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3月20日、午前8時57分。哲平はまことに神妙な顔つきで面接会場の一番前ど真ん中の席に座っていた。神妙に見えるのは、度外れて興奮しているからだ。両親の前での『神妙な顔』は取り繕っていただけだが、今度は本物だ。
(俺の会社! 俺の職場! 俺の仕事! 俺の……)
思い描く物に事欠かない。
(どんな上司だ? どんな先輩だ? 何を任される? 最初の仕事は何?)
全部の興奮を混ぜ合わせた結果、神妙な顔つきになってしまった。もう感情を表すのに顔が追いついていない。
「来るの、早過ぎだよ」
来たのは8時5分だった。朝必死に家で耐えて、我慢できなくて出てきた。せめて会社のそばのカフェショップにでも入っていようかと思ったが、とてもじゃないが気持ちがそれどころじゃない。散々迷って会社に入り、会場設営の真っ最中にぶつかった。すぐに上着を脱いだ。
「お手伝い、させてくださいっ」
振り返った顔はみんながクエスチョン顔。
「どこの部署? これ、人事の仕事だから」
「いえっ、今日ここで入社説明を受ける宇野と申します! 時間、余ってます! 体力もあります! 使ってください!」
途端に遠慮のない先輩たちに思い切りこき使われた。
「宇野! 椅子、隣の会議室から10脚運んでくれ」
「はい!」
「おい、資料が3部足りない。5階の人事課に電話してある。取ってきてくれ、叫べばくれるから」
「はい!」
「時間無いから早くな!」
「はい!」
家にいるのと同じ空気に安心する。人事課では言われた通りに叫んだ。
「宇野です! 新入社員説明会の資料、不足分の3部いただきに来ました!」
「叫ぶな、ほらこれ。お前、人事じゃないだろ、何やってんの?」
「はい、今日説明を受ける新入社員です!」
「……あ、そう」
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