2.自販機-魅惑の光-

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2.自販機-魅惑の光-

 駅前の書店での不覚……美人の女性店員さんによるスマイル攻撃を彼がもろに食らったあの日から、およそ数週間が過ぎた頃のことだった。  彼は自宅の自室にて、ビニール紐でくくられていた女性向けファッションカタログやチラシの束を大量に持ち込んで床に広げ、じっくりと食い入るように眺め見ていた。それらは本来彼の母親向けに郵送されてきたもので、ちゃんと見ているのか見ていないのかよくわからないままに日々段々と溜まっていき、やがて『廃棄』を決定されてしまい、一まとめに縛られたものだった。もはや誰にも見られる事も無く、束ねられて資源ゴミ回収日を待つだけのはずだったものだが、彼の手によってそれらは再び命を吹き込まれたのだ。何故そんなことをしているのか? 「ふむ」  雑誌の中。若き少年にとっては決してターゲットとは言えない年齢と思われる、中年のおばさ……もとい、女性が下着を身につけて写っている。それ自体は彼が好むようなERO本とは異なって特にエロティックさを感じるような要素は薄い。しかし、肝心なのはそんなところではないのだ。見よ! 彼が発見した衝撃の事実を! 「うむ。間違いではない。やはり、ほんのちょっとだけ乳輪がブラから透けて見えているな」  ほほう。そんなこともあるのだなぁと、彼は学んでいた。果たしてこれは編集者のチェック漏れだろうか?  情報……ここで言うところのエロ要素だが、ともかく少年のパッションを刺激させるような情報が少ないということは、求めるものを得るためには彼は可能な限り何でもしてみせる、という執念に走るのが人というものの性である。その成果の一つと言えるべきものがこれだ。彼が見つけた一枚の写真がそれを物語る。少しレースになった紫色のブラジャーから、乳輪のちょっと黒みがかかった濃いピンク色が微かに見えていたのだ! 勝った! 俺の勝ちだ! 決勝タイムリーヒットだ! と、彼は思った。これだ! これでいいのだ! 俺はこういうのを求めていたのだ! 文句なしに俺の大勝利だ! と、思った。  これでこそ何十冊も辛抱強くファッション雑誌やらチラシを見てきた甲斐があったというものだ。彼は満足そうに頷いた。どこかになにかエロそうな写真ははないか? ただその一点だけを探求して、ここまできたのだ。 (さて)  そんなことをしながら、今晩は大事な用があるのを彼は思い出していた。  そう。恐らくは読者の皆さんも予想されていることだろうが、彼が楽しみにしているのは自販機のことである。  それも通常の仕様ではない、夜の間だけ中身が見え、購入することが出来るという、魔法のような自販機なのである。例えるならば、マジックミラーのように、昼間は銀色の幕によって中身が見えないようにされているのだ。まったく世の中には摩訶不思議なものがあるのだ。一体、どこでどのような人々が製造や運用に携わっているのだろう? 利益率はどうなのか? 採算はとれているのか? 非常に興味深いものである。  ――さて、そこは彼の自宅から徒歩でおよそ二十分といった所だった。彼が数年程前に卒業した中学校の近くに、目的となるポイントが存在していたのだった。それを見つけたのは、まさに偶然だった。  主要な通りからは外れた道の脇。緩やかなカーブを描き、坂になっているところ。その隙間にすっぽりと入り込んでいるかのように、怪しげな自販機が難題も置かれていたのだ。成年向け雑誌やアダルトビデオ、アダルトグッズなんかをこっそり売っているようなタイプのそれだ。自販機がある反対側はブロック塀で囲まれており、更にその向こうは墓地だ。バックアタック……すなわち、後ろから人の視線を気にすることのあまりない、死角だといえよう。 (貯金はそこそこ貯まってるし。夜が楽しみだぜ)  時よ、早く過ぎよ! 夜よ、早く来い! 彼は強く願った。そして程無くして夜が訪れるのだ。  その日、彼は自宅に一人なのだった。何故ならば両親は前々から決めていた旅行に行っていて不在なのであり、もはや彼の行動を止められるものはいない。親父からは『お前も一緒に行かないのか?』と聞かれたが、やりたいことがあるから行かないと応えたのは当然のことだ。そうだ。これは我に与えられた使命なのだ。家族旅行などにうつつを抜かしている暇などはないのだ。いざ行かん! 約束の地へと!  ――夜の街は静かで、自分以外誰もいなくなったように感じる。一人、誰からも束縛されずに闇の中をさ迷うのは楽しいことだ。これが治安の良い場所に限られる贅沢なのだとは、わかっているが。とにかくも、いろいろと問題の多い我が国ではあるが、治安の良さというものは極めて貴重で、ありがたい要素であることは間違いないだろう。 「ふう。着いたぜ」  自転車を走らせること数分。目的の場所に到着した。暗い道の脇。廃屋のような建物に挟まれるようにして、にわかに明るい光を放つ自販機が数台、稼働状態にあるのだった。さて、中身を拝見するとしよう。  そもそも、である。何故わざわざ夜中にこんな怪しげな自販機なのか? その答えはとてもシンプルなものであった。先の、書店における屈辱の出来事が起きる可能性が低いからだ! すなわち、恥辱を味わう可能性が極めて低いからに他ならない。あのような羞恥心に苛まれることなく、心穏やかに成人誌を選定することができるのである。これ以上の理由があるかっ! インターネットが発達した今日とは異なり、当時のERO本自販機というものは、購入を行う上で精神的弱者に対する非常に大きなアドバンテージになっていたのだ。 「どれどれ」  では、早速自販機の内容を確認するとしよう。どんなものがあるのか? その魅惑のメニューを俺に見せてくれっ! 彼は鼻息荒く、自販機の前へと歩み出る。 「むっ!」  流通ルートに乗らないような、見覚えの無い成人誌が何冊か並んでいたかと思えば、値札と共に説明書きのポップが貼られているものがあった。それは『女の子もびっくり! 超絶ローター!』と、可愛らしい丸文字で書かれていた。きっと、ぶるぶるぶるっと小刻みに震えては女子の陰部をたっぷりと刺激してくれるのであろう。形状は例えるならば、ピンク色をしたタコさんウィンナーのようなものだった。うむ。なるほどな。このデザインならば、女子にも親しみが持てるというものだ。 「これは……アダルトグッズか!」  非常に興味深いが、残念ながら今の彼には関係が無い代物だ。何故ならば、そういうものを使ってくれる、あるいは使うべき相手がいないのだ! 初で奥手な彼は、ガールフレンドはおろか、クラスメイトの女子との日常会話もあまりないような有り様なのだから。  彼に絶大な好意を抱き、かつ、あらゆる性的欲求を満たしてくれるような都合の良いヒロインは残念ながら、いないのだ。これはアニメではないのだ。美少女ゲームでもないのだ。現実とはかくも過酷なものである。 「っ!」  ひゅん、と音がする。と共にセダンタイプの乗用車が一台、走り去っていった。主要な通りとから外れてるとはいえ、このように車は時おり通っていく。至極当たり前のことなのだが、そわそわする。プレッシャーを感じる! 早く選ばねば! 夜中にこっそり銀行の金庫に忍び込んで悪さを働こうとしている者は、このような落ち着けない心理状態に置かれているのではなかろうかと思う。  いい。とりあえず、ローターはいい。値段的には手が届くが、意味がない。彼が購入したところで、無作為に道行く女性を呼び止めて『あのーすみません。ちょっとこのローターをあなたに使わせてもらえませんか?』などとお願いするわけにはいかないのだから。いかに真摯な態度でお願いをしたところで、それはただの変質者である。ぶん殴られてもしょっぴかれても文句は言えまい。  よしこれだ。これにしよう。これに決めた! 彼は唐突に、購入対象を一つ決めていた。そうだ。この前の書店では選考からに外さざるを得なかった写真投稿系の一つだ。その雑誌のタイトルは『投稿ニャンニャン写真館』であった。それは文字通り読者の投稿によって成り立っている写真雑誌なのだが、その中身はなかなかすごいものがあった。  例えば、である。階段を上っている制服姿の少女が一人いて、その後ろ姿が写っている。対比するかのように、隣にはでかでかとスカート内部の写真が掲載されているのだ! ちょっとよじれた白パンツだ! おおおいッ! やばいよやばいよやべえってこれは流石にやべえよっ! そんないけない写真が山ほどあったりするのだ! 今ならば、間違いなく通報なり逮捕される案件である。……当時でも、普通に逮捕案件だとは彼は思っていた。っていうか、どうしてこれ系の雑誌が規制されたり、編集者がしょっぴかれたりされないのか不思議に思っていたが、とにかくも写真投稿系の雑誌は冗談抜きでやばいと彼は思っていた。アダルトビデオのような、プロの女優によるあくまで『演技』とは異なる『リアル』がそこには存在するのだから。だからやばいのだ! 「ふおっ!?」  まただ。また、スピードを出した車が走り去っていく。こんなところ、見られてはいなかろうか? 彼は嫌なのだ。誰かに目撃され『見ろよ! 自慰を覚えたての精子臭いガキが、真夜中にエロ本自販機で何か買ってるぞ。ぐひゃひゃひゃひゃっ!』と、笑い者にされるのが! やめてくれ! 違うんだ! 俺はただ単に好奇心が旺盛な思春期真っ只中の男なだけなんだ! 彼は声を大にして叫びたかった。  とにかく! 早くするのだ! 急ぐのだ! どうすればいい? やはり、女の子もびっくりな電動ローターを購入すべきなのか? この大たわけ! 彼女もいない、出来る見込みもない非モテな俺がそんなものを買ってどうするというのだ! とにかく早く次の有効な一手を打つのだ! さっさとしろこの野郎! 「むっ!」  この暗い闇に閉ざされた夜の中に、答えと言う名の光明が見えた。そんな気がした。 「これだ!」  ビデオだ! 昨今の、DVDだのブルーレイだのの薄いディスク媒体に馴染んだ方はもはや存じ上げないことが多いかもしれないが、かつて映像は、ビデオテープと言う名のごっついメディアが用いられていたのであった。それもベータマックスとかいう規格ではないVHSというやつだ。この自販機にもそのようなビデオテープが何点か、商品として売られていた。価格は? ……大丈夫だ! 手が出せるレベルだ! では、内容は? 内容はどうなのだ! 購入に値するものなのか!? 早く情報を分析して購入すべきか否かの答えを導き出すのだ! 「香阪ゆかり。ウェディングスレイブ、か」  パッケージには、スレンダーなスタイルの女優が微笑んでいた。花嫁が身に付けるような純白のヴェールを頭にかぶり、白い手袋をはめながら色とりどりのブーケを持っている。だがしかし、それ以外は剥き出し……すなわち全裸なのだ。な、なんて背徳的なのだ! 「ふっ。なかなかいいじゃないか。悪くない」  美しい。彼は素直にそう思った。人生において幸せの絶頂たる瞬間、純白のドレスを着ておきながらあえて裸体になり、世の男を満足させるために人生を賭け、痴態……ソフトに言えばエッチな姿を公に晒してくれているのだ。尊い。彼女達はまさに女神なのだ。口さがない他者がなんと罵ろうと、間違いなく俺にとっては女神様なのだ。彼は強くそう思うのだった。  そうだ。思い出した。たしか前に入手したAV紹介系雑誌、さくらんぼ通信簿に似ているがちょっと違う、アップル通信簿だったかいよかん通信簿だったかはたまたオレンジ通信簿だったかに、この女優の紹介があったのだ。何故かフルーツの名前がついている雑誌に。それ程印象には残っていなかったが、今、こうして巡り会えると堪らなく魅力的に感じる。やっとお会いできましたね。今夜、貴方と一緒に素敵な時を過ごしたい。もし話すことができたなら、そんな一言を投げかけていたかも知れない。少年はそう思った。  決まりだ。彼は満足そうに頷きながら財布から取り出した紙幣を何枚か投入し、購入ボタンを押した。がこん、と音がして商品が排出される。 「よし」  大体こんなところだろう。幸い彼の自宅にはビデオデッキがあり、更に両親が旅行で不在な今ならば、買いたてほやほやのビデオをテレビで堂々と見ることが出来るのだ。ヒャッホー! 家に着くのが待ち遠しいぜっ! そう思い、勇ましく自転車に跨がったところで、彼は一つの重大なミスに気づいたのだ。 「ぬあっ!」  彼が乗っている自転車は、紫色をした安めのマウンテンバイクだ。そう、マウンテンバイクゆえに、ママチャリのようなカゴがないのだ。その上彼は、リュックサックだのバッグといった入れものを何一つ持ってきていなかった。それほどまでにワクワク感が強く、初歩的なことにも関わらず忘れてしまったのだ。つまり……。片手に投稿系ERO本の表紙、もしくはアダルトビデオの扇情的なパッケージを思いっきり晒したまま、街を疾走して帰らねばならないのだ! 「しまったああああああああああっ! 失敗した……っ! ああああっ!」  ま、まて! 慌てるな落ち着け。幸いなことに今は深夜。人通りは皆無といってもいいレベルだ。今ならば……。 「ええいままよッ!」  もはや行くしかないっ! 彼は、写真投稿雑誌数冊とエロビデオのパッケージを片手にかかえながら、自転車をこぎ始めたのだ! ビデオのパッケージには先にも述べた素っ裸にヴェールという姿の露出度が高い女性の写真だ。投稿ニャンニャン写真館の方はといえば、チアガール姿の女性が今まさに片足を高く上げ、アンダースコートに包まれた肉付きの良い股間がバッチリ晒されていた。結論から言うと、両方ともダメだ! 裏返してもだめだ! エロばっかりの素敵な状況だ! 何てこった! (おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!)  家までの道のりは遠い! ひたすらに遠い! この状況を誰にも目撃されずに帰還することが、果たして出来るのか!? そうだ! 目にも止まらぬ猛スピードで走行すればいい! だがしかし、書店の時もそうだったが事故は絶対にご法度だ! だめなのだ! 命は大事なのだ! 粗末にしてはいけない! 死んではいけない! 今この状態で事故を起こしたならば、エロ本やビデオが道路に容赦無くぶちまけられるのだ! 前回の書店の時と同様に、今もしこの状態で死んだならば『あいつ、夜中にエロ自販機でこそこそエロ本とエロビデオを買った帰りに事故って死んだんだぜ! ふひゃっひゃっひゃっひゃっ!』などと末代まで嘲笑されるのだ! だめだ! それだけは避けなければならない! (急げ! しかしっ! 安全運転だ! 安全運転を心がけながら、可及的速やかに帰還するのだ! 絶対に事故に遭ってはならないっ! あああああああ! こんな夜中に出歩いてんじゃねええええ! 見るな! こっちを見るんじゃねえええええ! 彼の悲痛な叫びが心の中に響き渡っている!)  途中、何人かの通行人とすれ違いつつ、彼はひたすらペダルをこいで道を急いだ。  こうして、真夜中の密かな出来事は幕を閉じていくのだった。  ちなみに、戦利品の質については彼が言うには『極上!』とのことだ。大変苦労した甲斐はあり、せめてもの慰めになるのだろうか? とにかくも、戦果があってよかったねっ! 彼の勇気に祝福を!
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