プロローグ

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プロローグ

もしも自分の寿命を知ることができたら、あなたは知りたいと思うだろうか? 少し前の私であれば、Yesと即答しただろう。 あの頃の私は、ただひたすら、変化もなく続いていく日々に愛想が尽き、一刻も早く死ぬ瞬間が訪れないかと待ちわびていた。安楽死という言葉を何度検索したかわからない。そんな私が今、見届人をしているとは、なんとも不思議な縁だ。あの日の彼との出会いが、私の人生を変えたのだ。 10年前。私が働いていた、就職活動の蹴落とし合いで勝ち抜いて入った就職人気ランキング上位のその企業は、入社前に想像していたより、さほど魅力的でもなかった。就職活動は、ある種の熱狂状態だと思う。同期と内定の数を比べあい、難易度の高いインターンシップへ参加したことを自慢し合う。大学や人材会社は「自分らしく働くことができる企業への就職」を勧めるが、それを鵜呑みにしている学生はどれくらいいるのだろう。結局は見栄の張り合いになることは、皆承知している。結局は大手企業の内定を取ったか否かがステータスになるのだ。新進気鋭のベンチャー企業を選ぶ学生も、他人と違う自分を演出することに躍起になっていることが大半だ。自分に合った企業を選ぶというのは、思った以上に難しいらしい。 自分に合った企業とは、どんな企業か。よく聞くのは、自分がしたいこと、自分が得意なことができ、理念や価値観に共感できる企業だ。そのような企業を選択するために大切なのは、やはり自己分析と企業研究だろう。自分を知り、相手を知る。勝負事の基本だ。私も愚直に分析に励んでいた。企業理念への共感を大げさに語り、企業に好まれるための自分を演出した。コミュニケーションなんてあまり好きでもなかったけれど、面接の控室で社交的な仮面を貼り付け、挨拶もそこそこに初対面の学生に就活の状況を聞く。親しくなった男子学生と付き合ったこともあるが、所詮は就活ハイ。熱狂状態から醒めると本来の自分に戻るわけで、お互いに惹かれ合った部分が仮初めであることに否が応でも気づいてしまう。結局、大学卒業後にはそれぞれの仕事も忙しくなり、自然消滅した。そして、男女の関係も、企業も似たようなものだ。はじめは出会えたことに感謝し、盛大な内定式で同期の縁を作り、企業の魅力や自分たちの幸運を喜び合う。企業からの囲い込みであることを察しつつも、目の前の熱狂で盲目となっているうちはそれすらもどこか嬉しく感じる。内定者のイベントや来年度の就活イベントの手伝いを繰り返すうちに同期の絆は深まり、内定を取ることができた喜びを噛み締めながら、入社日を今か今かと待ち続けるのだ。さらに、入社後には、社会人としてのマナー研修と自社理解と称した宗教イベントが続く。自社の素晴らしさを再度説かれ、前線で活躍する先輩の話を聞けば、立派な信者の出来上がりだ。配属後の自分の活躍を夢見て、声高に仕事の意義について語り合う。 その夢から覚めたのはいつだっただろう。3年目くらいかもしれない。1、2年目は新しいことを覚えるのが楽しくて、必死で、将来を考える余裕もなかった。しかし、3年目に入り、ある程度仕事の要領がつかめてくると、自然と将来について考え始める。そして、就活イベントで語られていた企業の理念は幻想に近く、心躍るプロジェクトへの参加は、ほんの一握りの幸運な実力者に許された特権であることに気づき始めるのだ。 そこで諦め、受容するのか、そこからあがくのか、それは人それぞれだ。諦めた人は、できるだけ定時で帰り、上司や先輩の愚痴を居酒屋でこぼすことでストレスを発散する。あがく場合も、愚痴はこぼすだろうが、社内政治と自身の売り込みに奔走し、夜遅くの呼び出しや無茶な要求も笑顔でこなす。私の周りは、このどちらかのタイプが多かった。昔は社会人として後者のほうが良いとされていたが、最近は働き方改革も進んでいるし、今後の時代は両者のハイブリッドが望ましいのだろう。つまり、残業をできるだけせず、仕事の効率を上げ、社内の人間関係も良好に保つことだ。なかなかに厳しい。頑張っている方々にはご愁傷様と言いたい。 社員は所詮企業の駒に過ぎない、とは言い得て妙だ。私もその駒の一つ。私がいなくなったところで、すぐに別の人間が穴を埋めるのだろう。顧客や先輩からの感謝の言葉もどこかうつろに響く。世間的には高給取りであるから、使えるお金は多かった。休日はホテルでアフタヌーンティーをしたあと、話題のミュージカルを見に行く。ボーナスが入ったら海外旅行に行くか、欲しかったブランドのバックを買う。お金を使うのは、なんて楽しいのだろうと思った。こんな生活ができるのであれば、仕事の辛さや虚しさも忘れられると思った。だが、それも一時期だった。 5年目になると、その日々の楽しみすらも惰性になっていた。休日を楽しんでいることの演出のために高級なランチを食べに行き、話題作りのために高級バックを買うようになった。そしてふと思った。この日々はいつまで続くのだろうと。まだ20代後半で、人生100年と言われるこの時代、生きてきた年月の何倍もの時間がまだ残っている。いつまで健康でいられるかもわからない。もしかしたら人生のピークは今で、今後特別な喜びもなく、ひたすら日々生きるために仕事をしなければならないのだろうか。生きていることにメリットはあるのだろうか。一度考え出すと止まらない。 あの日、あのバーに足を運んだのも、残業してバキバキになった方をさすりながら、疲れた目を抑え、そんなどうしようもない自問自答をひたすら繰り返すことに嫌気がさしたからだった。 その店は、銀座のコリドー街から少し外れた、一見わかりにくい細道の入り口にあった。普段は通らない道だが、考え事をしているうちに迷い込んでしまったらしい。入り口には「bar」としか書いておらず、薄暗い階段を降りた先からひっそりとアクアブルーのネオンの光が漏れている、あまりやる気のなさそうな、しかし少し興味を惹かれる店だった。石でできたどこかヨーロッパ風の階段を下り、年季の入ったこげ茶色の木のドアを引くと、その見た目通りの軋んだ音と、ベルの小気味よい音がなった。 店内は、想像よりも広かった。棚には、ところ狭しと色とりどりのボトルが並んでおり、ランプやキャンドルがそれを照らしている。ピカピカに磨かれている大理石のような光沢のあるカウンターの奥には壮年の男性がおり、グラスを拭きながら小声でいらっしゃいと言った。客は私の他にはスーツを着た男性しかいない。なかなか良い店を見つけた。そう思った。大好きなドライマティーニを飲んで、気に入れば常連になろうか、そう決めて一番入り口に近いカウンター席に腰を下ろした。 注文して暫くの間、チーズと生ハムを口に運びながら、私はぼんやりと店内に飾られた絵画を見ていた。客が少ないからか、BGMがよく聞こえる。この曲は何だったっけ。確か有名なジャズの演奏者の曲だ。左手の中指で、思わずカウンターをたたき、リズムを刻む。無意識に身体もリズムを感じて揺れていたのだろう、マスターが微笑んだ。 「この曲、お好きですか?」 思ったよりも良い声をしている。入店時は物静かな印象だったが、意外と明るい性格のようだ。目尻にできるシワが素敵だ。思わず、はい、と答える。曲名がわからないんですよね、と続けると、彼も首をひねった。有名な曲だが、どうにも出てこない。首をひねっていると、 「Take Fiveですよ。」と、男性にしては高い声が響く。目を向けると、2つ隣の席に座っていたスーツの男性がこちらを向いていた。 「ありがとうございます。」 そうだ、そんな曲名だった。よく行くジャズバーでも演奏されている曲だ。詳しいですね。そんなふうに私も話しかけると、そこからなんとなく会話が続いた。 仕立ての良いスーツを着ており、清潔感もある。良い暮らしをしているとひと目でわかった。ただ、上品な顔立ちをいているが、平凡で、明日になったら顔を忘れてしまいそうだ。道であっても気づかないだろう。しかし、どこか惹きつけるオーラがある。それは彼が纏う雰囲気によるものなのだろうか。この隠れ家のようなバーがとても似合う気がした。話のセンスもよく、私はドライマティーニ1杯を飲んで帰るはずが、ミモザ、ジントニックと、どんどん注文を重ね、気がついたらかなり酔ってしまった。だからだろうか。普段人には言えない、私のとりとめもない漠然とした将来への不安を相談してしまった。私の話を一通り聞いた彼は、こう言った。 「いつまでこの人生が続くかわからないことが不安なら、それがわかれば良いのでは?」 思わず、笑ってしまった。 「それはそうですけど、わかるはずないじゃないですか。」 真面目な顔をして、この人は何を言うのだろう。見た感じ私より歳上なので、30歳前半だろう。意外とおちゃめなところがある。 しかし、彼は全く笑っておらず、真剣に私の目を見ていた。 「わかる方法があるとしたら、どうします?」
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