぁ俺だけ下の名前ってのも全然いいけど、と宗馬君は至って普通に、特に傷ついた様子もなく平然と言ってのけた。彼のことだから本当は全部分かっていたのだろう。自分が振られることも、私が宮内君を選ぶことも。 彼が告ったら断る人なんていないだろうに、私のような底辺がそれをしてしまった事実を周りの女子が知ったら恨まれてしまいそうだ。いや確実に恨まれる。白い目で見られる。いくら私が年上だろうと、彼女たちにとっては関係ないのだ。宗馬君の告白を断った生意気な奴というレッテルを貼られるに決まってる。美人で可愛かったら何の問題もなかったのに。こればっかりはどうしようもない。 「いや、あの、別に、嫌なわけじゃないけど、恥ずかしい、っていうか、なんというか」 もごもごと口の中で喋る私に向かって、宗馬君は頬杖をついて意地悪そうな笑みを浮かべた。またなんか揶揄されてしまいそうだ。瞬時にそう悟った私は、内心ビクビクしながら彼に視線を向けていた。揶揄される前にそれを阻止する術を私は持っていないため、彼の言葉を聞くほかなかった。 「俺が練習相手になってやるから、俺のことを兄貴だと思って言ってみろよ。隼人って」 「え、れ、練習?」 まさかそんな練習をさせられるとは。本人に言うよりも恥ずかしい気がする。しかもさりげなく呼び捨てで呼ぶよう仕向けているじゃないか。いきなり呼び捨てなんてできないから、最初は君付けでどうか勘弁してほしい。それすらもなかなか言えないけど。 視線をキョロキョロとさせて無言のままでいると、「星羅」と宗馬君が柔らかな口調で私の名前を呼んだ。失礼だけど、彼らしくないそれで。 どこか宮内君みたいな雰囲気を醸し出す宗馬君は、呼べよ、とでも言っているかのように私をじっと見据えていた。揶揄しているようなそれではなく、本気で練習相手になろうとしているようなそれで。 断じて私が要求したわけじゃないけど、少し俺様な彼の厚意を無駄にするのは憚られた。それに、若干変なスイッチが入っているような気がして。私を呼ぶ声といい表情といい、どこか宮内君に似ているんだ。兄弟なのだから別におかしくないんだろうけど、それでもなんとなく、自分の兄になりきろうとしているように感じて。 「呼んでみて、俺の名前」 「え、あの」 命令口調じゃないそれが、ますます宮内君を彷彿とさせていた。練習相手になるだなんて、宗馬君が何を思ってそんなことを言ったのか全く理解できない。そもそも私は宗馬君の告白を断るために呼び出したのに、どうしてこんなことになっているんだ。不本意過ぎる。 軽く受け流して話を終わらせたくても、彼がそんなことを許すとは思えなくて。もう宗馬君を宮内君に見立てて名前を呼ぶしか、穏便に事を済ませる方法はない気がした。結局流されてばかりだ。不甲斐ない。 私は宮内君の下の名前を思い浮かべて、それから恐る恐る口を開いてその名を呼んでみようとした。だけど恥ずかしさの方が勝って最初の文字すら言い出せなくて。旗に書くときは躊躇うことなく書けたのに、言葉にするとなると途端に言えなくなってしまう。 沈黙している私に痺れを切らしたのか、突然椅子から立ち上がった宗馬君が私の側まで寄ってきた。何をされるのだろうと身構えていると、彼は私が座っている椅子の背と机に手を置き、至近距離で目を合わせてきて。え、と声を漏らす私よりも先に、宗馬君は私を焦らすようなことを平然としたまま言った。 「3秒数えて隼人って呼ばなかったら、キスするから」 「え、いや、き、キスって、え、え?」 大混乱してまともな言葉を喋れていない私をよそに、宗馬君は更に私を困惑させるように1から順に数え始めてしまった。宮内君みたいな雰囲気はなくなっていて、完全に素の宗馬君の状態で。 3秒なんてすぐに経ってしまうし、こうやって混乱している間にも過ぎ去ってしまう時間で。私をからかってるだけなのかもしれないけど、言わないとキスされてしまう可能性もないとは言い切れなくて。結局私はわけも分からず勢いで口を開いていた。 「ちょ、まっ、よ、呼ぶ、呼ぶから、だから、や、やめて、隼人君」 ピタッと宗馬君の動きが止まり、それから彼は緩慢な動作で私から離れた。無理やり言わされた感が否めないけど、初めて宮内君の下の名前を呼ぶことができたから結果オーライだ。 それから赤面した顔を隠すように俯いて椅子から立ち上がると、宗馬君の顔をまともに見ることもできないまま、「きょ、今日は、わざわざ、ありがとう」と軽く頭を下げて急ぎ足で図書館を後にしようとした。人がいないわけではない図書館で、私たちは前回と同じようなことをしてしまっていて。とてつもなく恥ずかしい。 「兄貴の前でもちゃんと呼んでやれよ」 後ろから声をかけられ振り返ると、真剣な眼差しをした宗馬君がこっちを見ていた。やり方は強引だけど、彼なりに協力してくれたのかもしれない。そう思うと、宗馬君には感謝すべきだなと思った。 宮内君、いや、隼人君に会ったら、予告もなしに下の名前で呼んで驚かせてやりたい、なんて柄にもなくそんなことを考えた。緊張するだろうけど、私からの小さなサプライズだ。 隼人君の驚いた表情を思い浮かべて、自然と笑みが溢れてしまった。なんだか楽しみだ。 それから私は宗馬君を見て、改めてお礼を伝えた。「ありがとう」笑ってそう言って、今度こそ図書館を後にした。 気持ちがとてもすっきりとしていて、外の空気がいつも以上に美味しく感じられた。
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