2 出会い

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2 出会い

 鍵は軽く開き、ドアノブもいつも通り軽やかに開く、ロバートはここに住むことに決めて本当によかったと思うことの一つだった。  以前住んでいたアパートは鍵が三つ必要だった。しかも一番下のカギはピッキングされたらしくなかなかうまく回らず、とても硬かった。しかも建付けが悪く、戸が機嫌よく開くことなどまれだった。だがこのアパートは違う。何もかもがスムーズだった。  中に入って帽子を階段下のフックにかけ、コートを掛けていると、奥から執事のジェームズが出てきた。ジェームズはロバートの執事ではなく、このアパートの主人の執事だが、ロバートの世話も焼いてくれる。  アパートとは言ったが、人に貸している部屋はロバートの借りている一室だけで、本当は二階建てのごく普通の家なのだ。だが、主人が「アパートなんだよ、」というので、と呼んでいるのだった。 「おかえりなさいませ、サミュエル様がお待ちです」  サミュエルというのがこのラリッツ・アパートの主人でありロバートの親友である。 「そうかい、彼は書斎かな?」  ジェームズは短く返事をし、お茶の用意すると奥へと向かっていった。  ロバートは入り口から入って二つ目の扉の戸を開けた。書斎は庭に面した東側の窓を三か所のうち二か所も本棚でふさいでいるので全体的に暗く、いつも明かりがついていたが、唯一残していた窓のそばの机のところだけはまだ明るかった。とはいえ、10月の日の陰りが早くなったこの頃ではすっかり手元が暗くなってきているのだろう、そこはほかの位置と変わらず暗くなっていた。  主人であるサミュエルは部屋の西側、扉のそばに置いているチェストのそばに立って本を読んでいた。 「また、変わったところで読んでいるね」  ロバートが声をかけると、視線も外さずにサミュエルは口の端だけを上げ、 「適当に、」  と言った。―適当に座ってくれ―  ロバートはまだ暖炉に火は入っていないが暖炉そばにある椅子に腰を下ろした。ロバートの定位置になりつつあったこの椅子はロバートの好きな深い緑の布が張っていた。 「君が午前中に出かけたと聞いて、帰ってきたのが今だ。いくら君が社交的であってもなかなかの時間だ。君はどこかに出かけた後、少し散策。とか、どこかに寄り道をしよう。などということをしないから、一か所に居たと思われる。とすれば、なかなかの時間お邪魔していたことになる。そこで気になったんだ。いい人でもできたのかい?」  サミュエルがやっと振り返った。  銀髪の短く整った髪。緑の目。唇は上下ともに薄く、きれいに化粧すればなかなかの美人になりそうな顔をしている。  ロバートは首をすくめながら苦々しく 「いいや、そんな色っぽい話じゃないよ」  と答えた。そこへジェームズがお茶のワゴンを運んできて、その後ろから恰幅がよく、血色がよく、一目で元気だと判る女、ジェームズの妻であり、このラリッツ・アパートの家事の一切をしているマルガリタがパイを手に入ってきた。 「やぁ、やっと食べれる」  ロバートはため息交じりに言った。 「向こうでも食事を出されはしたんだが、どうも変な雲行きになって、食べた気がしなくてね」  パイを切り分けている手元を見ながら、のどの奥、腹の虫が催促しているのがよく解る。 「何があったか聞いても構わないかな?」  サミュエルが少し声のトーンを下げて聞いてきた。ロバートは大したことじゃないのだけどね、と言いながらタニクラ ナルの手紙をサミュエルに手渡し、そのかわりに切り分けられたブルーベリーのパイを受け取ると、ざっくりとフォークを入れて口いっぱいにほおばった。 「うまいねぇ。やっぱりマルガリタの料理は最高だよ」  マルガリタは満足そうに微笑み、残りも取りやすいように切り分けてから、ジェームズと一緒に部屋を出て行った。  あの二人が夫婦というのを最初信じられなかった。細身で神経質そうで、年中病的に銀食器を磨いているようなジェームズと、陽気な夏の太陽のようなマルガリタとでは全く合わないと思ったが、「あの二人には二人にしか解らない何かがあるようだよ」というサミュエルの言葉に納得すれば、まぁ、似合いの夫婦なのだろう。  サミュエルは手紙を読み終わり、「タニクラ ナルか」とつぶやいた。 「知っているのかい、君は?」 「まぁ、噂でしかないけれどね」 「僕は全く知らなかったよ」 「そうだろうよ。君の様に純朴でまっとうな人には無縁の人だ」 「それをゴドフリー氏にも言われたが、なんだか不愉快な気分だよ」  サミュエルは軽く笑い、 「だが、本当だよ。この世に何億、という人がいて、彼女を知っているのは正直片手ぐらいなんだからね」 「だが、ゴドフリー氏も、君も知っていた。すでに二人だ」 「ゴドフリー氏は会ったと言っていたのかい?」 「いや、話を聞いた。また聞きのようだったが」 「そうだろうね、そういう話ならよく社交界に出てくる。誰誰の妹の旦那の実家のなんとかのとかいうやつだ。だけど誰も彼女と接触はしていない。接触した人に直接話を聞いても、彼女のことを得る手段は少ない」 「あぁ、それはゴドフリー氏も言っていたな。知っているが、別に話すようなことがない、と言っていたか」 「そうなんだよ。彼女について解っているのは見た目は10代の少女。これは彼女自身が17歳だと言っているのでそうなんだとしか言えないがね。あとは退魔師である。ということだけなんだ」 「それもゴドフリー氏が言っていた。だが、このご時世妖魔って、」 「確かに宋国は発展し、化学が進んでいるが、南にある濁国は今だ以前の生活をし、そこではまだ妖魔の被害があるという。だが、濁国に行くまでにどれほどの資産や、期間がいると思う? 行って帰ってきた人などいない。ほとんどがそういう話がまことしやかに言われているだけだ。そう、噂だ。そしてそれは街から町、国から国を行商している商人の口で運ばれている。だがその商人たちが揃って濁国ではまだ妖魔がいて、妖魔を退治している退魔師がいて、永遠の命を持っている。それがタニクラ ナルという少女だ。と言えば、噂も本当のように思えるじゃないか」 「……まさか、濁国へ行こうと思ってやしないだろうね?」 「いいや、濁へ行かなくてもいいだろうね、この紙は、ラベンダー・ホテルのものだ」  手紙の上下にラベンダー・ホテルとエンボス加工されているのはロバートも気づいていた。 「いや、そこに泊まっているとは、」 「そこのホテルがなぜラベンダー・ホテルと名乗っていると思う?」  ロバートは首をすくめた。  ラベンダー・ホテルはそこの創業者が、その当時では画期的な、いや、今でもだが、すべての備品にラベンダーの香りをつけるための部屋を用意させ、そこで十分にラベンダーの匂いをつけたものを使用する徹底されたホテルだった。確か自伝では、創業者が若い頃に出逢った女性に、「便せんからいい匂いがするのはいいことだし、泊っている部屋からもその匂いがあるのは素敵なことだ。その匂いを嗅げばそのホテルのものだという証拠だ。つまり盗まれても証言できるが、悪さをすればすぐにばれる」というような内容だった気がする。ロマンチックな女性かと思えば最後の言葉はひどくがっかりしたのを覚えている。女性が、。などという思考を持つなど、なんて現実主義なんだろう。と。 「それで?」 「会ってみたくないかい?」 「……タニクラ ナルにかい? だが、会ってどうする? ……そうか、こんな不愉快な手紙をよこすなと忠告するのかい?」 「違うよ。それは不愉快でもなく、正しい忠告だろうね、たしかにチムニーから出てくる汚水を見ていれば体に悪そうだ。労働者たちもどこか息苦しそうな印象だしね。だが、それ以前に、タニクラ ナルはあまり目立つようなことはしないんだよ。なのに、こんな手紙を、ゴドフリー氏以外にも出しているらしいじゃないか、誰の目にも止まるようなことをするなんてのは、彼女のこれまでの美学に反している。」 「彼女の美学って、」 「彼女は目立つことを嫌っているのだよ、だから誰かの噂だけでの人物でしかなかったのだからね。どこに住んでいるのか、どこにいるのかさえ解らない人が、特定されるようなことをしている」 「てことは?」 「偽物か、何らかのことで目立つしかないか」 「どっちだと思う?」 「見当もつかないから、出かけるんだよ」  サミュエルはもうすっかりコートを着ていたし、ジェームズの手にはロバートのコート、そして、 「ラベンダー・ホテル305号室です。予約済みです」  と言った時には、本当に、ジェームズは部屋のあちこちに盗聴でも仕掛けているのじゃないか。と思ってしまった。  ロバートとサミュエルは外に出てラベンター・ホテルがあるイーストタウンへと向かった。イーストタウンには中流階級の家が多く、労働階級でも裕福な家が多くある地区だ。似たような階級で言えば、ウエストタウンもそうだが、大学やら学校がある関係で学者の家が多くあり、プロフ(プロフェッサー=教授)と呼ばれていた。  イーストタウンには、北から順に辻番号が振ってあり、ホテルが立ち並んでいるエリアは、1番から3番通りまでだった。そしてラベンダー・ホテルはその3番通りにある小さな安いホテルだったが、人気のあるホテルで連日満室だった。このホテルのおかげで、3番通りから6番通りまでは比較的治安がよかった。客や従業員が行きかうし、警察の目の届く場所にあるからだった。  警察の東分署の角を曲がれば、ラベンダー・ホテルが見えてきた。  白い壁に窓枠、ベランダはオーク色で統一されている。年に一度春先に塗り替え工事をすることで春の風物詩にもなっている。そういう手間や金を惜しまないことでもこのホテルは人気だった。  ロビーに入ると、ラベンダーの匂いがさっそく立ち込めていて、匂いに敏感な人は軽く咳き込むけれどすぐに慣れて胸いっぱいにそれを吸い込んでいた。 「タニクラ ナル氏に会いたいのだけど」  サミュエルは迷うことなくフロントへ向かい、フロントマンがようこそという前に用件を告げた。 「……紳士、お名前を」 「サミュエル・ガルシアとロバート・アームブラスト男爵だ」  フロントマンは顔を緊張させ二人の名前を紙に書くと、少し待つように言ってから奥のマネージャー室に入ってすぐに出てきた。いかにも執事上がりのマネージャーと言った風な、神経質で、用心深そうな男はサミュエルを見てすぐに頷き、 「どうぞ、こちらです」  と自ら案内係を務めた。  布張りの装飾階段を上がり、次の階段には布が薄くなっているがそれでも足に負担がなさそうなものだった。  3階に上がると、階段ホールには大きな花瓶にコスモスが活けてあった。  305室のドアをマネージャーがノックすると、中から重い音がしてドアが開いた。ずいぶんと大きな男がぬっと姿を見せた。古いホテルと言えども、このホテルの天井高は2メートル半はあるだろう。それ一杯ほどの背丈の大男はマネージャーを見てから、後ろにいたロバートたちを見た。 「サミュエル・ガルシア卿とロバート・アームブラスト男爵です」  マネージャーの言葉に大男は二歩後ずさりをし、「主人がお待ちです」と低く響く声で言った。  サミュエルが頷くとマネージャーは階段のほうへと歩いて立ち去り、ロバートはサミュエルのあとに従って室内に入った。  部屋は居心地よさそうだった。白い壁にはいくつか絵があったがあまり有名ではなさそうだった。チェストが白と茶と二つあることにひどく違和感を覚えそれを見ていると急に笑い声が聞こえ、その声のほうを見れば、漆黒の髪をひっ詰め、水兵が着ているような服の、丈の短いスカートをはいた少女が、足置き台にギブスをした足を乗せて座っていた。 「ホームズとワトソンで来たか」  彼女はぼそりといい、二人に座るように言った。 「すまないね、ちょいとしくじって足をやっちまってさ、身動きが取れなくてね」  物言いは、その姿に似合わないほど年寄り臭かった。 「あ、さっき笑ったのはね、」  少女、彼女がタニクラ ナルだろう。彼女はロバートのほうを見ながら、 「白いチェストは壁に同化して意識しないと見えないと思わないかい?」 「ま、まぁ、そうですね」 「そういうものには、見られたくないもの、服とか、鞄とかを入れている。それの目くらませに茶色のチェストを置けば、目は自然とそっちに向く。茶のチェストにはかわいい装飾ものなんかを飾っておけば、なおよし。もし、客として招かれ、意図して部屋の内装を観察しなければ、白いチェストがあったなんてほとんどの人は気づかないと思わないかい?」  タニクラ ナルはそういって首をすくめて見せた。  大男がお茶を入れて目の前に置いた。とてもいい匂いのする紅茶とコーヒだった。 「ガルシア卿はコーヒーが好きだと聞いていたのでね」  サミュエルは遠慮なくそれに顔を近づけ、その匂いをかいで楽しんでいた。 「とてもいい豆だ」 「そりゃよかった」  彼女は筒状のコップでお茶を飲んでいたが、それは紅茶ではなかった。 「それで、我々に何をさせる気なんですか?」  サミュエルはカップを置いてからそういうと、タニクラ ナルもコップを置た。 「まぁ、この足になったきっかけだったのだけど、……あたし、話をするのって苦手なんだけどね、本当に。要領を得ないんだが。  とにかく、そもそも私は濁国に住んでいて、そこから出る気なんかなかったのだけど、この国の女王の即位20年? て式典があったろ? ああいうのを一度見てみたいと思って、出てきたのさ。まぁ、虫の知らせだったのだろうけども。普段ならそんなことにまるで興味ないのだよ。本当に。のんきに、濁国の田舎で生きてる分にゃぁ、生きていけないわけじゃないのだから。だけどそん時はどうしても出掛けようと思って、やってきた。このホテルの創業者とは顔見知りでね、」  ロバートは眉をひそめた。このラベンダー・ホテルの創業は100年以上前で、もちろん創業者はとっくに死んでいる。会ったなどそんなわけがないのだ。と反論したかったが、それを止めたのは隣のサミュエルだった。手を軽くたたかれ、ロバートは黙った。もちろん、タニクラ ナルもそれを目で追って確認したようだったが、何も言わずに続けた。 「彼の意向で、あたしはこのホテルのこの部屋をいつでも利用できるようになっている。まさか伝説だろうと思われているあたしが来た時の慌てぶりはおかしかったが、とにかく、私はこの部屋に泊まったその日の夜。すぐそこにあるレストランで食事をしようと思って通りに出た。その時、交番、警察のあそこ、警官が立っているだろ? 全く役に立ちそうもない顔をしているが、身なりだけで偉そうなやつ。あいつに一人の女性が何かを必死で懇願していたんだよ。女性の懇願を無視する男なんてろくでもない男だと思っていたら、彼女は毎日お願いしに来ているらしくて、警官にしてみれば迷惑な酔っ払いのような感じだったのだろうね、それにしたって、酔ったような感じは受けない。身なりのきちんとしたかなりの美人だ。近づいていって話を聞こうとした時、足をすくわれた。  まったくね、気配を感じられなかったのは不注意だったが、それにしたってねぇって感じさ」  サミュエルが眉を顰め首を傾げたのでタニクラ ナルは話すのをやめ、少し考えてから、 「こう、」二本指を足に見立てて机に立たせると、左手でそれを払うようにした。 「そんなこと、」ロバートはその現象の説明をしようとしたが無理だった。何かが足を払うなど、人が体当たりすれば、当たったというだろう。だが、彼女は足をすくわれたと言ったのだ。突撃されたでも、足を蹴られたでもなく。 「感覚は風に近いな、風がスカートを巻き上げるような、あんな感じ、踏ん張ったが不意をつかれ右足を持っていかれたせいで、左足をひねって、このありさまさ」 「あの、それは、」  そうだ! ロバートは気付いた。小さな段差に足をすくわれることはある、それじゃないのか。と言いかけたが、 「ん?」  タニクラ ナルが逆に聞き返すように首を傾ける。 「その、足を払ったそれは、人が突進してきたんですか? それとも、段差に足をとられたとか、」 「あ? あぁ、いや、違う違う。えっとね……妖魔って信じてる?」  タニクラ ナルに聞かれ、ロバートはサミュエルを見た。サミュエルはタニクラ ナルから目を離さなかったが、少ししてロバートのほうへと首を向けた。 「まぁ、この国での出現率は低そうだけども、まったくいないわけじゃないんだよ。  妖魔ってのは、あたしが対峙したことで言うならば、この宋国、隣の貴国のような冬の厳しさが苦手なようだからね。どちらかと言えば濁の様に年中暑いような場所に居たがるらしいけど、この百年の間、人の往来が進み、道が整備され、この宋国が蒸気機関車を発明したおかげで、ちょいと行動的にはなりつつあるんだ。奴らも。人が動けばそれだけ妖魔がついて行っているような感じだから、この国の人がまだ知らなくても無理はない。ただし、あまりに線路を大急ぎで広げると、妖魔退治が間に合わなくて大変だろうなぁとは思うけどね」 「あ、あの?」  ロバートは何とか声を出した。 「タニクラ ナルさんは、一体、何者で?」 「……、なんでフルネームいうかね? ……ナルでいいよ。この国的に言えばナル タニクラだからね」  奈留は少し意地悪い訛りで自己紹介した。 「一体何者と言われても、変な奴。としか言いようがないのだが、まぁ、長く生きてて、妖魔を退治する無駄な知識があって、そのおかげで退魔師とか言われ、でも、正直なんでここにいるのかよく解ってない。というものですが、何か?」 「何かって、いや、あの、それじゃぁ、説明には、」  ロバートが真顔で反論する。 「その、足をすくったのが妖魔だというのですか?」  サミュエルの落ち着いた声がロバートを黙らせた。 「そうだろうね」 「妖魔というのは実体がないもの? ということですか?」 「いろいろだよ。……いろいろ。姿がないというのは語弊が出るけど、それと気づかない。という感じだな。風は目に見えないがたしかに風は吹いている。顔に当たって撫でていくのを感じるし、窓に当たってガラスを揺らす。あれは風の所為だ。だけど、風が目に見えるかと言えば見えない。だろ? そんな感じ。風の中でも、かまいたちって、突風が吹いてきて急に何かで切られたようなことがあったりする、」 「それはガラスとか、」  サミュエルが言った。 「普通の自然現象は。だが、その切り方が、女性の服だけを切ったりするのは意志があるように思えないかい? 故意に一人の人の体を浮かせ、地面に叩きつけるようにする。そんな突風はないだろ? そういうものは姿が見えないってことになる。だけど、人に憑りつき、」  ロバートはゴドフリーの話を思い出した。まったく見たこともない人の話だが目の前に情景として浮かんだあの様子だ。冴えない男が女性たちにたかられているあの様子だ。 「その欲求を発散しようとする。それは人の姿に憑りついているので、ある種見える。だが、これです。と言って見える姿があるかと言えば、それは何とも……、人の姿に化けていたり、動物だったりすることが多い。それは妖魔が身に付けた人間たちとの共存の姿だと思うしね。ほとんどの妖魔が悪さをしようと生きているわけじゃない。人間と一緒だ。その中のほんの一部が、欲深く、業深く、意地汚いというだけなんだよ。そんなもの、人間だっているだろ? 普通に行き交っている人の中から、実は会社の金を横領しているかもしれない奴を見つけろなんて皆無だ。妻を寝取っている男だってわかりゃしない。見えているが見えない。そういうものなんだけど、たまに、妖魔でも、その力の所為でとんでもないことをしでかす奴がいる。他の妖魔の力を吸収している場合がね」 「それにやられたと?」 「たぶんね、とっさ的に、彼女に近づけたくなかったんだろうね、」 「彼女?」 「交番で必死に話していた彼女だよ」 「彼女がそれをやったと?」 「いいや、彼女は違う」 「では、彼女の命が危ないと?」 「それも、よく解らない。力の所為で体が持って行かれた時には憎悪を感じたが、そのあとは全く感情が動かなかったから、ただ近づいてほしくないだけのようだった。なんで近づかないで欲しいのか解らないし、彼女が毎日懇願している内容も気になるから、あたしの知識欲を満足してもらえる人を探したのさ」 「そこの、彼は? 彼に頼めば?」  ロバートは部屋の隅に控えている岩のような男を見た。 「あんなでかいのが聞きに行って、女性が実は、というと思うかい?」  ナルはそういってコップを手にしてお茶を口に含んだ。  たしかにあんな大男に自分をさらけ出すような人は居ないだろう。 「もし、ここに来たのが我々でなかったら?」  サミュエルが聞いた。 「……いろんな人に手紙を出した。私の名前を出し反応する人には三種類いる。まったく知らなくて無視できるか、名前を知っているが無視するか、どうしようもない焦燥に駆られて自ら来るか。まぁ、あなた方を寄越した人は、自分で来るという選択をせず託したようだが、」 「ゴドフリー氏への嫌がらせの、」 「……あぁ、鉄鋼業のゴドフリー氏か……なるほど。彼か」  ナルはそういって窓の外を見た。 「嫌がらせは、」  ロバートの言葉に、 「嫌がらせじゃないよ、手紙は善意だ。あの手紙で環境配慮すれば、その会社は未来永劫英雄として称賛される。だが、そのままであれば、産業革命の負の遺産として不名誉が残る。私は人づてで聞いた彼ら、数名の人に手紙を送ったけれど、彼らの人となりを聞き、いい人だとか、こういう人は好きだと好印象を得た人にだけ手紙を出した。未来永劫いい会社の創始者になってほしいからね。だが、それに反応したのはゴドフリー氏だけだった。というのは残念だが、しようがないね。発展に痛手はつきものだと、信じているバカな時期だもの」  ナルはそういって窓から目線をロバートに向けた。 「それでね、」  ナルの会話にロバートは面を食らったように少し体を引いた。 「それで君たちが来たことには少し意外であり、ちょっとわくわくもしている」 「どなたが来ると思っていましたか?」 「男爵の様にいたずらだと思って警察に連絡して警察が来る。と思っていた」 「断られたのでしょう。警察は再び現れた殺人鬼の捜索に忙しそうですからね」 「殺人鬼?」  サミュエルの言葉にナルが繰り返す。 「ちなみに、あなたはいつこちらに?」 「一週間前だったね」 「なるほど、即位式の二日前ですか」 「もうちょっと早く来られる予定が、途中川の氾濫で足止めを食らってね、それが何か?」 「ちょうど、その連続殺人の始まったのがそのくらいですね」 「……あれ?」  ナルが後ろに控えている大男を指で刺す。 「あー、ないない。と思うよ」  ナルはそういって振り返り、軽く笑い声をあげて、再び否定した。 「あいつに快楽殺人を起こそうとするような欲求はないよ。ただただあたしのそばにかしずき、私に従順に従うことに生きがいを感じているようなドMな奴だ。人をいたぶるという快楽はないよ。まぁ、あたしに何かあれば豹変はするけどね。奇特な奴なのさ」  ナルはそういってお茶を飲み干した後、コップを両手で包んでもてあそびながら、 「それでどうする? ?」  と聞いた。
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